第八話:白昼夢

 あれから三日。

 私達はウィバンに向け、迷わず早馬車を走らせていた。


 あの日、ギグさんが集めてくれた情報で、丁度その日に武芸者が宿泊した宿があったって聞いて、私達は駆けつけたんだけど。

 そこは何と、子供達を拐われた被害者夫婦が経営する宿屋だったの。


「ええ。あの日泊られた方の事はよく覚えてますよ」


 事件の時、冒険者ギルドに向かったご主人に代わり宿を任されていた奥さんは、その時の事を語ってくれたんだけど。


 ご主人が宿を出てすぐ、その武芸者は奥さんに事情を聞くと、宿を取って荷物を部屋に置いた後、すぐ外出したらしいんだけど。暫くして彼は一人宿に戻ってきたんだって。


  ──「冒険者ギルドでお手伝いできないか聞いてみたんですけど、人手は足りてるって断られちゃって」


 なんて苦笑いしていたら、ご主人がお子さんと帰ってきたそうなの。どうもその時にはギグさん達が現場に向かい始めた頃だったんだけど。

 奥さんも嬉しくて子供達に泣きついたんだって、涙目で話してくれた。


「その方の容姿や名前、分かりますか?」


 私がそう尋ねたら、奥さんは話を続けながら宿帳をめくり始めたんだけど。


「黒髪が綺麗な線の細い武芸者さんだったわ。白くて可愛いふさふさの幻獣さんを首に巻いて連れていてね。子供達がいたく気に入ってたのよ」


 なんて話を聞いた時、私達はドキッとした。

 だってその幻獣は、はっきりと記憶にあったから。


 私達と魔王討伐の時まで一緒だった幻獣、アシェ。

 のちに力を取り戻し、絆の女神アーシェとなって天に還ったはずなのに……どうして?


 思わず皆と顔を見合わせたけど、その理由なんてわからなくって。互いに戸惑いを見せていたら。


「あったわ。この人ね」


 奥さんがそのページを開いたまま、すっと私達の前の差し出してくれた。


 ──カズト・キリミネ。


 それを見た瞬間。私は心臓が止まるかと思った。


「この筆跡……間違いなく、あいつだね」


 感慨深く呟いた師匠の顔が綻んでいく。

 その気持ちが、私にも凄くよく分かった。


 だって、彼の名前がそこにある。たったそれだけの事なのに。思わず目頭が熱くなっちゃって、必死になってそれを堪えたんだもん。


「次にどちらに向かうといったようなお話は、されておりまませんでしたか?」


 思わずアンナさんが食い気味に尋ねたら。


「確か……ウィバンまで行こうかと思ってるって、言ってたかしら?」


 奥さんは、そんな嬉しい話も教えてくれたんだ。


   § § § § §


 もうすぐウィバンが見えて来る頃。

 相変わらずからっとした暑さをはっきりと感じる快晴の中、私達は昂る興奮を抑えきれないまま、海沿いを走る馬車の中で、静かに到着の時を待っていた。


「でも、何故カズトは、マルージュからどんどんと離れていったのかしら?」


 ウィバンまでの道中、そんな不安をフィリーネが口にしたけれど、それは彼女だけじゃなく、誰もが思った事。


 だけど。


「我等の記憶がないと思っているからこそ、過去の後悔をさせぬ為にパーティーに戻ろうとせず。せめてシャリアやアンナにだけでも、生きていると伝えようとしたのかのう……」

「まあ、あいつならそうしそうだね。だけどあたしの前に顔を出して、ロミナ達に知らせないはずないの位、あいつも分かってそうだけどね」

「……カズト、私達と一緒、嫌なのかな?」

「キュリア様。心配なさらずとも、きっとカズトは皆様と一緒にいたいと思ってくださいますよ」

「ま。もしそうじゃなかったら、力ずくで連れ回して、俺達の良さ分からせてやろうぜ!」

「ミコラ。そういう事はしないの。まずはちゃんと話を聞こう? そうすればきっと、彼の気持ちも分かるんだから」


 冗談交じりに、だけど本音をちらつかせながら、私達はそんな不安をなかったことにしたの。

 だって、カズトに逢って話をしてみないと、本心も分からないし。

 何より私達は、彼に逢いたいんだから。


 そんな事を考えている内に、早馬車はついにウィバンの街に入り、そのまま師匠のお屋敷の前に到着した。


「お帰りなさいませ、シャリア様」

「ロミナ様達も、よくお越しくださいました」


 私達が早馬車を降りると、ディルデンさんを始め、ウェリックやメイドさん達が挨拶と共に深々と頭を下げる。


「ああ、ただいま。ディルデン。伝書で伝えた件、どうだった?」

「はい。ここ一ヶ月程の冒険者ギルド、各宿泊施設、駅馬車の到着場所での目撃情報や履歴などを調べましたが。カズト様がやってきた気配は特に」

「残念ながら、今の所このお屋敷を訪ねられた気配もございません」


 ディルデンさんに続き、すっかり執事が板についたウェリックも落ち着いた表情で返してくれる。


「何だよー。あいつまだ着いてねーのか?」

「キャダルから駅馬車を使ったとしても一週間。既にウィバンに到着しててもおかしくないと思うのだけど……」

「もしや、のんびり徒歩で旅をしておったか?」

「でも、大街道で、見てない」


 皆がはっきりと残念そうな顔をしたけど、私も同じ。露骨にがっかりとしちゃった。

 気持ちばっかり逸って、今日再会できるんじゃって、勝手に期待しちゃってたから。


 ここ毎日、ずっと思い浮かべていたの。


 ダラム王と話した時に思い出した、一人の武芸者が涙しながら笑ってくれた姿を。

 記憶にない、話だけで聞いた彼との想い出を。


 逢ったら何て言おう。

 逢ったらどんな顔をしよう。

 すぐパーティーに誘ってもいいのかな?

 それとも、先に話をした方がいいのかな?


 私はずっと、そんな事ばかり考えてた。

 今でも私が彼に酷い事をした記憶に、後悔で胸が痛む事もあるけど。せめて助けてくれたお礼だけでも伝えたい。そんな気持ちで相殺し、ここに着くのを待っていたんだもん。


「仕方ない。まずは中でゆっくりするとしようか。ディルデン。皆の荷物を屋敷の部屋に」

「承知しました。皆様も、どうぞ中にお入りくださいませ」

「そうね。皆、行きましょうか」


 そんな言葉が交わされる中。

 私はふと、ウィバンの街に目をやった。


 雲も少ない晴れた空の元、輝くような街並み。

 おだやかな海風が心地よく肌を撫でていた、その時。

 一際強い風が、少しの間私達に吹きつけた。


 強く靡く髪。

 と同時に、私の目に留まったのは、一枚の白い羽。


 何の鳥のものか分からないその羽は、私の方に飛んできたかと思うと、一気に空に舞い上がる。


 釣られるように羽の行方に目をやると、ウィバンの外に高く舞い、飛んでいく。


 ……と。突然。

 心にふっと、ある光景が浮かび上がった。


 ──ウィバンの街の外。

 海に面した高台から街を眺める、一人の男性の後ろ姿。

 長き太刀を穿き、少し伸びた後ろに束ねた髪が、風に靡き。その前を白き羽が舞い上がる。


 ……今の……彼は……。


「……ロミナ、行こう?」


 キュリアの誘いの声にはっと我に返る。

 だけど、私は振り返って返事する事が出来なかった。


 白昼夢のような光景。


 ……まさか。


 胸の高鳴りが止まらない。

 心のたかぶりが抑えられない。

 それが別に、現実とは限らないのに。


「ロミナ! 何処に行くのじゃ!?」


 私はルッテの静止も聞かず、咄嗟にウィバンの街に駆け出していた。


 街中の人混みを避け、必死になって走る。

 ウィバンの街の外壁を抜け郊外に出て、街道を途中で逸れ。目指したのはシャルムさんの墓碑がある高台。


 こんなに走り続けたのは久しぶりで、思わず息が上がる。

 でも、足を止められなかった。

 走らなかったら、大事な人に逢えない。

 そんな不安ばかりだったから。


 そして──私が高台までの草原を走り続けると、遠くにシャルムさんの墓碑が見え……私は息を切らせながら、足を一度止めた。


 祈りを捧げているのか。墓碑に向かってしゃがみ、背を向けた武芸者。彼はじっとしたまま動かない。


 私がその姿を茫然と見つめていると、彼はすっと立ち上がった。


『……それで。勿論逢いに行くのよね?』


 首に巻きついていた白い幻獣が顔を上げ、彼の方を見ながら、聞き覚えのある声で問いかける。


「……うーん……」


 返事は煮え切らない声。

 頭を掻く仕草が、何処か戸惑いを感じさせる。


『は? 何今更悩んでるのよ。昨日そう言ってたでしょ?』

「そりゃそうだけどさ。その……どんな顔して会えばいいか、分からなくって……」

『そんなの別に普段通りでいいじゃない』

「そんな事言ったって、シャリアやアンナの事だし、絶対泣きながら謝ってくるだろ? 何か、そうさせるの、悪い気がして──」

『良いに決まってるでしょ!? あなた生きてるのよ!? 馬っ鹿じゃないの!?』

「うるさいなぁ。馬鹿で悪かったな。どうせ俺は臆病者だよ」


 言い合いを始めた二人は、互いに不貞腐れてそっぽを向く。

 瞬間見えた横顔……あれは……やっぱり……。


「……アシェ?」


 追いついたキュリアが思わず呟くと、はっとした幻獣がこっちに顔を向ける。瞬間、表情が明るくしたアシェが、尻尾でペシペシと彼の横顔を叩いた。

 こちらに気づき、横を向いたまま視線を向けた彼は、はっきりと驚いた顔をすると、顔を隠すように正面に向き直ると、また頭を掻く。


「……アシェ。これ、お前の仕業か?」

『馬鹿ね。私がこうなった理由を知ってるでしょ? 今はそんな力なんてないわ。ま、これが絆の力って奴ね』


 にんまりと、でも何処か嬉しそうな顔を彼に向けるアシェ。


 ……やっぱり……彼が……。


「カズト、なの?」


 その場で小さな声で呟いた私に、彼は一瞬びくりとすると、ため息をひとついた後、ゆっくりと振り返ったの。

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