第五章:心、交わして
第一話:月夜の雨
結局俺は、何度か目が覚めては疲れで眠るのを繰り返し。次に目覚めたのは夜だった。
アンナはあの後も看護しようとしてくれたけど、相当疲れていたし、シャリアに頼んで無理矢理休んでもらったから、今この部屋は俺一人だけ。
氷嚢をどかし、首元に手をやる。
うん。熱は下がったかな。
ちょっとだけほっとしたのと同時に、あれからずっと何も食べてないのに、空腹感のない自分に少し不安にもなった。
体調不良ってのは、生命の精霊ラーフが不安定になり暴れるため、熱や病気になると言われている。
だから熱が下がったからと言って、ラーフが落ち着いたってわけでもないんだ。
こんな身体じゃバカンスは夢のまた夢か……。
俺、ウィバンに来た目的、何も果たせてないじゃないか。
呆れて苦笑した後、ベッドをから出て立ち上がってみる。
身体が重いだけじゃない。足が少し震えてるし、船の上故の揺れもあって、普段よりふらふらとした感覚が強い。
まったく。これじゃ本当に、ただの弱った怪我人だな。
──何となく。
今の自分のそんな姿が嫌で。
俺は、それに抗いたくなった。
ゆっくりと、壁を伝いながら船室を出て廊下を進み、必死に壁の手摺りを使い、階段を上がって甲板まで上がる。
外は半月の輝く雲ひとつないきれいな星空。
帆に風を受け進む船が立てる波の音が、
そんな穏やかな夜を感じながら、俺はそれとは無縁の動きにくい身体を必死に動かし、甲板の端の手摺りまで、支え無しで歩こうと試みる。
階段を上がり終えた時点で、早くも息があがりっぱなし。
まったく。こんな時に何やってんだろ。
自分の馬鹿さ加減に呆れながら、それでも揺れを堪えつつ、バランスを取り歩いていたんだけど。
少し大きな横波に船が少し大きく揺れた瞬間。俺はあっさり足を滑らせ、そのまま派手な音を立てて甲板に倒れ込んだ。
「いっつ……」
ははっ。この程度の事すら出来ないのか。
思わず仰向けのまま自嘲気味に笑った、その時。
「カルド!?」
突然、俺に駆け寄ってくる影があった。
「ロミナ、さん?」
「ここで何をしてるの!?」
「あ、その……外の風を、浴びたくなりまして……」
心配そうだった彼女の顔は、俺の一言で一瞬唖然としたものに変わったけど、すぐにそれは怒り顔に変わる。
「身体が弱ってる時に、何でそんな無茶してるの!」
いつにない剣幕。
ここまでロミナに強く怒られた事あったっけ?
……いや、あったな。昔も。
俺、ランクも低くて実力もなかったから、必死になって、たまに無茶なんかもして。皆に怒られたり、酷い時には泣かれたりしたっけ。
……悔しいな。
昔となんら変わっちゃいない。
俺は結局、弱くて足手まとい。
無茶のひとつもしなきゃ、戦えもしないんだからさ。
「すいません。弱くて……」
心で強くなる歯がゆさに、思わず唇を噛む。
ただ、本当はこう言ってやりたかったけどな。
「お前だって呪いに掛かった時、無茶して逢いに来たじゃないか」
ってさ。
じっと俺を見ていたロミナがため息をひとつ
「立てる?」
「……はい」
できる限り彼女に負担は掛けたくなかったけど、今の俺じゃ支えがなきゃ立てもしない。
申し訳なさばかりが募る中。彼女は俺を船室に──ではなく、甲板の手摺りまで連れて行ってくれた。
「お手数をおかけして、すいません」
「気にしないで」
手摺りに腕をかけ寄りかかると、彼女も俺から離れ、同じ姿勢になりこっちを見つめてくる。
……昼間と同じだ。
迷惑をかけたのは俺なのに、ロミナは申し訳無さそうな顔をする。
まったく……。
「……あなたがそんな顔をする必要はございませんよ。こうなったのは私の未熟さ。ですから、お気になさらず」
そういって笑いかけたけど、やっぱり彼女は釣られない。
ロミナは視線を逸らし、俯き加減に海を見る。
月に照らされた彼女が、ぐっと何かを噛み殺した後、口を開いた。
「……私、悔しいの」
「悔しい、ですか?」
「……うん。何時も、助けられてばかりだから」
その言葉を聞き、俺も自然と奥歯を噛む。
何となく、その先に続く言葉に気づいたから。
「あの人は言ってたの。『どうしても俺に会いたいっていうなら、必死に探し出してみろ』って。私はあの人とのそんな約束を、自分の力で果たしたいってずっと思ってた。……それなのに。気づけば何時も、あの人は私の側にいて、命懸けで私を助けてくれてる……」
目を閉じた彼女の、歯がゆさばかりを見せる顔。
風が寒いわけじゃないのに、震える肩。
手摺りに乗せた腕に落ちる、雨のような雫。
「呪いで苦しみ続けたあの時から、私は助けてもらってばかり。……こんなの、あなたが望んだ再会じゃない! 私、あなたとの約束に、全然応えられてない!」
濡れた顔のまま、ロミナは口惜しそうに、ぎゅっと唇を噛む。
「……カズト、ごめんね。何時も迷惑ばかりかけて。何時も助けてもらってばかりで。何時もあなたに苦しい思いばかりさせて……。約束のひとつもまともに果たせなくて……。本当に……ごめんね……」
絞り出すように口にされた言葉に、再会した喜びなんて感じられない。
……それだけ、ちゃんと約束に応えようとしてくれたって事か。
でも、確かに。
ルッテと共に、記憶のないお前に会ったのも。
シャリアと共に、素性を隠して付いてきたのも。
結局、俺が首を突っ込んだだけ。お前に見つけてもらった訳じゃないよな。
俺は彼女から視線を逸らすと、じっと海の上に浮かぶ月を見上げた。
「俺が倒れてる間に、仮面でも外したのか?」
「ううん。見られたくない怪我があるって言ってたし、流石にそれは悪いと思って」
「そうか。って事は、やっぱりあの戦いでか」
「……うん。あなたが背中を重ねてきた時、無意識に身体が動いたの。その感覚で分かったわ。そこに、あなたがいてくれてるんだって……」
「やっぱりな。流石にあれはやり過ぎか」
まあ、あんな事したらばれるかもって内心思ってたけど。正直そこまでしないと俺の腕じゃ護れなかったんだ。仕方ないよな。
「いいか? 俺がお前の呪いを知れたのも、お前と一緒に
「でも……私は、あなたとの約束を……」
「ああ、それも分かってる。だから今回のはなしだ。お前が納得できない再会、俺も認める気はないからな。……だけど、これだけは言わせてくれ」
その言葉に、ロミナが顔を濡らしたまま、ゆっくり俺を見る。
……ほんと。泣かせてばっかりだな。
そんな歯がゆさを誤魔化すように、俺は笑う。
「……正直俺は、ほっとしたよ。お前を魔王の呪いから解放できて。お前が元気な姿で、皆と笑顔で旅してるのを見て。そして……今、お前とこうやって、カズトとして話せて、さ……」
……ったく。
今日は酷いな
寒いわけじゃないのに声は震えるし、おまけに天気雨かよ。
神獣を封印したら、雨なんて滅多に降らないんじゃなかったのかよ。
お陰で俺の寝巻きの袖も濡れてきたじゃないか。
「……ごめんな。
「ううん。そのお陰で私は生きてるの。本当に、ありがとう」
「ふっ。礼ならアーシェに言おうぜ。きっとあいつが裏で、手でも回したんだろうからな」
「……うん。きっとそうだね」
顔を雨に濡らす自分に呆れつつ、ロミナに笑いかけると。あいつも雨に濡れた顔のまま、ふっと微笑み返してくる。
「ひとつ、聞いてもいい?」
「何だ?」
「私を呪いから助けてくれた時、何で皆の記憶を消したの?」
「……忘れられるより、嫌だったんだよ」
「嫌って、何が?」
「お前達が戦いに恐怖し、不安になるのが」
ひとつため息を漏らすと、俺は語って聞かせた。
俺の偽りない本音を。
「お前達は魔王と戦って、本当の恐怖を味わったんだろ? ルッテ達は最古龍ディアと戦うって話になった時、それを思い出して不安になってた。冒険者なんてしてたら、お前達がまたそんな恐怖を味わうかもしれない。それなのに、記憶を取り戻したあいつらは、また俺と旅をしようとしてた。……俺は、それが嫌だった。皆もう、王宮なんかで平和に暮らせる。そんな戦いのない日々の方が恐怖も不安も感じないだろうし、お前らにとって幸せだろ? だから……俺の事を忘れたら、きっと旅なんてしない。そう、思ったんだよ……」
深くため息を
「やっぱり、カズトは優しいね」
「……そんな事ないって。臆病なだけさ」
俺が寝巻きの袖で雨を拭うと、ロミナも笑みのまま、指で目尻の雨を拭う。
「でも。あなたは私達の事、ちゃんと見てくれないのね」
「……どういう事だ?」
「確かに私達は、魔王と戦って心に恐怖を持ったし、もしまた魔王と戦えって言われたら、きっと怖いし怯えるかもしれない。でもきっと、ルッテ達は記憶を取り戻した時、私と同じ事を思ったんじゃないかな」
「同じ事?」
「うん。……あなたが一緒なら、きっと怖くないって」
「まさか。そんな事ないだろ?」
「ううん。絶対そうだよ。私も、皆も。昔一緒に旅した時、あなたに沢山の勇気と希望を貰ったんだから」
やっと雨が止み、ちゃんと月が見えるようになって。ちらりと彼女を見ると、月の光のように、柔らかく微笑んでくれている。
……まったく。
「……ま、一応信じとくよ」
「何よ。一応って」
「言ったろ? 俺は臆病者なんだよ。簡単に信じられるかって」
冗談混じりに話すと、ロミナが不貞腐れ、俺が呆れ。そして、互いにくすりと笑う。
やっぱり、お前は笑ってるほうが良いよ。
いや、お前らは、かな。
聖勇女パーティーって明るく笑顔なのも取り柄なんだよ。だからやっぱりそういう顔が似合ってるって。
久しぶりに落ち着いて見た彼女の笑顔に釣られ、俺は少しだけはにかむと、再び月を見上げる。
……また一緒にいれたら嬉しいけど。
でも、今の俺じゃ、まだダメなんだ。
ごめんな、ロミナ。
素直じゃなくってさ。
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