第六話:夢現《ゆめうつつ》

 はっと目を覚ました瞬間。

 そこは真っ暗闇だった。


 床に横になっているような感覚はあるけど、それも感触だけ。

 身体を起こし、床を探りつつ足を付け、立ち上がってみる。


「ここは……何処だ?」


 一人ごちるも、返事なんてない。

 周囲を見渡すと、漆黒の闇の中。ずっと遠くにほんのりと淡く白い光があった。


 何で俺、こんな所にいるんだろう?

 よく思い出せないけど……まあ、いっか。

 目指すべき目印もない闇ばかり。ってなるとやっぱり、あそこを目指すべきなんだろうか。


 ふっと、心に走る不安。

 闇に包まれてるからか? それもよく分からない。

 以前、嫌な予感は当たるって言ったけど、それが何か分からない時が困り物。

 多分こんな状況だし、きっとここにいるのがやばいのかもしれないな。


 とはいえ、あの光からここまでを照らす物がある訳じゃない。

 闇の中に何かあったら躓きそうだったし、まずは一歩一歩、ゆっくりと歩き始める。


『……待って』


 と、突然。

 背後からした若い男の声に、俺は緊張して足を止めた。


 気配すらないのに声がするなんて。

 暗殺者か? でもアンナやウェリックの声じゃない。


「誰だ!?」


 俺はばっと振り返った瞬間、思わず目を見開いた。

 暗闇の中、何故かはっきりとした姿で立つそいつは……俺そっくりだったから。


「お前……まさか……」

『はじめまして、かな』


 そこに立つ赤髪の俺は、にっこりと微笑む。

 はじめまして、っちゃそうだけど……。俺は、こいつを知っている。


 シャリアの弟、シャルム……。

 そこにいるのが彼だと認識した瞬間。ぼんやりしていた頭が、急にはっきりとした。


 ……待て。

 こいつがいるって事は……。


「俺、やっぱり死んだんだな……」


 突然そんな実感が湧き上がり、俺は何とも言えない浮かない顔で、そう呟いた。


 ……人は何時か死ぬ。遅かれ早かれ。

 冒険者をして来たからこそ、そんな心積りもあったし、宝神具アーティファクトの試練でも、死にたいなんて思った位には、死ねないまま何度も死んだ経験もある。


 そのせいで、最近は日常の中で死の恐怖に怯える事もあって。

 本当にたまに、死んだらもう怯える事もないよな、なんて気まぐれに思ったりもした。

 勿論きまぐれ。死にたがった訳じゃないぞ?


 でもさ。

 改めて死を自覚した時、ふっと思い出しちゃったんだよ。


 半年以上前、聖勇女パーティーから離れる時に泣いたロミナ達。

 ギアノスに認められて、目覚めた時のルッテ、ミコラ、フィリーネの涙目で安堵した顔。

 こないだのアンナのくしゃくしゃの涙顔。

 そして、カルドの無事に安堵したロミナの泣き顔。


 ……そんな、今まで俺の為に泣いてくれた奴らの事をさ。


 正直、俺なんて泣かれる価値があるのかって、今でも思う。

 だけど、何となくその泣き顔を思い出した時。また、泣かせるのか? なんてふっと思ってさ。

 ま、案外皆けろっとしてて、そんなの俺が勝手に未練がましく感じただけかも知れないんだけど。


 ふとそんな事を思って少し切なくなっていた俺に対し、シャルムは微笑みを絶やさずに首を振った。


『カズト。君はまだ生きてるよ。だからそっちには行っちゃダメだ』

「まだ、生きてる?」

『うん。死の世界そっちに行ったら、姉さんも悲しむ。だからダメだよ』


 シャリアが、悲しむ、か……。

 確かに。あいつは人情家だから、意外に号泣してくれそうだな。

 何となく勝手にその顔を想像し、ふっと笑ってしまう。


「だけど、俺が生きているたって、どうすりゃいいんだ? この暗闇から出る術なんてあるのか?」

『君なら、生の世界への道を感じられるはずだよ』

「どうやって?」

『心を澄ませば』

「心を、澄ます……?」


 耳を澄ますんじゃないのか?

 よく分からないけど、やってみるか。


 死後の世界が近いせいか。

 何故かお誂え向きに武芸者の格好だし、閃雷せんらいまで穿いてるからな。


 俺は目を閉じると閃雷せんらいの柄に手をかけ、鞘から少し抜き、戻す。

 聴き慣れた鍔と鞘の当たる澄んだ音と共に、心を落ち着け、心を澄ましてみた。


 耳に、じゃない。

 確かに心に、まるで囁かれているかのように小さい何かが聴こえる。


 ……波の音、か?

 ……懐かしいな。海、側だったもんな。


 俺が前の世界で住んでいた孤児院って、海が近くってさ。

 窓を開けていると、こんな感じで遠くで波の音がしてたんだよ。


 ふとそんな懐かしさを覚えていると、聴き取れるかも怪しいほど小さかった波の音が、少しずつだけど大きくなっていく。


『カズト。戻ったら姉さんに伝えて欲しいんだ』


 波の音と入れ替わるように、遠ざかっていくシャルムの声。瞼を閉じていても分かる、目の前が明るくなっていく感覚。


 続くあいつの言葉が耳に届き、心に残る。

 ……分かった。ちゃんと伝えてやるよ。


 ふっと笑った俺に、見えないあいつも何となく、微笑み返してくれた気がする。

 そして──。


   § § § § §


 ──俺は、少しだけ目を開いた。

 仮面の隙間から見えるぼやけた世界。

 それが少しずつはっきりしてくると。そこに見えたのは、船室の天井だった。


 窓を開けているのか。

 潮風の香りが鼻を掠め、耳に届く海の音が、未だ夢心地な気分にさせる。


 開き切らぬ目でゆっくりと周囲を見回す。

 窓の外には快晴の空。

 テーブルには雑多に荷物が置かれたまま。

 ぱっと見で俺は寝巻きに着替えさせられていて、安静にさせられていたんだって、何となく理解した。


 ベッドの側には、椅子に座ったまま、疲れ切った顔でうたた寝しているアンナ。

 目の下の隈が目立つ。寝ずに看病してたのか。

 まったく。美人が台無しだな。

 ……ありがとな。アンナ。


 他に人はいない。きっと皆も休んでるんだろうか。

 ……ってあれ?

 ダンジョンに入ってたはずなのに、船に戻って来てるけど……俺のせいでクエスト失敗なのか? 神獣の封印の件はどうなったんだ?


 突然心に走った不安に居ても立っても居られず、俺は慌てて身を起こそうとしたんだけど。


「んぐぐ……」


 身体が思った以上に重くって、思わず呻き声を出してしまう。

 そのせいで、折角寝てたアンナがはっと目を覚ましたじゃないか。俺の馬鹿……。


「……カ、カズト……」


 強い驚きと共に両手で口元を覆ったアンナが、一気に目に涙を溜め、整った顔をくしゃくしゃにしていく。

 ウェリックを助けた時にも見せた顔に、少しだけ心苦しくなるけれど。


「カルド、だよ」


 俺は敢えて言い直し、弱々しく笑う。

 っていうか、笑顔を作るのって、結構大変なんだな。うまく笑えているか不安だ──なぁぁぁっ!?


 瞬間。

 アンナは上半身を起こした俺に飛びついてきた。


「ああっ! 良かった! 貴方様が生きていてくれて本当に良かった! ああ! アーシェ様、本当にありがとうございます!」


 俺を力強く抱きしめたまま号泣し、歓喜の言葉を恥ずかしげもなく口にするアンナ。

 っていうか、突然過ぎて思わず戸惑ったけど……凄く心配してくれたんだな。

 ……ごめん。こないだから泣かせてばっかりでさ。


「……泣き過ぎですよ、アンナさん」


 俺は敢えて、カルドとして笑いながら答えた。

 これだけの声出されたら、何時誰が入ってくるかも分からないしさ。


 でも確かに、こうやって戻ってこれたのは、アーシェのお陰なのかもしれないな。

 きっとお前がシャルムに巡り合わせてくれたんだろ?

 ありがとな、アーシェ。


 ……しかし。

 アンナが号泣したまま泣き止まない。

 しかも堪え切れない大きな泣き声が、部屋に響き渡ってる。


「あ、あの……アンナさん?」


 戸惑いつつ声を掛けるけど効果なし。

 うーん……。彼女ってもっと落ち着いているイメージがあったから、ここまで泣かれると思ってなかったんだよね。

 しかも抱きしめられっぱなし。流石にこれは気恥ずかしい。


 とはいえ振り解く訳にもいかず、俺が困った顔をしていると。


「アンナ!? どうしたんだい!?」


 声を聞きつけたのか。部屋のドアを開けて飛び込んできたシャリアと目が合った。


「カ、ルド……」


 ……流石はシャリア。きっとカズトって言うのを踏み止まったな。とはいえ、流石に目が少し潤んでるけど……って、何でにやにやしてるんだよ!?


「まったく。目覚めた矢先にイチャイチャするとか。二人共ほんと仲が良いね」

「え……あっ!?」


 それを聞いた瞬間。

 はっとしたアンナが飛び退くように椅子に戻り、顔を真っ赤にながら慌ててエプロンで涙を拭う。

 この素早さは流石暗殺者……って、ここで感心する事じゃないよな。


「カ、カルド様。申し訳ございません! あの……無事だったのがとても嬉しかったので、その、つい……」


 小さく身を縮こまらせたまま、必死に弁解するアンナ。

 何かそこまで恥ずかしがられると、こっちまで気恥ずかしくなるだろって……。

 思わず目を泳がし頬を掻いた俺に、シャリアが笑う。


「お邪魔だったら、もう少し二人っきりにしておくけど?」

「結構です!」


 思わずアンナと声が被った俺は、彼女と顔を見合わせると、また互いに視線を逸らし困り顔をしてしまう。

 何かこういうのは、恥ずかしくって堪らない。


 そんな俺の心情を察してか。

 シャリアは俺達を楽しそうに見て笑うばかりだった。

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