第六話:死ぬということ

 月夜の元響き渡る刃が交わされる澄んだ音。

 そこに火花のように光が生まれる様はきっと、はたから見たら神秘的かもしれないな。


 俺はまず、振るう刀でできる限り翼と短剣を弾き始めた。

 時折頬や腕を掠め、痛みをよこす翼と短剣。

 それが肌に僅かな傷を増やそうが、構わずに。


 ……痛み。

 ……苦しみ。


 これらをあいつに与えるかもしれないのを、覚悟して。


 短剣が掠めたのを見て、ウェリックがより猟奇的な笑みを浮かべてくる。


「知っているかい? その短剣には麻痺毒を仕込んでいるんだ。君はじわじわと動けなくなっていく恐怖に耐えられるかい?」


 知ってるさ。そんな小細工はな。


「さあ、もっと苦しんで死のう? きっと姉さんも気づくさ。君なんて要らないって」


 嫌だね。お前に負ける気はないからな。


「カズト様!」


 俺が傷つくのを見て、悲鳴のような声をあげるアンナ。

 悪いな。辛いだろうけど、もう少しだけ我慢してくれよ。


 さて。ウェリックが随分嬉しそうだからな。

 俺も心を決めた。

 だから、ここからは本気を出してやる。


 まだ反撃はしない。

 だけど、麻痺毒を受けたはずの身体にも関わらず、刀の振りを加速させ、多角的な攻撃全てを弾き返し、往なしていく。


 風の精霊王シルフィーネの力を借りた、無詠唱で掛けた精霊術、疾風エアスピードで格段に動きを上げたんだ。

 だからもう、肌どころか道着にすら、奴の攻撃を掠らせてはやらない。


 見切りにくいなら、強く弾く。

 弾かれた反動を抑えようとしない奴の闇の翼は、攻撃を繰り出してはくるがどんどん大振りになっていく。

 こいつは殺したい欲にだけ駆られて、それをカバーするような繊細さなんてないみたいだからな。

 だからこそ、見切るのはどんどん楽になっていく。


 勿論、毒なんて暗殺者だったら常套手段。

 だからこれも既に、無詠唱で聖術の解毒を自分に掛けて消してある。想定内だ。


 確かにお前の攻撃は手数も多いし、破滅の闇翼ルイン・セラフの脅威もある。

 けどな。俺は迷わず閃雷相棒を振るえるんだ。

 こんなの、ミコラの本気の連転乱舞れんてんらんぶを稽古で受けさせられるより、よっぽど楽だぜ!


 あいつが望んだ未来に反する俺の動きの変化に、奴の表情に驚きが浮かぶ。


「麻痺が効かない!? 君も暗殺者だったのかい!?」

「おいおい。武芸者も知らないとか。やっぱ暗殺者ってそんなもんか。しかも闇術あんじゅつに毒まで頼ってこの程度かよ」

「うるさい!」


 俺のニヒルさが癪に障ったのか。奴の顔が怒りに歪んだ、次の瞬間。突然正面から姿を消した。

 だけど、禍々しい気配は隠せてない。


 暗殺術、不意打ちバックスタブだろ?

 悪いがそれも見え見えだ!


 俺は奴が背後に現れるのに合わせ、ドンピシャで重ねてやった。


 抜刀術奥義。

 ざんの閃き。


「ぐはっ!」


 迷わず刀の峰を振るった強き一閃が、初めて奴の横っ腹を叩き、大きく吹き飛ばす。

 一転、二転。草の上を転がったあいつは何とか受け身を取ると踏みとどまり、脇腹を押さえながら、苦々しい視線を俺に向けてくる。


 俺がゆっくりと刀を鞘に戻し、抜刀術の構えを取ると、奴は絶叫した。


「何故だ! 何故君は壊れない!? 何故君は死なない!?」

「お前とは場数が違うからだよ」

「場数だって!? じゃあ君は何人殺した!? 何人を恐怖に貶めた!?」

「知るか。だけどそんなの、魔王に比べたらお前なんて大したことないだろ?」

「聖勇女に討ち取られたあんな存在の何が凄いのさ! 僕は生きている! 僕の方がより皆を恐怖に陥れられるんだ!」

「ふーん。で? じゃあお前は何回死んだことがある?」

「はっ?」


 必死に言い訳を口にするあいつに、俺は静かに問いかけると、あいつは呆れた声をあげた。


「何をおかしな事を言っているのさ? 僕はここにいるんだよ? 勿論死んだ事なんてないさ! 死ぬ奴なんてただの弱い奴だ! 僕は姉さんを守る。だから死ぬはずがないじゃないか!」

「そっか。つまりお前は弱者ばっかり殺して粋がってるだけか。そりゃ弱い訳だ」

「うるさい! ふざけ──」


 怒りに任せ踏み込もとうした奴は、一瞬だけ身体をびくりとさせるも、踏み込んではこない。

 月明かりで薄っすらと見える奴の顔に冷や汗が流れ、目を見開き唖然としている。


 抜刀術秘奥義、心斬しんざんうらで見せた死の恐怖。

 踏み込んだ瞬間、俺に首を飛ばされるイメージを見せてやる。


 お前、踏み込めなかったろ。

 それが恐怖だ。


 いいか?

 俺は、死ぬことがどれだけ辛くて、痛くて、苦しいか知ったからな。

 人を斬るのも、人に斬られるのも、本当に死ぬほど怖いんだよ。


 お前はそんなの味わってないだろ?

 何度も死んだことなんてないだろ?


 それにお前は魔王は弱いって言ったな?

 あいつは死んでも聖勇女を苦しめ、あいつらに恐怖を与えたんだぞ。

 それすら知らず、井の中のかわずになってる時点でたかが知れてる。


「いいか? 俺は何度も死んだ事がある。だけどお前は今、そんな俺に気圧けおされた。つまりお前は、殺してきた奴より弱いって事だな」

「ば、馬鹿な事を言うな! 死者が蘇るはずなんて──」

「お前が知ってる世界だけが、この世界の全てじゃないって事だ」


 そうさ。

 だから俺は、お前には負けない。


 誰かを殺すのも、自分が死ぬのも。

 誰かが苦しむかも知れないのだって、覚悟したんだからな。


「アンナ。覚悟はできたか?」


 背後にいる彼女に、俺は問いかける。


「……はい。お願いです、カズト様。どうか弟を……苦しみから、救ってください……」


 静かに。悔しそうに。声を絞り出すアンナ。

 ……その覚悟があるなら、どんな未来でも受け入れられるな?


「分かった。じゃあちゃんとあいつがお前と真っ当に生きられる未来を、絆の女神様に祈っとけよ」

「えっ?」


 戸惑いを含んだ驚きの声に、俺は応えない。


 ……いいか。アーシェ。

 俺は覚悟を決めたんだ。


 だから頼む。俺に力を貸してくれ。

 あの姉弟きょうだいを救う力を。

 あいつらの間にだって、絆はあるはずだろ?


 心で強く願い、閃雷せんらいを鞘から少し抜き、戻す。

 キンっという音で心を落ち着けると、静かな目でウェリックを見つめる。


 俺の気配が変わったのに気づいたのか。

 あいつは怯えたような、未だありえないといった顔を向けてくる。


 俺達を撫でる夜の風が、草達を揺らすのを止めた時。


「お前なんか、死ねぇぇぇっ!」


 叫びと共に、奴が一気に間合いを詰めてきた。

 牽制するように投げられた短剣が、俺の肩に、腕に刺さる。


 そんなもの知るか!

 俺は次の一閃に全てを向けてるんだ。

 この程度の痛み、不安に比べたら造作もない!


 奴が続け様に繰り出した破滅の闇翼ルイン・セラフが俺に届く直前。

 痛みを無視し、それより早い踏み込みで翼を避け一気に距離を詰めると、すれ違い様に閃雷せんらいを抜刀して奴を横薙ぎし、そのまま互いに入れ替わるように、奴の背後に抜けた。


 背を向けたまま、暫く動かない。

 ……俺は、やれたか?


 抜刀術秘奥義。

 心斬しんざんきわめ


 斬りたい物だけを斬る心の刃。

 俺は、ウェリックの身体に刻まれていた闇術あんじゅつの呪いだけを断ち切るべく、閃雷せんらいを振るったんだ。


「ぐわぁぁぁぁっ!」


 突如、背中から聞こえた断末魔のような声。

 そして、ばさりと奴が草原に倒れ込む音が届く。


 やれたはず、だよな……?

 俺はその場で振り返ろうとしたんだけど。

 急に意識がぼんやりとして、身を捻りながらそのまま地面に倒れてしまう。


 視線の先に見える倒れたウェリック。

 動かそうとしてもちゃんと動かない身体。


「カズト様!」


 アンナが慌てて立ち上がり駆け出す姿。

 それを見ていた目が霞み、重い瞼で覆われる。


 何だろう。頭がぼーっとする……。

 あ、そうか。

 奴の短剣、麻痺毒が仕込んであったって言ってたじゃないか。

 まったく。熱くなるとすぐ忘れるんだよな、俺。


 アンナの声がよく分からない。 

 なーに。安心しろって。これ位、大丈夫、だっ……て……。

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