第五話:抱えし闇

 シャリアからアンナの伝言を受けて三日目の夜。


 俺は、久々に道着に袴、そして胸当てを付けた武芸者の出立ちで宿の部屋のソファに腰を下ろしていた。


  コンコンコン


 と。ドアをノックする音。


「はい」

「ロビーにて、アンナ様がお待ちにございます」

「分かりました。ありがとうございます」


 宿の人の声に、俺は立ち上がると息を吐く。

 験担げんかつぎのように、閃雷せんらいを少しだけ鞘から抜き、戻す。


 いつも通りの鞘と鍔がかち合った澄んだ音。

 少しの間それに耳を傾けた後、心を落ち着かせる残響を部屋に残し、俺は宿のロビーへと向かった。


   § § § § §


 ロビーに向かうと、メイド服の上に黒く長いクロークを羽織ったアンナさんが立っていた。


「カズト様。お久しぶりでございます」

「お久しぶり。じゃ、行こうか」

「はい」


 淡々と会話するアンナさんだけど……表情は固い。

 まあそうだよな。

 弟との命のやりとり。それが楽しいやつなんて、よっぽど殺しが好きな奴だ。

 そして彼女はそんな人じゃない。


 俺達は互いに何も語らず夜の街を抜けると、ウィバンを囲う外壁にある街の出入り口より外に出た。


 雲ひとつない夜空と満月。

 人気ひとけのない道を、月明かりとアンナが用意してくれた手持ちランプの灯りを頼りに進んでいく。


 俺がウェリックと会うのに選んだ場所。

 それはウィバンから海岸線沿いに少し行った、街道から離れた草原だった。

 ここは丁度住宅もなく街道からもかなり離れており、視界を遮るような岩や木々も殆どない。


「こんな所に、弟は現れるのですか?」


 周囲を警戒するように辺りを見回していたアンナの問いには答えず。


「……ウェリック。見てるのは分かってる。姿を見せろ」


 俺は草原で足を止めると、あいつがいる方に向き、じっと何もない空間を見つめた。


 これは勘だったけど、姉に執着するならきっと、こういう機会を見逃さないはずだと思ってたんだ。

 だから彼女を敢えて屋敷から出し、奴をおびき出そうとした。


 勿論普通の奴じゃ、そこに誰か居るなんて思わないだろうな。

 だけど俺は感じるんだよ。風の精霊シルフが避けるその場所に、身を隠したお前がいるのをな。


 歩みを止めた俺の脇に並んだアンナさんも足を止める。流石にその気配に気づいたみたいだな。

 ……っていうかこの禍々しさ……まさか……。


「……わざわざ姉さんを連れてきてくれるなんて。君も金が目当てかい?」


 静かな声と共に、そこに闇が集まったかと思うと、突如現れた者。

 それは闇に溶けるようなローブを着込んだ、狂気を露骨に感じさせる、姉同様の綺麗な茶髪を持つ森霊族の若い男だった。

 こいつがウェリックか……。


「……いや。俺はあんたの姉の願いを叶えに来ただけだ」

「ふん。姉さんは君にたぶらかされているんだね。さあ姉さん。俺と一緒に行こう。俺が姉さんを守るから」

「……私はもう、殺しなんてしないわ」

「何故だい? 姉さん。姉さんを脅かす人達なんて全て殺してしまおう。そうすれば、姉さんを怖がらせたり、危険に晒す者達も居なくなるよ」


 ……ちっ。やっぱり狂ってる。

 俺はその理由に気づいていた。

 あいつは暗殺者のはずだけど、同時にそれとは違う禍々しい別の力をしっかり感じてるからな。


 アンナさんと距離を詰めようとするウェリックを見て、俺は庇うように彼女の前に立つ。


「ウェリック。お願い。私はもう殺しなんて嫌。そして貴方にももう誰も殺して欲しくない。だから一緒にこっちの世界で暮らしましょう?」

「そっちの世界に居たら、姉さんがまた苦しむ。だからこっちの世界に来てよ。皆殺しちゃおう?」


 暗がりに輝く目に浮かぶ怪しげな光。

 月明かりで見えた顔に浮かぶのは、狂気の笑み。


 ……やっぱり、闇術あんじゅつか。


 闇術あんじゅつ

 聖術と真逆の、闇の呪いを主とした術だ。

 魔王軍なんかの奴等が得意とするんだけど、この術は人に狂気を植え付ける代わりに、より強い術を駆使できる。

 ダークドラゴンは別に闇術あんじゅつと関係はないが、本質は一緒。相手に呪いのような苦しみを与えたり、心を強く傷つける術が多いのが特徴だ。


 暗殺者としての暗殺術に闇術あんじゅつに関係する力まで使うとなれば、一筋縄じゃいかない。

 しかも心を闇に囚われてるってなると……。


 俺はぐっと奥歯を噛むと、じっとウェリックを見つめ牽制する。

 それがやはり気に入らなかったんだろうな。


「そうか。君が死ねば、姉さんもきっと思い直してくれるはず」

「ウェリック! 止めて!」


 いつになく感情的になり、悲痛な声を上げるアンナ。だが、はっきりと俺に殺意を向けるウェリックの心は動かない。

 低く身構え、両手に短剣を手にし構える相手に、俺も覚悟を決めた。


「アンナ、悪い。覚悟だけはしておけよ」


 俺は彼女をその場に残し少し前に出ると、脇に穿いた閃雷せんらいに手を掛ける。

 と。それを合図にしたかのように、突如奴の背中から四枚の翼のようにも見える闇が現れた。


破滅の闇翼ルイン・セラフ。君を死に誘う翼だよ」

「暗殺者が闇術あんじゅつに手を染める、か」

「そうさ。僕は姉さんの為に皆殺す。その為に手に入れた力。最高だよ。君も味わってみるかい?」

「できれば遠慮したいけどな」

「そんな事言わないでよ。死に苦しむ君を見てみたいんだから」


 互いにじっと見つめ合っていた俺達二人は、月に照らされたまま暫く動かない。

 と。その均衡を破ったのはウェリックだった。


「さあ、踊ってよ!」


 月の光でギラリと輝いた、両手に持った短剣を即座に二本投げつけてくる。

 ってお前!? この軌道、アンナを狙ってるだろ!?


 咄嗟に俺は抜刀すると二本の短剣を連続で弾く。

 が、それで足止めされた俺めがけ、ウェリックはまるで天翔族のように鋭く滑空し、間合いを一気に詰めてきた。

 既に両手には新たな短剣。

 だけど、俺に最初に向けたのは、背中からぎゅんと鋭く伸びた翼。

 翼……いや、それはまるで蛇腹剣のように伸びた鋭い刃物。それを間髪入れずに連続で繰り出してくる。


 俺は抜刀した閃雷せんらいで一部の翼を落とし、一部の翼はギリギリで避けていく。

 と、掠めた翼が道着を裂き、僅かに肌に傷がついた、その時。


「ぐっ!」


 想像した以上痛みが、身体を突き抜けた。

 この感じ、ロミナの呪いを解こうとした時と同じか!


「いいよ! その歪んだ顔、最高だよ!」


 あいつはそのまま翼と共に短剣を素早く繰り出し、俺の身体に風穴を開けようとしてくる。

 ってか、序盤から飛ばしやがるな!


「ほんと! お前って、趣味が悪いな!」


 それを時に刀身で受け流し、時に柄の裏で弾き。俺は出来る限り身体で触れずに落とす事に専念する。

 まだ何とか見切れる疾さ。だけど奴の手数が多すぎて、このままやっても押し切られる。


「ウェリック! 止めて! お願い!」


 アンナの必死の叫びも耳に届かないのか。気色悪い笑みをたたえ、迷うことなく短剣と翼を振るうウェリック。


 ……俺も流石に、覚悟を決めるしかないか。


 ちらりと視線をアンナに向ける。

 そこにあるのは悲しみに暮れた涙顔。


 ……ったく。

 お前はどれだけアンナを泣かせる気だ。

 闇術あんじゅつの呪いを身に宿して、狂気で狂うとか。本気で彼女の事考えてないだろ。


 ……いいか、ウェリック。覚悟しとけ。

 この先お前は顔を歪め、もっと姉に泣かれるんだ。


 悪いけど、遊びは終わりだ。

 忘れられ師ロスト・ネーマーの全力、見せてやるよ!

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