第五話:未来への覚悟

 もう、目の前のロミナの言葉すら耳に届かぬまま、ひざまずいていた。

 分かっているのは、彼女がまた俺に死の痛みを植え付けようとする事だけ。

 新たに襲い来るであろう痛みに、恐怖で身体がびくっと震える。

 だけど、もう動く気力なんてない。

 俺は、もう……このまま……。


  ──『またなんて言わず、今でいいじゃない。まったく、これだからあなたは……』


 ……この、呆れ声……。

 ゆっくりと顔を上げ虚ろな目を向けると。そこにあったのは、未だ寂しげなロミナが聖剣を構え、俺に剣を振り下ろそうとする姿だけ。

 ……ははっ。幻聴かよ。


 弱々しく笑った俺に、ロミナが迷いなく聖剣を振るった、その瞬間。


  ガキィィィィン!


 突然。

 目の前に降って来た聖剣が、彼女の聖剣を止めていた。


  ──『カズト。死にたいの? 生きたいの? はっきりしなさいよ!』


 聖剣同士が奏でた澄んだ音と、頭に響く叱咤の声が、俺の意識をはっきりとさせる。


 死にたいか?

 生きたいか?


 ……どっちでもいい。

 ただ俺は、せめて……ロミナを……。


  ──『ならさっさと聖剣それを手に取りなさい。そして選ぶのよ。あの子を助ける為に、あなたがどうすべきかを』


 ……ったく。

 痛み過ぎて、動くのすらきついんだぞ。

 そんな奴をけしかけるとか。ほんと酷い女神だな。

 ……俺を、思い出してるのか?


  ──『あなたがパーティーを組もうなんて言うからよ。そのせいで沢山思い出しちゃったわ。あなたがどれだけ優しかったかも。あなたにどれだけ辛い思いをさせたかも……』


 ……ふん。しんみりしやがって。

 サンキュー、アーシェ。

 話は後だ。


 俺は呆れ笑いを見せながら、痛む身体に鞭打ち無理矢理立ち上がる。

 目の前のロミナの顔にありありと浮かんだのは、ありえないという強い驚き。


 ……ごめんな。ロミナ。

 諦めが悪くって。


 ……ごめんな。皆。

 もう少しだけ、待っててくれ。


 ……悪いな。閃雷せんらい

 ちょっとだけ浮気するぜ。


 握っていた閃雷せんらいから手を離し、俺は目の前の聖剣シュレイザードの柄を両手で掴み、床から引き抜く。


 痛みだらけの身体のはずなのに。

 初めて手にしたはずなのに。


 こんな身体でも戦える。

 そんな勇気を蘇らせてくれた聖剣は、まるで手足のように軽く、しっくりとくる。


「……ロミナ、ごめん。俺、もう少しだけ死ねない」


 俺が新たな相棒を構え、彼女に正対すると。


「いいえ! 私と一緒に死んで!」


 より鋭い叫びと共に、聖勇女の力強い剣撃が向けられた。

 咄嗟に受け流した一撃から、またも彼女の連斬が続く。


 だけど。手にした聖剣は俺の想いに応え、身体に痛みすら感じさせず、まるで意思を持つかのように、その全てを捌き、弾き、往なしてくれる。


 ……そういや昔。お前とこうやって、よく剣の稽古をしたよな。

 本当にお前は強くって、付いていくのに必死だったっけ。


 ……ロミナ。

 お前は本当に強いよ。強くなったよ。

 ……だけどな。

 お前の本当の強さは、こんなもんじゃない。


 人々を護る覚悟を持ち、戦う決意をした剣だからこそ、お前は強かったんだ。

 哀しみと憎しみしかない今のお前の剣なら、まだ俺の方がましだ。


 いいか。

 俺はお前みたいな覚悟なんてない。

 世界を護り戦う覚悟なんてない。


 だけどな。

 お前を助けたい。

 その覚悟だけはもう、譲れるもんか!


 互いに一撃を与えられぬまま数合交えた後、俺達は大きく跳ねて互いに距離を取る。

 と。ロミナが突然前のめりになり、両手で持った聖剣を下段に構え、きっさきを後ろに向けた。


 その構えを見たことはない。

 だけど、俺はそれを知っている。


 俺は、まったく同じ構えを取り、息を吐く。


 噂で耳にした、魔王を倒したと言われる、全身全霊を込めた聖勇女の最終奥義。


 希望の斬撃。

 最後の勇気ファイナル・ブレイブ


 聖勇女の奥義なのに、まるで抜刀術のような構え。

 皮肉なもんだな。俺が勇者みたいじゃないか。


 彼女は涙を流したまま、表情を引き締め。

 俺も迷いを吐き捨てながら、表情を引き締める。


 互いに動かぬまま、暫し間を置き。


 瞬間。

 俺達は同時に動いた。


「このまま私と死んで!」

「お前が生きてくれなきゃ嫌だ!」


 互いに上に薙ぎ払った聖剣から放たれし光の波動。

 それらが中央でぶつかり、空中で暫く競り合った後互いに爆散した、その瞬間。


 俺は、迷わず斬った。


 勇気を乗せた神速の踏み込みで。

 覚悟を重ねし返しやいばで。


 抜刀術秘奥義。

 心斬しんざんきわめ


 そのやいばで、俺は光が弾け飛んだと同時に一気にロミナの懐まで踏み込み、彼女を袈裟斬りにした。


 聖剣がロミナの身を引き裂く事はなく。

 彼女の心を殺す事もなく。

 闇に囚われし、彼女の哀しき想いだけを断ち斬る。


 こんな事、今までやった事なんてない。

 だけど、今ならできると思ったんだ。


 アーシェが、共にいてくれたから。


 そして。

 ロミナお前を斬ってでも、お前に未来を見せたいって、覚悟ができたから。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 瞬間。

 彼女にあった悲しく重々しい気配が断末魔と共に消え去ると、あいつの残された身体から力が抜け、倒れ込みそうになる。

 俺は咄嗟に彼女を支えると、その身をぎゅっと抱きしめた。


「……カズト……ごめんね……」


 耳元に届く、か細く消えさりそうな涙声に。


「気にするなって。その代わり、ちゃんと幸せになれよな」


 ふっと笑みを浮かべそう応える。

 それが限界だった。


 突然意識が一気に遠ざかり、目の前が真っ白になる。

 そして意識が消える間際。


『お前は選び、選ばれた。約束通り力を貸そう』


 満足そうなギアノスの声が、聞こえたような気がした。


   § § § § §


 耳に届く、馬が駆ける音。

 何かに乗っているのか。時折小さな振動が身体を揺らす。


 俺は、ゆっくりと目を開こうとした。


「うっ……」


 が。眩しさがそうさせてくれず、思わず顔をしかめる。


「カズト!」


 聞き覚えのある、俺を呼ぶ悲痛な三人の声。

 光に慣れてきて何とか目を開けると、そこには安堵した顔で俺を真上から覗き込む、ルッテ、ミコラ、フィリーネの顔があった。


「……早馬車、か?」

「そうじゃ」

「……宝神具アーティファクトは?」

「あなたが大事そうに抱えているわ」


 フィリーネの言葉に視線を胴に向けると、確かに俺は腹の上で解放の宝神具アーティファクトを抱えている。

 怪しげな光はない。まるでこいつも眠っているかのようだ。


「俺……どれ位寝てた?」

「今日で三日。正直目を覚まさないんじゃないかって、ひやひやしたんだぜ」

「あれから、どうなった?」

「暫くして母上が終わったと言うので部屋に入ったんじゃが、そこでお前がそれを抱えたまま倒れておった」

「それで?」

「母上の話では、お主は宝神具アーティファクトに認められたが、目覚めるまでしばし掛かるとの事でな。止む無く意識のないお前を連れ、王都に戻ることにしたのじゃ」

「そっか。悪い。手間掛けたな」

「別に。お前一人運ぶぐらい朝飯前だぜ。ま、一応感謝しろよな」


 自慢気に笑うミコラ。

 その瞳が少し潤んでいるのは突っ込まないでおくよ。


「しかし、よくやってくれたの」

「……お前らがいたからさ」


 ルッテ。感謝なんかするなって。

 大体お前らがいなかったら、ここまで辿り着けなかったんだ。

 ほんと、助かったよ。


「あの後何があったの?」

「……悪い。それはあまり、口にしたくない」

「そう。ま、無事だったんだしそれでいいわ」


 すまないな。フィリーネ。

 流石にロミナに殺されかけたとか、あいつを斬ったなんて話、できるもんか。

 世の中、知らない方がいい事もあるさ。


「まずはゆっくりこうしてなさい。後は王都に戻るだけなんだし。Lランクの膝枕なんて最高でしょ?」


 ふっと悪戯っぽく、俺の真上から覗き込んでいた彼女が笑う。


 ……げっ!?

 確かに俺、膝枕されてるじゃないか!

 あまりの恥ずかしさに慌てて退こうとした瞬間。


「ぐっ!」


 それを拒むかのように、強い痛みが全身を走り、思わず顔を歪めた。

 身体を見ても、傷なんてないんだけど……。


「無理に動くでない。怪我はないが痛むはずじゃ」

「ディアが言ってたぜ。カズトは魂を斬られてるから、暫くは心が強く痛むはずだって」

「マジかよ……」


 確かに。あの時死んだと思った時程じゃないけど、あの時に感じた痛みに近い。


 とはいえ、フィリーネに膝枕されっぱなしってのは……。

 少し困った顔で彼女を見るも、嬉しそうに笑うだけ。こりゃ、当面このままか……。


「あら? 私じゃ不満なのかしら?」

「だったら俺がしてやろうか? 毛がフッサフサだし触り心地も最高だぜ」

「無論、我の膝を貸しても良いぞ。我の時は目覚めんかったし、今より寝心地が良いかもしれんぞ」

「貴方達。今日は私の日なの。絶対譲らないわよ」


 は? 何の取り合いだよ。

 っていうか、何だよ私の日って。


 呆れてため息をいた、その時。

 俺はふとある事に気づいた。


 ……あれから三日。

 俺は寝込んでたはずだけど、よく見たら道着や袴が真新しくなってる。

 何なら身体の汚れすらない。まるで風呂にでも入ったみたいに……。

 ……まさか……だよな?


「……なあ、三人共」

「どうした?」

「何じゃ?」

「まだ何処か痛む?」


 俺の問いかけに少し心配そうな顔をする三人。

 その……そんな顔をされると、話しにくいんだけど……。


「あ、いや。そうじゃないんだけど……。俺、何時の間に着替えさせられたんだ?」


 意を決してそう聞いた瞬間。

 目に見える程はっきりと、三人が顔を赤くした。


「い、いえ。その。汚らしいままじゃいられないでしょ?」

「えっと。まあ、それはそうかもしれないけど……」

「だ、だろ? だ、だから皆で力を合わせただけだ。ほら。パーティープレイだ! パーティープレイ!」

「ミコラ。流石にその言い方はちょっとやばいって……」

「お、お主は色々気にしすぎじゃ。素直に感謝だけしておれ! まったく……」

「いやルッテ。何でそこで不貞腐れるんだよ……」


 皆が目を泳がし、目を逸らし、恥ずかしそうにしている。って事は……。


 あまりの恥ずかしさに、痛む腕で無理矢理真っ赤な顔を隠した俺は、暫く何も言えぬまま、ただ馬車に揺られる事しかできなかった。


 ちなみに皆の名誉の為に言っておくけど、道中やましい事なんて何も無かったからな!

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