第六話:後悔先に立たず

「悪かったな。入っていいぞ」


 俺は手早く身なりだけ整え、ドアを開けて外で待ちぼうけを食っていたフィリーネに声をかけると、キッチンでケトルにお湯を沸かし始めた。


 炎術石を使ったコンロ。

 これが俺のいた世界のコンロと使い勝手が同じで本当に助かるんだよな。


「……」


 と、フィリーネが何も言わずゆっくりと部屋に入ってきたんだけど、俺を見ながらもじもじと白い翼の先をいじっている。


「ん? どうした?」


 彼女は俺の声にはっとすると、顔を赤くしたままじっと俺の顔を見た後。


「あ、その。結構いい、体つきなのね」


 なんて言いながら、恥ずかしそうに視線を逸らす。

 ……本当に、見えてなかったよな?


「一応これでも前衛だからな。そこのソファにでも座ってて」

「え、ええ」


 ローテーブルを挟み向かい合わせになっているソファを指差すと、彼女は部屋を見回しながらゆっくりそこに腰を掛けた。


「紅茶でいいか?」

「ええ。それにしても、机が随分荒れてるわね」

「ああそれ。さっきインクの瓶間違って倒しちゃってさ」

「まったく、ドジなんだから。……最近あまり寝られてないの?」

「え?」


 ティーポットに茶葉を準備していた俺は、予想外の彼女の言葉に思わず振り返る。

 そこで見せていたのは、少し心配そうな表情。


「最近馬車でも眠そうだし。今日だってもうこんな時間なのに、まだ起きてるじゃない」

「おいおい。この時間に訪ねてきた奴が、人の事言えるのか?」


 誤魔化すように呆れ笑いをすると、釣られて笑った彼女もまた「確かにそうね」と呟いた。 


「で。何か用事でもあったのか?」

「……いいえ、と言いたい所だけど。寝付けないから話し相手を探してたのよ」

「ルッテとミコラは?」

「温泉上がってひとしきり喋ったら、さっさとベッドに入って爆睡よ。まったく。羨ましい位に神経が図太いわよね」

「確かにな」


 湯が沸いたのを確認し、ティーカップに紅茶を注ぎ終えると、俺も彼女の向かいのソファに腰掛けつつ、それをテーブルに差し出した。


「ありがとう」

「あ、いや」


 ……なんだ?

 表情もそうだけど、普段より物腰が柔らかい気がする。


 まあ、こいつはパーティーの中でも少し大人びた美人って感じなんだけど。

 普段ツンツンしてる事が多いから、こういう笑みを中々見せないんだ。

 普段後ろに括って魔導帽に隠してる金髪は、今は肩に垂らされてて、ちょっとイメージが違う。

 温泉の熱が残ってるのか。少し上気した肌がやけに艶っぽいし……。 


「……私に何か付いてる?」

「あ? い、いや。特に」


 かけられた声にはっとした俺は、彼女に見惚みほれていたのに気づき、慌てて誤魔化すように紅茶を口にする。


 目が泳いだのに目敏く気づいたフィリーネが、何かを察したのか。ふふっと嬉しそうに笑うと。


「確かに意外でしょ」


 そう悪戯っぽく口にする。


 ……よく見てるよほんとに。

 ま。この洞察力がなきゃ、聖術、魔術を両方駆使できる聖魔術師として、仲間の支援から攻撃、回復までを一手に担えないよな。


 紅茶を口にした後、ことりとティーカップをテーブルに戻した彼女は、普段絶対見せない優しげな表情で、こんな質問をしてきた。


「ねえ。貴方は何故、ロミナを救いたいの?」

「仲間だからじゃダメか?」

「それは後付けよね? ルッテに聞いたわよ。初めて私達に会った直後には、既に一人で戦う決意をしていたって」


 ……そこまで話してるのかよ。

 ふぅっとため息をき頭を掻いた俺は、正直答えに迷う。


 過去の仲間だから。

 それが偽らざる本音だ。

 だけど、その記憶がこいつにない以上、口にできるわけもないし……。


 俺が答えに迷い困った顔をしていると。


「言いにくいなら話さなくて良いわ。じゃあ、質問を変えましょう」


 彼女は凛とした表情で、じっと俺の目を見た。


「貴方は一人で最古龍に挑もうと決意したけど、勝算はあったの?」

「……いや。Cランクだしな」

「その言葉は聞き飽きたわよ。私達は見たのよ。私でもほとんど見た事がない、複数の職の力を使いこなす貴方を。だからもうそれを言い訳にしないでちょうだい」

「……悪い。ま、それでも勝算なんてないのは変わらないさ」

「じゃあ、それでも戦うと決意したのは何故?」


 質問の意図は分からない。

 だけど、真剣に見つめてくる彼女が、何か質問とは別の何かを求めているような気がしてならなかった。


 ……なら、真面目に話すか。


「……馬鹿げた話をするから、笑うなよ」

「ええ」

「動かなきゃ、可能性がないからさ」

「可能性? それだけ?」

「そうだ。どんなに強くても、ロミナを助けるには最古龍と戦わなきゃいけない。それしか道がないから、俺は可能性を求めただけさ」

「危険だって分かっているでしょう?」

「ああ。だけど、ロミナを死なせたくないだろ?」

「でも、赤の他人じゃない」

「赤の他人でも助けたいと思えなきゃ、冒険者なんてやってられない。だろ?」


 俺にとってのかつての仲間は、あいつらからすれば赤の他人、か……。

 互いの温度差に、本心を変な言い訳で誤魔化し、寂しげに笑う。

 そんな俺をじっと見ていた彼女は、少し不安そうな顔で俯いた。


「……もし。私がロミナと同じ状況だったとしても、助けてくれたのかしら?」

「どういう事だ?」

「……言葉の綾よ。貴方はロミナの為。しいては私達が生き残る為、必死に戦いの活路を見出そうとしてくれているんでしょう?」

「まあ、そうだな」

「でもね。私は今でも不安なのよ。出会った矢先に貴方を傷つけたし、冗談混じりに一緒に旅すると告げて怒られたわ。そんな相手を本当は仲間だなんて思ってくれやしないんじゃないかって。戦いで迷う訳にいかない。信じなきゃいけない。それなのに、ね」


 まだあの日の事を後悔してるのか。

 まったく。昔っからそうだ。素直に話してくれりゃ、不安にもならなかっただろうに。

 まあ、お前らしいけどな。


「フィリーネ。お前、案外小心者なんだな」


 俺がふっと笑うと、彼女が上目遣いに視線だけを向けてくる。


「いいか? もしお前やルッテ、ミコラが死んだらロミナが悲しむだろ? あいつをそんな気持ちにさせられるかよ。それに前にも言ったろ。俺は別に、自分がCランクだからって馬鹿にされるのは構わないって。無理に信じろなんて言わない。だけど、俺がそんな事を根に持ってるなら、鼻っからここに連れてきやしないさ。俺はロミナを助けたいっていうお前を、本当に仲間だって思ってるよ」


 当たり前だ。

 俺にとって、お前は大事な仲間。

 絶対に見捨てたりするもんかよ。


 秘めたる想いは口にはせず、笑みを返した俺が紅茶を口に運ぶ。


 俺の言葉が望んだものだったのか。

 ほっと安心したように微笑んだフィリーネもまた、同じく紅茶を口にする。


「不思議ね」

「何が?」

「貴方とはこの間知り合ったばかりなのに。まるでずっと側にいてくれたんじゃないかって思えるのよ。おかしいわよね?」

「そういやルッテもそんな事言ってたな。でも考えてみろよ。もし俺が昔から一緒だったら、必死にパーティーにしがみついてたぞ。そうすりゃ俺も、今頃Lランクの有名人だったし」


 冗談混じりに過去を否定するこの瞬間は、正直何時も胸に来る。


 ……でも。

 何も覚えていないけど、そんな気がするってだけで、少しだけ嬉しくなるとか。

 まったく。俺もまだまだだな。


「貴方にそんな欲なんてないでしょ? Bランクにも上がろうとしない癖に」


 フィリーネは呆れ笑いを見せた後、目を細めはにかみつつ、じっとこっちを見つめてきた。


「ねえ。戦いが終わったら、私達のパーティーに入らない?」

「は? 止めとけよ。女子の中に男一人とかたないし、お前らの評判が下がるだけだろ」

「評判なんて気にしないし、きっとロミナも喜ぶと思うけれど。大体ルッテと貴方なんて、もう十分息が合ってるじゃない」

「なしなし! 俺がいる事でお前らに変な噂が立つのも、俺が他の男に変に妬まれるのも嫌なんだよ」


 俺は心から溢れそうになる気持ちを、一気に紅茶と共に飲み干した。


 正直嬉しかった。

 昔。たまに二人きりになった時、今のように優しく話しかけてくれた彼女がそこにいたから。

 一瞬だけ、語ってくれた未来を期待したから。


 ……でも、忘れておくよ。

 俺の望む未来は、また別だからな。 


「それより、紅茶を飲んだらそろそろ戻れよ。あいつらがお前が部屋にいないって気づいたら、心配するだろうしな」

「あら。よく寝られるように、今日は一緒に寝てあげようと思ったのに」

「ふ、ふざけるな!」


 な、何言ってるんだこいつは!?

 思わず顔を真っ赤にし狼狽うろたえる俺に、あいつは優しく微笑んでくる。

 

「ふざけてはいないわよ。それとも私、そんなに魅力がないかしら?」

「あるからダメだって言ってるんだ! さっさと帰れ! まったく……」


 そういう態度は止めろって……。

 冗談だって分かってるのに、恥ずかし過ぎてフィリーネの顔が見れず。俺は顔を真っ赤にして、自分の空のティーカップだけを持って逃げるようにキッチンに移る。


 昔っからこういう冗談は苦手なんだよ。

 ……ったく。


「仕方ないわね。振られちゃったから戻るわ。また明日ね」

「もうちゃんと寝ろよ。夜更かしは肌に悪いぞ」

「ご忠告感謝するわ。それじゃ、おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」


 結局、彼女が部屋を出るまで、俺はあいつに顔を向けられなかった。

 頼むから明日は普段通りでいてくれよ。


 そんな事を思いつつ、一人になったことにほっとした俺は、彼女のティーカップも片付けた後、汚れた机の上を改めて見た。


 黒く広がったインクが書いた文字に重なって、読めないどころか見えもしない。

 今回は諦めて、まとめて捨てるか……。

 

 ん? 待てよ?

 黒いインクが広がって、重なって、見えない?


 ふっと俺の頭にアイデアが閃く。

 これもまた、役に立つかは分からない。

 だが攻略ってのは、こういうアイデアの積み重ね。


 ついてないと思ったけれど。

 これはフィリーネのお陰かもな。


 勝手にそんな事を思う自分に少し呆れつつ、俺は一人静かに机を掃除し始めるのだった。

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