第三章:不安を拭う旅路
第一話:ほんの僅かな光
あの後。
ふらふらのまま宿に戻った俺は、着替える事すらせずベッドに横になると、死んだように眠った。
痛みもあったはずなのに、それすら忘れる程、一瞬で眠りについたんだろうな。
翌日ふと目が覚めた時、横になった後の記憶がまったくなかったんだから。
窓の外。カーテンの隙間から入る光。
もう昼過ぎか。随分と寝てたんだな。
ゆっくりと身を起こすと、昨日の術の反動か、頭痛はないものの、身体にまだ痛みが走る。けどまあ、まだ動けるさ。
こんなのロミナの苦しみに比べたら、大したもんじゃない。
軽く風呂に浸かった後、新しい道着と袴に着替える。
今日は装備を回収して、明日の荷造りをすれば後は自由。
少し訓練でもするか。それとも、最後かもしれない王都をぶらぶらと楽しむか。
そんな事を考えつつ、最低限の手荷物だけをリュックに詰め、俺は重い身体に鞭打ち、部屋を出て一階に降りたんだけど。
宿の一階。
食堂を兼ねたそのフロアに顔を出した時、俺はある気配に気づいた。
宿屋の食堂は、一応一般客も利用できるとはいえ、主な利用者は宿泊客。
しかも昼過ぎともなれば、既に宿から出掛けていたり、チェックアウトして出発した客がほとんどで、あまり客足もない静かな時間。
だからこそ、いる客は自然に目につくんだけど……。
ふと視界の端に、カウンターの隅にいる、フードを被った鮮やかな赤いローブ姿の冒険者が目に留まる。
顔は見えないけど、あまりに目立ちすぎる客。
あれは……。
俺はちょっとだけ迷うと、宿のカウンター側でそいつを見ながらひそひそと話す宿主の夫婦に、「出掛けてきます」とだけ声を掛け、気づかぬ振りをして宿を出た。
……ったく。
俺は身体の痛みがあるにも関わらず、用事もないのに仕方なく、王都北部でもあまり人気のない、倉庫街に足を向ける。
あんな趣味の悪い目立つ色のローブを選ぶ奴を、俺は一人しか知らない。
そいつは予想通り俺の後を付けてくると。
『何で、逃げるの?』
精霊術、
特定の相手にだけ声を届けられる術だ。
っていうか、この距離なんだから直接言えばいいだろ……。
俺は足を止めると頭を掻き、諦めて彼女に振り返った。
「あんたみたいな有名人と、あんな所で話せないだろ」
「カズト。やっぱり口が悪い」
「は? あのなぁ……」
困った顔をした俺の前に立つとゆっくりとフードを取り、独特の長い耳と琥珀色のセミロングの髪と共に、顔を出したのはキュリアだった。
「だったら敬語で話した方がいいか?」
「そのままでいい。堅苦しいの、嫌」
相変わらず表情の読めない真顔のまま、彼女はじっとこちらを見つめてくる。
昔っから、何かを見透かしてそうな、じっと見つめてくるキュリアの澄んだ瞳がほんの少しだけ苦手だ。
「で? 何であそこにいた? 誰にも宿の場所話してないのに」
「シルフに聞いた。風は何時でも見てる」
「まじかよ? まったく。精霊術ってのはほんと便利だな」
「うん。だからカズトも、ロミナを救えた」
「は? 俺が!?」
俺の驚きを意に介する事なく、キュリアが小さく頷く。
「あなたの術で、ロミナの命が少し、長らえた」
「……どういう事だ?」
「闇の文様が、少し小さくなった」
「……本当か?」
「うん。ほんの少しだけ。だけど、一週間は
「一週間、か……」
……やれやれ。
命懸けで駆使した術で、たったそれだけしか延命できないのかよ。
そんな酷い現実を耳にして、俺はふっと笑ってしまう。
確かにたった一週間。
だけどそれは、俺の力でほんの僅かでも、魔王に喰らいつけたって事だ。
それならもしかしたら、最古龍にだって喰らいつけるかもしれない。
ここまで絶望感しかなかったのに。
真っ暗闇の中、ほんのりと光る蝋燭のように、ほんの僅かな希望が見えたんだ。
たったそれだけ。
それで最古龍を倒せるなんて言ったら、間違いなく鼻で笑われるレベル。
でも今は、それだけあれば十分さ。
その僅かな可能性があれば、俺は希望と一緒に前に進める。
「で? 話はそれだけか」
俺がぶっきらぼうに返すと。
「急に笑うの、きもい」
キュリアはそう言いながら、少しだけ微笑んだ。
……ほんと。笑うと本当に可愛いよな。
そうじゃなくても謎めいた神秘的な美少女ではあるけどさ。
「ありがとう、カズト。ロミナを、助けようとしてくれて」
「こっちこそ。あの時止めてくれなかったら、俺は死んでたかもしれない」
「うん。あれは無茶。もうしちゃだめ」
いつもの真顔に戻ったキュリアが、じっと俺を見つめてくる。
その瞳は、何となく俺を心配してくれている気もする。……気のせいかもしれないけどな。
「分かったよ。それよりお前は早くロミナの所に戻れ。あいつに何かあったらいけないだろ」
「うん。最後に、ロミナから伝言」
「伝言?」
「うん。『夜空がよく見える場所、探しておいて』だって」
「……ああ。任せろって伝えておいてくれ」
「分かった。それじゃ」
名残惜しむ素振りもせず、彼女はフードを被り直すと、踵を返し歩き出す。
その背中が倉庫の影に消えるのを確認すると、俺は大きく息を吐いた。
キュリアがメッセンジャーで良かったよ。
ミコラやフィリーネだったら、昨日の事追及してくるのが目に見えてたしな。
そういう意味では彼女は正直者だけど、余計な詮索はしないから助かるんだ。
……とはいえ久々だな。あいつとちゃんと話をしたのは。
これだけ話したのは、世界樹を魔王の部下に傷つけられた時、彼女の母親が命と引き換えに、何とか世界樹を救った時以来か。
俺は彼女との想い出に浸りながら、倉庫街をゆっくりと歩き出した。
§ § § § §
キュリアの母親も、偉大な万霊術師だった。
何時もあんな調子のキュリアだったし、母が死んでも皆の前では淡々としてたけど。
その日の夜。彼女が一人宿の外で声を殺し泣いてるのに遭遇しちゃってさ。
あいつなりに、気丈に我慢してたってその時知った。
「私、お母様を、助けられなかった! 私が、弱かったから! 私が……弱かった……から……」
流石にあの時は、あいつも俺に対して感情的な言葉も、涙も隠さなかったな。
俺はその時、彼女を慰めながら、こんな事を言ったっけ。
「いいか。悔しかったらあの人のようになれ。あの人は何時でも笑顔を見せ。皆の為に世界樹を救い。お前や他の奴らにも沢山泣いて貰えた。それだけ頼られて、愛された素敵な人だったんだ。お前もいつかあの人みたいに頼られて、愛されて、笑顔を向けられる奴になれ。そうすりゃ、天国で見守るあの人も、お前の姿に笑ってくれるさ」
その時口にした、俺のそんな言葉が役に立ったかは分からない。
だけど、あの時まだ精霊術師だったキュリアはその後、母の背中を追うように万霊術師となる儀式に挑み、それを見事に乗り越え強くなった。
同時に何処か少しだけ、雰囲気が柔らかくなったんだ。今みたいにな。
……あれで? なんて言うなよ?
§ § § § §
俺は重い身体を誤魔化しながら、職人地区に向かうと、武器と防具を受け取った。
鎧の方も傷んだ部分を取り替え、新品のような輝きを見せている。
流石にいい仕事をしてる。
これなら、普段より戦えるだろ。
謝礼を払い店を出た後、迷った末に俺は術医の家を訪ねて、聖術による治療を受けた。
フィリーネも使える術だから、俺も使えなくはないんだけど。昨日の今日で術を重ねる程の力は残ってないし、身体の負担になりそうだったからな。
結局この日はこれ以上の事もできる体力もなく。外で軽く夕食を済ませるとそのまま宿に戻り、明日の支度を済ませて、早々にベッドに潜り込んだ。
ついに明日は出発の日。
聖勇女を救うために、奇跡を起こすための旅の始まり。
魔王討伐に同行できなかった俺が、たったひとりで魔王程の奴を相手にするのか。
まったく。何の因果だって感じだよな。
とはいえ、ロミナ達だって魔王に必死に挑んだんだ。
俺もあいつの……いや。あいつらのためにも、やれる事はやってやるさ。
心に緊張を感じ、あまり眠れないかと思っていたけれど。
結局まだ昨日の疲れを引き摺ってたせいか。
俺は瞼を閉じた瞬間。いともあっさりと、微睡みの世界に呑まれていったんだ。
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