第五話:彼女の願い

 俺は思わず立ち上がって、身体ごと声に向き直ると。そこに立っていたのは昼間と同じ、黒いワンピースに身を包んだロミナだった。


「何で……ここに……」


 もうとっくに深夜だ。

 ……いや、そんな問題じゃない。


 あいつは呪いに侵されてるんだ。

 それにいた場所は王宮。簡単にこんな離れた所に来れるはずがないだろ。


 あまりの俺の驚愕っぷりに、彼女がくすりと笑う。


「ずっと王宮にいるのは退屈だったから。私の魔法でこっそり抜け出してきちゃった」


 魔法……聖勇女の使える術、現霊バニッシュか。

 一時的に周囲へ気配を悟られぬようにして、敵や人を避けられる聖勇女だけが使える特殊な術。

 それなら確かに……って、感心してる場合じゃないだろ。


 確かに向けてくれてるのは笑顔だ。

 だけど、その顔色は悪すぎて、無理しか感じない。


「何やってんだ! 無茶して呪いが進行したらどうするんだよ!?」


 思わず俺が駆け寄ったのとほぼ同時に。

 彼女が目眩を起こしたのか。くらりと前に倒れそうになる。


「ロミナ!」


 俺が慌てて支えてやると、胸に収まった彼女は、力なく顔を上げ、無理に笑顔を見せた。


「ごめん、なさい。ちょっと、ふらついただけ、だから」

「ちょっとじゃないだろ!」

「……うん。そう、だね。でも、大丈夫」


 俺が何を言おうが、彼女から俺を安心させようとする言葉が止まらない。

 そういう強がりな所も変わってないのかよ。


「……ったく」


 俺は舌打ちしつつ、ゆっくりと彼女を床に座らせてやる。

 前屈みに両腕を突き、俯いたまま冷や汗を掻き、荒い呼吸を見せるロミナ。

 こんな状態で放っておいたらやばいだけ。


 ……仕方ない。


『……我が身に宿りし生命の精霊よ。その力を彼の者に与えよ』


 詠唱と共に彼女に手を翳すと刹那。俺の脇にふわりと半透明な女性──生命の精霊ラーフが姿を現す。同時に俺の手は淡い光に包まれると、その光がゆっくりとロミナに流れ込み、その身を覆っていく。


 精霊術、生命活性ヒーリング

 これで彼女の体力を少しでも回復しようと集中する。

 術を阻害するように、ロミナの中で蠢く強い呪いの動きが分かる。だが、それでもゆっくりと、少しでも身体に負担を掛けないよう、慎重に術を続ける。


 本当は、簡易で無詠唱で出来る術の方が力がばれずに済む。ルッテとの戦いでフリザムの力を借りた時のように。

 でも、詠唱をすればより強い力を持つのが術の基本であり真理。そして、そうしなければいけないって感じる程に、ロミナを失う恐怖が心に過ぎったんだ。


 暫くして、荒かった彼女の呼吸も随分落ち着くと。


「……ありがとう。もう、大丈夫よ」


 彼女が顔を上げ、正面で片膝を突く俺に笑いかけた。

 さっきより顔色はいい。確かにこれなら少しは大丈夫か。


 俺は詠唱を止めラーフを解放すると、ほっと胸をなでおろす。


「カズトって凄いのね。精霊術まで使えるの?」

「……偶々たまたまだって」


 そりゃ普通は驚くよな。

 どう見たって武芸者。上位職になろうが、武芸者は精霊術なんて使えないんだから。


 だけど、言い訳が浮かばずお茶を濁した俺の言葉を否定することなく、ロミナは「そっか」と短く返事をしただけで、それ以上追及してこなかった。


「それで。さっきは何を泣きつこうとしたの?」

「……別に」

「話してくれないの? 昼間あれだけ私に言った癖に」


 昼間向けた言葉を思い出させられ、困ったように頬を掻き、目を逸らした俺を見て、彼女が悪戯っぽく微笑む。

 それが、昔のロミナに重なる。


「身体に障るだろ。早く帰れ」

「酷いな。私は話がしたいのよ?」

「話し相手ならルッテ達がいるだろ?」

「私はあなたと話したかったの。昼間は全然話せなかったし」

「はぁ……」


 何なんだよ。

 そんな話ならこっちを呼びつけりゃいいだけだろ。

 調子の狂う会話に、自然にため息が漏れる。


「どうやって俺がここにいるのを知ったんだ?」

「ルッテが皆に内緒で教えてくれたの。あなたが私のために旅に出る準備をしてるって。その時に闘技場を貸し切ったって聞いたんだけど、それで何となく、ここに来たら逢えるかなって」


 てへっと恥ずかしそうに笑う彼女。

 おい。俺がここにいなかったらどうする気だったんだよ。

 ……いや。多分、アーシェに導かれたのかもな。

 じゃなきゃ、こんな偶然ありえない。


「それにしたって、何で俺なんだよ?」


 久々に間近に感じる彼女に気恥ずかしさを感じ、ぶっきらぼうにそう尋ねると、彼女は少しだけ表情に影を落とした後。


「あなたが、泣きたいなら泣けって、言ってくれたから」


 すっと、聖勇女らしい凛とした顔で俺を見た。


「いや、確かにそう言ったけど。俺は仲間に泣けって言ったろ?」

「そうだったかな? まあでも、私を救おうとしてくれるんだもの。もう仲間よね?」


 仲間……。

 突然彼女からその言葉を聞き、胸が苦しくなった俺は、少しだけ辛い表情を浮かべてしまう。

 それに気づいたロミナは、少しだけ表情に憂いを浮かべると、俯き語りだした。


「私ね。記憶がないの」

「記憶が?」

「うん。っていっても、仲間との冒険も、魔王との戦いもちゃんと覚えてる。覚えてるけど、ひとつだけ、記憶にない事があるの」


 その言葉に、俺はどきりとした。


 ちょっと待て。

 俺のことは記憶から消えてるはずだ。

 消えてたら、そもそも一緒に何かした事すらも忘れるはずなのに。

 ……覚えてるのか?


 内心そんな強い戸惑いを覚えたけど、それを必死に抑え込み、


「どんな?」


 俺は真実を確認するように問い掛けた。

 彼女の表情は淋しげ。だけど、何処か幸せそうな顔をする。


「私は、誰かと一緒に旅をしてたの。それが誰だかわからないし、一緒だった仲間は皆、その人との出来事すらもさっぱり忘れてた。でも、私は何となく覚えてるの。時に私を励ましてくれて。勇気づけてくれて。魔王を倒したら逢いに行かなきゃって思う、大事な人だったって」


 誰かといた記憶。

 それは確かに、俺の中にある記憶と重なる。


「私は、生きてその人に逢いたい。その想いを胸に、必死に魔王と戦ったわ。本当に怖かった。何度も死を覚悟しそうになった。でも諦めなかった。その人との想い出が、勇気をくれたから」


 彼女の声が震え。

 彼女の肩が震え。

 彼女はゆっくりと、俺に悲しげな顔を向けてくる。


「でも。結局魔王を倒したのに、私はその人に逢いに行く夢すら叶えられなかった。この呪いのせいで。……さっき、仲間を危険に晒すぐらいなら死んでもいいって口にしたけど……本当はね。死ぬのは嫌なの」


 ぐっと唇を噛んだ彼女の瞳から、すっと涙が溢れ。同時に本音が溢れた。


「私は皆ともっと色々な世界を見たいの。私は一緒に旅をしたはずの、忘れてしまったその人に逢いたいの。逢ってお礼を言って、辛かったこと。苦しかったこと。そんな時私を勇気づけてくれたのはあなただって。あなたがいたから魔王を倒せたんだって伝えたいの! そんな沢山の願いを叶えたいの! ……本当は、怖いの。願いが叶えられないのも……死ぬのも……怖いの……」


 感極まり、両手で顔を覆い。聖勇女である彼女は、その場でただ、泣いていた。

 それ以上何も言葉にできず。恐怖に身体を震わせ、泣いていた。


 ……確かに。

 死ぬのは怖いよな。

 願いが叶わないのは辛いよな。


 そうさ。

 ルッテも。ミコラも。キュリアも。フィリーネも。確かに不安で辛いかもしれない。

 だけど。一番辛いのは。一番苦しいのは。


 ロミナ。

 お前だよな。


 ……結局、俺が仲間だった事は忘れてた。

 だけど、アーシェの加護があるせいなのか。

 俺が言った事を覚えててくれて、俺に逢って話したいって、思ってくれてたんだな。


 ……でも、仲間には戻れない。

 俺は忘れられ師ロスト・ネーマー

 忘れられるのも、思い出されるのも怖い臆病者だからな。


 大体お前達はもう、魔王を倒した英雄だし、今や華やかな王宮暮らし。

 そこにCランクの冒険者である俺なんて要らないし、パーティーだって組む必要ない。


 それに。何よりこの先の戦いで生きて帰って来れるかすら分からない。


 だからこそ、お前は。

 いや、お前らは。

 俺の事なんて忘れたまま、幸せになって欲しいんだ。


 だけど。その為にもまず。

 お前に、未来はあるべきだよな。


「……勝手に諦めるなって」


 俺の声に、ロミナは涙を溢れさせたまま、くしゃくしゃの顔を向けてくる。


「まだお前は生きてる。まだお前には仲間がいる。まだ幾らだって希望が残ってるんだ。だいたい絆の女神様だって、ここまで聖勇女として頑張ったお前を、そう簡単に見捨てるわけないさ。だから信じて待ってりゃいい。そして呪いが解けたら、好きな事すりゃいいんだよ」


 俺は、釣られて泣きそうになったしかめっ面を無理矢理笑みに変え、彼女の肩にぽんっと手をやると、しゃがんだまま彼女に背を向ける。


「ほら、乗れ。送っていくから」

「……うん」


 震える声のまま返事をした後。少しの間を置き、彼女が背中におぶさり、首に手を回してくる。

 それを確認すると、俺は彼女を背負い立ち上がり、ゆっくりと闘技場を後にした。


 流石に受付から出たら驚かれるからな。

 俺はロミナに気付かれぬよう、無詠唱で現霊バニッシュを使い、静かに冒険者ギルドの外に出る。


 街灯の灯りはあれど、深夜は人気ひとけもなく、不気味な暗い街並み。

 俺はそんな中、何も言わずに彼女を背負ったまま城を目指す。

 背中に感じる重みに、ロミナの存在を感じ。

 背中で震える姿に、彼女の恐れ本心を感じて。

 

「ロミナ。空、見てみろよ」


 途中、やや開けた広場に来た時。肩越しに声を掛けると、ロミナが力なく空を見上げる。


 空には月と、満天の星空。

 現代より暗い夜の街。だからこそ、その綺麗さが際立つ。


「見えるか? 星空が」

「うん」

「……呪いを解いたら、また一緒に見ようぜ」


 まだ叶うとは決まっていない、偽りの夢を口にすると。彼女はまた、短く「うん」と口にした後。


「信じて、待ってる」


 何処か嬉しそうな声でそう言うと、再び顔を背にうずめる。


 俺は、その約束を胸に仕舞い。

 俺は、彼女の願いを心に刻み。


 また静かに、夜道を歩き出した。

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