第38話 告白
李仁はその先を聞くのが恐ろしくなった。だが、これを知らねば棗には近づけない。そんな気がして耐えていた。
「どう言う事です。棗の父親って人は自分の息子をそんな場に立たせて平気でいたんですか!」
「棗さんは連れ子だった。だが、棗君の父親は我々には理解できない愛し方をしていたんですよ。棗君は、父親の愛奴だった」
「欠片でも愛しているなら何故そんな事をさせたんだ!理解に苦しむ!」
「しっ!声が大きいですよ。そんな場に居たなんて知れたら私は終わる!今では後悔しているんです」
身の保身ばかりを気にする目の前の男は教授などと言う立場の風上にも置けない。場所が場所なら李仁は間違いなく、この男をぶちのめしたに違いない。李仁は身体を震わせながらそれにも耐えた。
「彼の天性を見抜いてダイアモンドのように磨き上げてみたいと、棗君の父親は考えていたようでした。君も彼と身体を重ねてみたんでしょう?なら分かるはずだ。
カリスマですよ。あれはセックスのカリスマだ…!」
話をしていくに従って目の前の男は次第に高揚して行くのが分かる。身体を重ねたならお前も分かるだろうと言われてしまえば、李仁だって目の前の男と何ら変わりはないのだ。だが、それだけとは絶対に違うと、自分はこんな獣じみた男どもとは違うのだと、必死で思おうとしていた。
「柘植さんと棗も、そこで知り合ったんですか?」
李仁の声がワナワナと震えていた。「いいや」と教授はかぶりを振った。
「彼はパーティ仲間では無かった。棗君の父親が彼の人形を作らせるために呼んできた男だよ。
棗君の父親が某国の外交官に赴任する際、日本に残った未成年の棗君の後見人に柘植君がなったと聞いたんだが…。君が棗君の伴侶だと聞いて驚いた。誰の手にも余る子だと思っていたからね」
自分は棗の何も、本当に何も知らなかった。教授に最後に棗の実家の住所を聞いて別れたが、帰って行く教授のしょぼくれた後ろ姿を見るにつけ、李仁はさっきまでの殴り倒したい気持ちよりも、果てしなくやるせないない気持ちの方が遥かに優るのを感じていた。
教授の話の中の棗は、自分の知らない棗の姿だったが、何処かで腑に落ちたような気もした。棗といる時、知らない自分の閉じている性がズルズルと引き摺り出されて行くのを感じていた。加速する劣情に恐怖さえ覚えることもあった。
「セックスのカリスマ…か。本当にそれは君なのか?なあ、棗」
一人の帰り道、見上げた夜空はいつか棗と見た月が煌々と街を、我が身を赤裸々に照らし出していた。
この夜、久しぶりに例のサイトにこんな詩を李仁は書き込んだ。そしてそのすぐ後には追随する虎と言う何者かからの返歌がまたしても綴られた。
『今宵の月が、君の頭上にも等しく降り注いでいると良いのに。 龍』
『嗚呼、眩しくて貴方を見ることが叶いません。 虎』
お前に話がある。そう李仁は智也に呼び出されていた。棗の失踪の事もあり、風夏の店には何となく足が遠のいてしまう。
今夜は店の近場の居酒屋で待ち合わせた。ガラリと店のドアを開けると、酔っ払いどもの大音量の声が店内から吹き出している。李仁が入口で、突っ立ったまま、ここでいいか?と智也に問うと、何故だか騒がしい方が良いと智也が言った。
一番奥まった四人がけの席へと向かい合わせに座り、おしぼりを置いていく従業員に、ビールと適当なつまみを頼んだ。
「どうだ、白山棗は見つかりそうか」
智也から先に話を振って来た。李仁は薄く笑うと首を横に振り、「いいや」と告げた。
「…悪かったな。俺の一言のせいでお前達に本当に申し訳ないこをしたと思ってる」
いつもの軽口は何処にも無い。李仁は伏せ目がちの智也に、大丈夫だよと気休めを言う事も、そうだお前のせいだと責める事も出来ず、曖昧な笑みを浮かべるのが精一杯だった。李仁にも今は智也を気遣う余裕などなかったからだ。
「どうした。急に会いたいなんて珍しい」
運ばれてきたビールは乾杯するのもどうかと思い、其々が各々ジョッキに口をつけていた。
「…俺な、離婚する事になったんだわ…せっかく祝儀貰っといて申し訳ないが」
結婚してから三ヶ月目の事だった。
「なんだ、喧嘩でもしたのか?お前が謝っときゃ良いんだよ。勿体無いだろう!せっかくお前みたいな男に嫁になっても良いだなんて女はそうそう無いぞ!」
あまりのスピード離婚に李仁の方が慌てていた。智也と言う男はチャランポランに見えてもしっかりした男だと李仁は常日頃から思っていた。こんなに無責任に大切なものを放り出すような男では無い。
「最初から分かってたんだ。この結婚はいつか破綻する」
「なんだよ、最初からその気がなかったみたいに」
「無かったんだよ。最初から…。俺は…片想いをしてた。苦しくて恐ろしくて、俺は逃げたんだ。結婚に…」
ビールの泡が弾けた。客の誰かが突然大声で怒鳴り散らし始めると、互いの声が一気に聞き取りにくくなっていた。騒がしさに智也へと李仁が顔を寄せ、少し大きな声で聞いた。
「なんでだ…、何でそんな早まった決断をした」
「………、お前のことが…好きだと、気づいてしまったからだ」
背後で大きな笑い声がけたたましく響き渡る。智也の声はそれに紛れて掻き消えた。だが李仁の耳はその微かな智也の告白を聞き逃してはいなかった。
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