第11話 欲望の贄

 なぜこんなにも心が落ち着くことがないのだろう。棗は自分を確かに愛してくれている。それは嘘では無いと確信している。だが、どう言う訳か、棗を捕まえ切れない。


 夕暮れと言うのは何も空の色の事だけでは無い。李仁の心にも重く、暗い天幕がしかれたままだった。淀んだ気持ちで見上げたマンションの自階の窓に、思いがけず明かりは灯っていた。


「お帰りなさい、李仁さん!お疲れ様でした」


 いつもと変わらぬ明るさで、棗は李仁を玄関で出迎えた。


聞かなければ。あの光景はいったい何かと、棗に聞かなければ。


「ただいま。今日は何か変わった事は無かったかい?」


 遠回しな問いだった。棗は至って普段通りの様子で、やましさを隠しているように見えない。


「変わった事ですか?ん〜?特に何もなかったですよ?退屈すぎてお風呂をピカピカに磨いてしまいました。どうしましょうか、寒いし、お風呂が先の方が良いですか?」


 テーブルには既に夕食の用意ができていた。棗は李仁の脱いだウールの羽織を手際よくたたんでいる。その手元は何の淀みも無い。


「棗。

今日、はる君と会っていたのか?まだ、彼と会ってるのか」


「彼?…ああはる君の事ですか?…いいえ?ずっと家に居ましたよ?」


 嘘をつかれた。会っていたと言われた方がまだマシだ。


「見たんだよ。二人で古いビルから出て来るところを」


「えぇ?李仁さんの見間違いです。嫌だな、私の事、疑ってるんですか?」


久留米絣くるめがすりの着物だった。臙脂えんじの鹿の子のショールを巻いていた。

いつも君が着ている着物だった」


「違います」


「はる君は茶色のコートを着ていた。手袋をはめた手で君の肩を抱いていた」


「違います!」


「二人で細い路地の先へ…」


「それは私ではありません!信じて下さい!」


「なら大学教授の事はどうなんだ?連日泊まり込むほど何があるって言うんだ!」


「それは…!」


 今までふつふつと耐えて来た思いが、みっともない自分のエゴが、泥のように後から後から溢れ出る。もう抑えようもなかった。


「本当に何もありません!私には貴方だけです!信じて下さい!」


「なら信じさせろ!」


 棗のその必死さが取り繕っているように感じる。大学教授が、はる君が、自分の知らない所で自分の棗と秘密を共有していると思うと激しい嫉妬で気がちがいそうだった。疑心暗鬼の病に李仁は取り憑かれてしまっていた。

 己に取り縋る棗の帯を鷲掴むと、乱暴にテーブルに腹這いにさせて上半身を押さえつけた。棗は抗い、物凄い音を立てて料理の皿が床の上に散らばった。


「ぃや…っ!李仁さん?!止めて!やめて下さい!!」


 棗は李仁の突然の豹変に驚き、激しく抵抗したが、李仁の力には到底敵わなかった。

 李仁は自分でも信じられない強行だった。それは半ば強姦だった。棗の着物の裾を手荒く尻の上まで捲り上げ、背中で両手首を拘束し、無理やり下着を引きずり下ろすと慣らしもせずに硬い秘部に己の赤黒い怒張を突き立てた。


「!!…っ痛い!李仁さん!お願いです、許して下さい!ひっあっ…ぁ!!」


 李仁はこんな風に、乱暴で自分本位に誰かを抱いたことなどない。こんなにも独占したいと思った人などいなかった。抗えない者を屈服させる嗜虐に李仁は今まで感じた事の無い興奮を覚えていた。


「お前をめちゃめちゃにしてやりたい!…っ棗!お前はオレだけのものだ…!」


 逆巻く激情のまま棗の肉筒を突き立てると、テーブルは足が浮くほど激しく軋んだ。


「ンアァッ…!李仁さ…っ、烈し…っ!アア!悦い…っ!…イイッ」


 乱暴な情交だったにも拘らず、最初は抵抗を見せた棗のよがり声が次第に悦を帯びてくる。四肢を戦慄かせ自ら李仁の抜き差しに律動を合わせ、棗は李仁を貪り、被虐の悦びに咽び泣いていた。


 この日、李仁は己の知る扉の奥に、更に広がる性の世界がある事を知った。そして棗の中に、己より更に蕩然とうぜんたる性の泥濘ぬかるみが拡がっている事を感じた。到底棗には敵わない。そんな漠然とした劣等感が、李仁の中に生まれた。


 嫉妬は情欲の最高のにえだ。

あんな一夜を過ごしたにも拘らず、二人の仲は冷え込むどころかかえって深まっていた。結局は、棗の男の影の真偽はうやむやなままだったが、互いに更に深い心の結びつきを感じていた。


 そしてその夜から程なくして棗は李仁の店で働くことになった。棗を自分の手元に置く事で、精神の安定を図れると李仁は考えていたからだ。朝の申し送りの時間に、従業員5人を集めて棗を紹介した。


「今日から店で働いてもらうことになった白山棗さんだ」


「よろしくお願いします。白山棗です、不慣れでご迷惑おかけしますが、宜しくお願いします」


 ペコリとお辞儀をする棗に従業員たちは戦々恐々とした。今や棗と李仁の仲は噂に上っていた。言わば、若女将が一緒に働く様なものである。従業員が騒つくのも無理からぬ事だった。





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