第12話 棗

 実際に働いてみると、棗は接客にも店内雑務にも長けていた。雑然とした所があると、目敏く見つけては手早く整理整頓し、お客が購入を迷っていれば、さり気なく近づいて、元来の博識をフル活用して上手に商品を勧めたり。それは古参の従業員たちが引くほどだった。

 李仁も棗も他の従業員達に気を使い、人目のある所では極力接触を避けていたが、そうは言っても何かと視線は追いかけてしまう。

李仁はちょっと良い感じの男の客が来ると棗を気にし、棗もまた李仁が若い女性客に接していると、どこと無く心が波だつのを感じた。


「さっきのお客様、とてもお綺麗な方でしたね。何だか李仁さんとっても楽しそう。着付けしてた時の目つきが少し嫌らしかったです」


 すれ違いざまに、棗が拗ねた様子でチクリと可愛く焼き餅を焼いて来る。


「君も、さっきのお客様にやけに親切にしていたじゃないか。ああ言う男が好みかい?」


「馬鹿っ」


 そう口を尖らせる棗は、ここが店内でなければ李仁は即刻押し倒していただろう程に、可愛さ全開だ。これはこれで刺激的な毎日だった。次第に従業員達も棗のいる日常に慣れ始めていたが、やはり棗が男だと気が付く者はいない。李仁は自然にバレていく事を期待していたのだが、なかなかそう上手く事は運ばなかった。そんなある日、聞き飽きた声が店内に響いた。


「おお!あの時の美人!なになに?君、ここで働いてるの?」


 智也だった。店内で働いている棗を見つけると、はしゃいだ様子で棗の周りを犬のようにクルクルと回っていた。


「あ、あのっ、お、お客様?」


 棗にしてみればただの挙動不審者だ。口をへの字に曲げて大股で歩いて来た李仁に、困った顔で助けてくれと視線が訴えかけていた。


「お客様、当店の従業員にお手を触れないで下さい」


 しっしっと智也を手で牽制し「このっ、暇人が!」と渋面で一喝した。


「あの、この方はどなたですか?」


 訳の分からない棗が、不思議そうな顔で、智也と李仁を交互に見遣る。


「この男の名前はポチだ!所構わずヨダレを垂らすから気を付けろ」


「またまた冷たい事を。照れるな照れるな。俺はこいつのダチだ。因みに名前はポチじゃ無いぞ。佐倉智也って言うんだよ、えーと君の名は?」


「棗です。白山棗。李仁さんにこんな面白いお友達がいたんですね、よろしくお願いします」


 愛想よく、棗はペコリとお辞儀した。


「君はいくつなのかな?早まったね、この堅物おじさんと付き合うより俺の方が楽しいのに」


「オレをおじさんと言うなら同期の貴様もおじさんだ!

ほらほら、倉庫の整理をするんだろう?」


 勿論、倉庫の仕事などありはしない。


「え?て、店長?倉庫の整理はさっき、」


 棗はそう言いかけたが李仁に背中を急かすように叩かれると、勘のいい棗はその意図が分かったのか、肩越しに智也に「失礼します」と頭を下げつつ奥へと引っ込んで行った。


「何で今回に限ってそんなに隠すんだよ、別にいいだろう?もしかしたら今度こそお前の連れ合いになってくれる女の子かもしれないんだし」


「そう簡単な話じゃあ無い」


 一見、上手くいっていそうなのに、何故だか暗い表情になる李仁が不思議だった。いつものような照れとも違う複雑な表情が智也は気にかかった。


「なんか、問題でもあるのか?」


 李仁は何か言い掛けるように唇が動いたが、結局思い直すように再び口を閉じてししまうと、諦めたように笑った。


「まあいいさ」


「何がまあ良いんだ?お前がそんな言い方をする時は絶対に何かある」


 揶揄いでは無く、真剣に李仁を考えての言葉だったが、李仁は智也の肩をポンと一つ叩いただけで自分も奥に引っ込んでしまった。


「何だ?あいつ。釈然とせんなあ」


 その後ろ姿を見送りながら、智也は憮然とした表情を浮かべ、目の前を過ぎる従業員を手招きで呼び止めた。


「おおい、君、君、ちょっと…」



 智也が、物見高く棗の事を従業員たちにあれこれ聞き回っている頃、棗と李仁は裏の倉庫に居た。


「何で佐倉さんにちゃんと紹介して下さらなかったんですか?」


「あいつにあれこれ詮索されるとろくなことにならない。以前付き合っていた彼女達もアイツの、」


そう言いかけて止めたのは、棗の眉間にシワが寄せられたからだ。


「彼女達。ですか。ふーん、随分おモテになったんですね」


「む、…昔の話しだ」


「ふぅん」


 棗はつまらなそうに素っ気なく後ろを向いてしまった。焦った李仁が、棗の両腕を掴むと己に向かせた。

途端に可笑しそうに棗が吹き出した。


「ふふふっ、可愛い。李仁さん」


 不覚にも揶揄われて李仁は羞恥した。

悔し紛れに棗を物影に引っ張り込むと、強引に口付けた。


「あんまりオレを煽るなよ?今夜どうなっても知らないぞ」 


「ふふっ、どうなるんですか?」


 棗は性悪猫のような目つきで李仁の胸にしな垂れ掛かると、李人は棗の袖の中へと手を差し入れた。


「さあ、どうなるかな?」


 襦袢の下に隠された腕を、じっくりと這い登って行く掌。それは棗の背中へと潜り込み、素肌を愉しむように掻き乱した。


「は…ぁ、李仁さんの手、あったかくて気持ちいい…」


 棗は胸元で喘いでいるような吐息を漏らすと、同じように李仁の袖から手を這わせ、着物の下に隠されている逞しい腕や背中を弄った。

着物に身を包まれていながら、二人はさながら素肌で抱き合っているような感覚に束の間溺れた。


 智也はあらかた二人に関する噂を仕入れて帰るところだった。

裏から来て表から帰る。表から来て裏から帰る。智也は自由人だった。


「李仁ー、帰るぞー」


 この日は表から来て裏から帰るつもりだった。暗い倉庫の中に足を踏み入れると、二人の忍び笑いが聞こえて来る。声のした方に目をやると、積み上げられた荷物の影で李仁と棗が着物の下の軀を弄り合っているのが見えた。

 ヤバいものを見たと思い、咄嗟に智也は柱の影へと身を隠した。

僅かな靴音に、恐らく棗だけが気がついた。淫らに着物を乱して口付けあっていた棗と目があった気がした。棗は驚きもせずに、李仁と抱き合いながら、うっそりと智也に笑ってみせたのだった。

 倉庫の中の空気の色が違う。何か恐ろしいものを見た気がして、智也は逃げるようにその場を離れた。

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