第4話 ワケアリ

 眠れなかった。ショーが終わった高揚感からでは無い。言い知れない苛立ちと疑問。そして心配。色々な感情だけを残してあの場を去って行った棗の事で李仁の心は掻き乱されていた。


あの「はる君」とやらは何なんだ?

ホテルの従業員が止めてくれなければ奴は会場に乱入していた。そう、あれは正しく乱入だ。

明らかに酩酊した状態で、棗を出せとか、分かってるんだぞとか、まるで暴力亭主だ!


 あの後の事を思い出しては、むしゃくしゃとした気持ちで李仁はベッドから勢いよく起き上がった。ホテルの従業員に平謝りし、恐縮しながら棗はあの男を引きずるように連れ、逃げるように帰っていった。そんな姿がずっと頭と心を占めていた。


店に来た時、二人で幸せそうにしてたじゃ無いか。

本当はそんなんじゃ無いのか?

あの後あの男に暴力など受けてはいないだろうか。

辛い思いをしているのでは無いのか。

訳を聞きたい。

だが連絡先を知らない。


 後で聞くつもりがあんなゴタゴタで聞きそびれた事を李仁は酷く悔いていた。どうにも寝付けず、冷蔵庫から水を取り出して一気に飲むと、手の中のペットボトルを握り潰した。





「おはよう。昨日はお疲れ様」


 それでも朝はやって来る。

従業員に普段通りの挨拶をすると、まるで今ふいに思いついたように尋ねてみた。


「あのさー、代打でステージに立ってくれたモデルさん、連絡先なんか分かるかい?報酬をね、渡さないといけないだろう?」

「ああ、確かひかえてあると思いますよ。でも、報酬ならもう昨日のうちにお渡ししてます」


 気が効くでしょう?的な笑みで答える従業員に罪はない。

罪はないが、内心余計な事をしてくれたなと、こちらも笑顔で「ありがとう」などと返すしか無い。


「ほら、何があればまたモデルさんをお願いしたいと思って」

「そうですね、あの方本当に素敵な方でしたもんね」


察しろ!


 連絡先を聞き出す口実をことごとくつぶして来る従業員を恨めしげに眺めていると、店へと客の入って来る気配に反射的に「いらっしゃいませ」と声が出た。


「昨日はお疲れ様でした」


 そこに居たのは着物姿の棗だった。まるで何事も無かったような明るい笑顔に李仁は拍子抜けした。


「あ、い、いらっしゃい。お疲れ様。元気で良かった」


 元気で良かっただって? 妙に気を使った挨拶をしてしまったと内心汗をかいていた。


「元気ですよー、藤城さんはなんだか寝不足ですか?目の下にクマができてますよ?」


そう、寝不足です。君のせいで。


 大きな目が下からじっと覗き込んで来る。今までで一番近距離で見つめられると、いっそう棗の顔立ちの良さに魅入ってしまう。


「今日は藤城さんをお誘いに来たんです。楽しい経験をさせて頂いたお礼にお食事でもご一緒しませんか?」


 自分が言い出せそうも無い言葉を棗は糸も容易くサラリと言って来た。学生時代のモテ体質の効果は消えていなかった。向こうからチャンスが転がり込んだ。と、その筈だったが、学生時代とは違い、様々大人の事情というものがある。手放しで喜ぶわけにもいかなかった。特にあんな場面を目撃した後だった。


「わあ、嬉しいけど、その。私など誘っても大丈夫?」

「何がです?お礼にご飯って、何かまずいですか?」


 クスクスと可笑しそうに笑われて、李仁は恥ずかしくなった。

そうなのだ。「お礼の」食事なのだ。変な期待をしているのが丸分かりだった事に気がついた。


「そうか、まずくは、無いか。ハハっ、そうだよね、では

一緒に食事に行きましょう。ぜひ」


まるでジェットコースターだ。

棗の一挙手一投足に振り回されて、

気持ちの振り幅がハンパない。

喜び。

落ち込み。

喜び。

落ち込み。

また喜ぶ。


 色々な意味で李仁は人生を謳歌していた。だが、やはり「はる君」の事は気にかかる。食事をするだけの友人と言うものが、はたしてあの「はる君」に通用するのか?


彼はオレと食事をする事を知っているんだろうか。


 一抹の不安はあったものの、店の定休日の前日の夜、駅前で待ち合わせをする事になった。棗が最近オープンしたばかりのイタリアンレストランに予約を入れてくれていた。有名シェフのいる人気の店は、出店したばかりだというのに予約を取るのが難しいと評判の店だった。

 駅の改札からは帰宅する人々の群れが電車の停車時間に合わせて多くなったり少なくなったり。電車で来るのか歩いてくるのか、それすらも分からなかったが、人混みに紛れても棗は直ぐに分かるだろう。

李仁はいつも着物を着ていたが、珍しくこの日はラフなジャケット姿だ。李仁にとって着物は戦闘服。だが今日はそんな物は必要ない。


 棗はどんな格好で来るのだろう。着物姿は勿論素敵だが、パーティーの時の洋服姿も素敵だった。そんな妄想を膨らませ、五分程遅れているのもたいして気にはならなかったかった。女性は何かと大変だ。多少遅れるのなんてどうと言う事もない。いつも人に対して寛容な李仁だったが、それから十分が過ぎ、二十分が経ち、三十分となると流石に不安になって来た。


何かあったのだろうか?

まさかここに来る間、事故にでも…。

それとも待ち合わせの場所を間違えたか?

いや、そもそも時間が違ったか?


 連絡してみるかと思ったが、いつも棗が直接店に来るものだから、携帯の番号をまた聞き忘れていた事に気がついた。


「何やってるんだオレは!」


 立つ場所を変えてみたり、駅前周辺をうろうろと歩いてみたり、更に時間が経ち、駅前の人影もだいぶ寂しくなった頃、忙しく小走りで近づく下駄の音に気がついた。


「ごめんなさい…っ、私、わたし」


 棗は息を切らせて走って来たせいか、だいぶ息が上がっている。

遅れた事よりも、純粋に棗の事が心配だった。急いで自分からも棗の元へと走った。


「白山さん!大丈夫かい?!どうした?!」


 街頭の明かりに照らされて、棗の瞳が滲む涙に光っていた。李仁を見た途端、棗はその場にしゃがみ込んでしまった。

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