第3話 大輪の紅椿

 そこそこ大きなショッピングモールであったとしても、有名人のショーでもない限り、見物客で黒山の人だかりと言うわけにはいかない。

 ましてや着物のショーである。出だしは疎らで李仁もそれは折込済みだ。

 そんなステージの上では、李仁が慣れないマイクを握り、着物の魅力について語っていた。

 あまり長い話が好まれないのは冠婚葬祭もショーのスピーチも同じだ。きっちり三分、測ったように切り上げた。

 ステージの袖に引っ込むと、衝立ついたての後ろで順番待ちをしている棗の姿が目に入る。いきなりの李仁の依頼にも拘らず、二つ返事で快く引き受けてくれた。有り難かったが同時に不思議でもあった。


「大丈夫?」


 舞台袖からステージを覗き込むように立っているその背中に声を掛けた。


「はい。大丈夫です。少しずつお客様が立ち止まってくれていますね。ワクワクします」


 普通はここで、不安そうにする所だが、度胸があると言うか、肝が座っていると言うか、嬉々としている様子に安堵した。

 着物のモデルというのは、洋服よりも動きが制限される分、モデルとしての身のこなしがダイレクトに客に伝わってしまう。

 しかも、ここはショッピングモールの一角だ。ランウェイも短くあまり見せ場が作れない。そんな中で次々と上手にモデルは着物を魅せる。

 古典柄に現代柄、伝統的な織りや斬新な染め。着物にブーツ。羽織にセーター。袴にTシャツ。新しい帯結びの豊富なアレンジ等がセンス良く散りばめられ、其々のモデル達が卒無く着こなして行く。気づけばフロアは観客で一杯になっていた。

 そんな中、その場が一瞬、どよめく瞬間があった。緋色の燃えるような振袖に、タートルの黒いセーターを合わせ、シンプルで力強い着こなしで棗がステージに現れた。

 長い首が、スレンダーな肩が、帯に巻かれた細腰が、誰の目にも美しく映えて見えた。髪に飾られた大きな椿の花は、うっかりすると滑稽に映るが、それがシャープな黒髪ボブに、ゾッとするほど美しく咲いていた。

 だがこの着物が棗にぴったりと合っていたというだけでは無い。彼女の立ち居振る舞いや、視線の運び、醸される佇まいそのものが、この場にいた誰をも惹きつけた。

 素人では無い。李仁は直感的にそう思った。

 棗の二着目の着物は先程と打って変わって伝統的な淡い萌黄色の振袖だった。見事な手描きの友禅染めに身を包んだ棗は慎ましやかな風情を醸し、先程の真紅の着物の時とは明らかに魅せ方を変えていた。

 李仁は夢見心地だった。恐らくここにいたお客達も、同じ思いを共有していたに違いない。

 そして眩い時間はあっという間に過ぎた。この短い時間で沢山の花々が美しく咲き誇った。



 この日の夜。スタッフやモデル達の労いを込めて、李仁はホテルの一室を貸し切り、打ち上げの席を設けていた。

 立食形式の簡単なパーティーではあったが、様々な各方面のお歴々が、藤城呉服店の次男坊のために足を運んでくれていた。


「本日はわざわざ御運び頂いて有難うございました」


 李仁は何人もの客の間を挨拶して回るだけで精一杯だった。

 その合間にも、来られなくなったモデルへの見舞いの電話や、両親の機嫌取りで息つく間も無い。さっきから同じグラスをずっと手に持っていたのも気がつかなかった。


「お取り返えしますよ」


「ああ、有難う」


 己の手からグラスを取り上げられ、新しくグラスが差し出された。何も考えずにそれを受け取り、口元へと持って行くと「お疲れ様でした」と棗の声。視線を落とすとそれはボーイでは無く、洋服に着替えた棗だった。李仁は慌てて口に含んだシャンパンに咽せた。


「ああ、白山さん!今日は本当に有り難う。とても助かりました」

「いいえ、こちらこそ貴重な体験をさせて頂いて、とても楽しかった」


 タートルの黒いセーターは先程のショーの時とさほど変わらなかったが、その下にはオレンジ色のピタリとしたスキニーを履いていた。スレンダーな身体が一層際立って見え、どこと無くボーイッシュな印象さえ与えた。


「楽しんで貰えたなら良かった。

ところで、つかぬ事をお聞きしますが

何処かで和装モデルの経験が?」


 李仁はショーの時に感じた直感を確かめたかった。

棗は少しはにかんだ様子で、頷いた。


「去年いっぱいで辞めましたが、ほんのかじった程度です」

「やっぱりそうでしたか!

でも辞めてしまったなんて、なんて勿体無い。

貴方はとても生き生きと見えた」


 正直な気持ちだった。今日、会場を一番沸かせたのは棗だった。欲目抜きにしてもそう思った。

 しかしその言葉を聞いた棗からは思いもよらない反応が返された。それまでの柔らかな微笑みが消え、瞳が動揺しているように揺らぎ、悲しみとも不安とも違う一言では言い表せない、とても複雑な顔で目を伏せた。


何かとてもまずい事を自分は言ってしまったのか?


 李仁は動揺した。そして慌てて繕うように適当な言葉を連ねた。


「今日の会場は少し狭かったですよね、歩き辛くは無かったですか?」


 どうでも良い会話だった。とにかく棗の気持ちを立て直したかった。焦って上手な会話の糸口が掴めない。

 ちょうどその時だ。会場の外で誰かが騒いでいる声が聞こえて来た。


「お客様!困ります!お待ち下さい!」


 ホテルの従業員の甲高い声かした。続いて男の声で、誰かを呼んでこいだとか、分かってるんだぞとか、物騒な物言いで何人かの従業員に止められているような、小競り合う物音が聞こえてきた。その物音にしばし会場が騒然となった。


何だろう?


会場の外へと李仁の足が向きかけた時、それよりも早く棗が慌てた様子で会場の外へと飛び出していた。


「止めて!!はる君!!」


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