第2話 邂逅

 藤城李仁ふじきりひとは老舗呉服店の次男坊だ。

長男の一久かずひさは当然呉服店の跡取りで、昔から蝶よ花よと両親の期待を一身に受けて育てられたが、次男坊と言うのは呑気な物で、そう言った重圧も無ければ両親の期待も薄い。

 兄の手伝いなど適当にして、後はぶらぶらしていたとしても、何とか生きてはいけるだろうが、それでは世間への体裁が悪い。

 そこで呉服店の二号店など持たされて、成功すれば良し、失敗してもまあ仕方ないかくらいに、ささやかな店を当てがわれた。だからと言って、仕事が適当と言う訳でもなく、そこそこ店は繁盛しているようだった。


 この日もネオジャパネスクを意識した、新しい着物の着方などを紹介する企画を立て、地元のショッピングモールでカジュアルなファッションショーを開催することになっていた。

 日中は賑わいを見せるショッピングモールも、開店前となると静かな物だ。吹き抜けになった広場を上から眺め、準備の進むステージを李仁は俯瞰に眺めた。

 小さなファッションショーとは言え、この日の為に李仁は半年も前から入念な準備を進めて来た。

コンセプトに合った着物を選び、小物を揃え、音楽や照明、演出。その殆どと言っていい程に自らが手を入れていた。

やっとここまで漕ぎ着けた。

感慨一入だった。


「ご苦労さん」


 感慨に耽る李仁の肩を背後から叩く者がいた。振り向くとそこには、大学時代の同期で李仁の悪友、佐倉智也さくらともやがいた。慣れない着物姿は着るというより、着られている感じがして、李仁は笑いを噛み殺すのに苦労した。


「こんな早くから何しに来たんだ。

しかし、似合わんなあ、今日は七五三か?」

「酷いなあ、お前の晴れ舞台をわざわざ見に来てやったんだよ?しかも今日は正装だ」


 三揃いの羽織りの袖を、得意げな様子で智也は開いて見せた。


「そんな着物、うちの店にあったか?」

「お前んとこの、実家で誂えたんだ」

「どおりで古臭いと思ったよ」

「そんな事言うと一久にチクるぞ」


 智也は李仁の兄だと言うのに、昔から呼び捨てで呼ぶ。

そんな親しげな会話を下階のステージから、大声で遮る者がいた。


「店長!どうしましょう!モデルさんが一人来られません!」


 従業員が身振り手振りも慌てた様子で、李仁に叫んできた。

李仁は店内の時計に目をやると、智也を置き去りに、急いで従業員の元へと、エスカレーターを駆け下りて来た。


「六番番と十五番の着物を着る予定の子が、急に盲腸になっちゃったらしいです!どうしましょうか?」

「あと一時間あるね。他のモデルさんを重複してお願いするしか無いな」


バックステージの衝立の影で、李仁と従業員のミニ会議が行われている最中、開店したショッピングモールのドアが開かれ、待ち構えていた買い物客がなだれ込む。俄かに辺りが活気づいて来ると、小さなアクシデントにも内心焦りを感じてしまう。


 そんな時、何処かで聞き覚えのある明るい声音が、李仁の耳を掠めた。

 買い物客の中に急いて視線を巡らせると、まるでそこだけがスポットライトでも当たったように、ある一人の人物に李仁の視線が吸い寄せられた。

 美しい黒艶髪。闊達な動きをするアーモンドアイ。椿の唇。淡雪の肌。慣れた着こなしの着物姿。


ー 彼女だ ー


 従業員との会話を途切らせると、まるで吸い寄せられるかのようにその人の前へと李仁は飛び出していた。


「モデルに、着物のモデルになって貰えませんか」


 何の前置きも無く、彼女の目の前に立ちはだかる不審な男。

彼女から見れば、李仁など見知らぬ男。普通なら怖がられても仕方が無い所だが、彼女は驚いた顔をしながらも、何も事情を聞かずに「はい」と答えて微笑んだのだ。


 李仁の耳に漸く人々の雑踏が戻って来た。


「すみません、突然なお願いをして。

以前、うちの店で下駄を買って頂きました。

店主の藤城李仁ふじきりひとと言います」


 腰を低く挨拶をすると、元々明るい表情の彼女の頬が、一層明るくいろを灯した。


「良く覚えてます。あの後も、お店の前で何度かお見かけしていました。私は白山棗しろやまなつめと言います」


 彼女がペコリとお辞儀をすると、ボブの髪先が首元で揺れた。

このところ李仁の頭を締めていた人の名前がついに分かった。

 白山棗しろやまなつめ彼女を思い浮かべる時、名前があるのと無いのとでは随分と違う。


「今日ここで着物のショーをやるんですが、モデルの女性が急に来られなくなりまして。

その、貴女の着こなしが、とてもこなれていたものだから」


『美しかったものだから』と、そう喉元まで出かかるが、良く知りもしない男からこんな言葉をかけられては気味が悪かろうと寸止めた。

年相応の分別はあるつもりだ。


「今日はお連れの方は一緒では無いんですか?」


 勿論、お連れの方と言うのは『はる君』のことだったのだが、それを言った途端、余計なことを言ってしまったと後悔した。

だが棗は何故か少し寂しげに微笑んで首を横に振った。


「着物を着るのが小さい頃から好きで、お祖母様に着方などを教えてもらったんです。普段から良く着ているものだから…」


 彼女と話していると、切羽詰まった状況も忘れ、まるでデートでもしている錯覚に陥ってしまう。だが時は無情だ。ショーが始まる時間が迫っていた。流石にのんびりともしても居られず、スタッフの元に彼女を預け、後ろ髪を山ほど引かれながら李仁は慌ただしくその場を離れた。


「見てたぞ、お安くないな。こんな時にナンパかよ」


 ゆっくりと追いついて来た智也に軽口を叩かれる。そんなんじゃないさと言いながらも、李仁の心は浮き足立っていた。

 それは人生初めてのファッションショーと言う事もあったが、棗に一歩だけ近づけたと言うささやかな興奮に、胸が膨らんでいたからなのかもしれない。


 ショーの開始を告げる場内アナウンスが流れた。

音楽と光。華やかな着物姿のモデル達。いよいよショーが幕を開けたのだ。

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