第2話 可愛そうなトカゲ

 俺が精霊を抱き上げるのとほぼ同時。

 俺の背後を馬ぐらい大きな白銀色の狼が駆け抜けていった。

 ただの狼ではない。

 魔物の狼である魔狼でもない。


 狼の精霊だ。

 その精霊は、目の覚めるような美しい狼だった。


 その狼が駆け抜けてから数秒後。

 今度は監督生が駆け込んできた。


「はあはあ。大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「私は大丈夫ですが、この子が怪我をしています」

「これはひどいですわ。治療しましょう。保健室に案内いたしますわ」

「ありがとうございます。……もしかして先ほどの狼は?」

「はい。私の契約精霊ですわ」

「そうでしたか。見事な使い魔ですね」


 使い魔と契約すると、魔導師自身も急激に強くなる。

 だが、強い精霊ほど、契約するには魔導師自身にも高い力量が求められる。

 魔導師の使い魔の戦闘力はたいしたことがない場合がほとんどなのだ。


 先ほど駆け抜けていった巨大な狼は、明らかに強い。

 熟練の剣士を千人集めても、勝てないだろう。

 魔導師相手でも数十人ぐらいなら一頭で倒しそうだ。


「いえ、フェリルは使い魔ではありませんわ。対等な相棒ですから」

「これは失礼いたしました」


 監督生の使い魔、もとい契約精霊の名はフェリルと言うらしい。

 それはともかく、先ほどの生徒たちとは違い、監督生は精霊を大切に思っているようだ。

 このトカゲの子も大切にしてもらえる魔導師に召喚されたら、こんなにひどい目に遭わなくて済んだだろう。 


 保健室へと足早に向かう途中、監督生が言う。


「先ほど、魔法を斬ったように見えましたが、どうやったらそんなことが可能になるのですか?」

「速すぎれば無理です。ですがあの程度ならば、矢を斬り落すのと大差はありません」


 魔力自体を見ることはできない。

 だが、魔法は炎や氷など、目で見えるかたちで放たれることがほとんどだ。

 ならば、斬ることは可能だ。


「あの若様方は、使い魔、いえ精霊と契約されていませんでしたからね。魔法自体が遅かったので」


 精霊と契約しているかいないかで魔導師の戦闘力は大きく異なる。

 精霊と未契約の魔導師は、先ほどの生徒たちのように発動に詠唱を必要とする。

 飛ぶ速度も遅い。


 だから、未契約の魔導師は、熟達していたとしても、戦闘力は熟練の弓兵と大差ない。

 未熟なうえ、未契約の魔導師ならば、その魔法の戦闘力は投石と大差ない。

 だからこそ、魔法革命以前には剣士と弓兵には役割があったとも言える。


 実際、魔法革命以前、俺は魔導師相手に負けたことはなかった。


 だが、現在の魔導師は、ほとんど全員が大人となる前に精霊と契約する。

 契約済み魔導師は無詠唱で魔法を放つ。

 そのうえ、放たれる魔法の速さも音速に近い。


 剣や槍、弓でどうにか出来るレベルではないのだ。


「契約前の魔導師の放った魔法だとしても、お見事でしたわ」

「ありがとうございます。魔法革命の前は剣で生活していたんですよ」


 そして保健室に到着する。

 監督生が、トカゲの精霊の治療道具を準備してくれた。


「ぎゅぎゅる」


 怯えていたトカゲも、俺に抱かれている間に少し安心したようだ。


「大丈夫だよ。怪我を治すだけだからね」

「……ぎゅ」


 ひしっと短くて細い手足で俺にしがみついている。


「少しだけ染みるかも知れないけど我慢するんだよ」


 優しく言い聞かせながら、傷を消毒し、包帯を巻いていく。

 トカゲは、傷を消毒したとき、一瞬「ぎゃっ」と鳴いたが、暴れることはなかった。


 治療が終わると、監督生が尋ねてくる。

「この精霊はどうなされますか?」

「どうしましょう? 私は魔導師ではないですし……、私が保護するのは難しいですよね」

「……ですが、あの生徒に責任を取らせて契約させても……いいことにはならないと思いますわ」


 また、トカゲはひどい目に遭わされるに違いない。

 かといって、自分で召喚したわけでもない精霊、しかも魔力三の精霊と契約してくれる魔導師もいないだろう。

 通常、魔導師は一体の精霊としか契約できないのだ。


「……ぎゅるじゅ」


 トカゲはこちらの会話がわかるのか、不安そうな目でこちらをじっと見る。

 このトカゲを見捨てることはしたくない。


「できれば、私が保護したいのですが……」

「精霊を養うにはそれなりにお金がかかりますが……」

「具体的には、どのくらいでしょう?」

「ええっと……」


 監督生は精霊を養うのにかかる大体の金額を教えてくれた。

 それは、大体俺の稼ぎの三分の一ぐらいだ。

 仕事を増やすか、食事の質を落とせば、なんとかなるだろう。


「そのぐらいなら、なんとかなると思います」


 俺がそう言うと、監督生は笑顔になった。


「あの、私はリルといいます。リル・ペリシエですわ」

「ご丁寧にどうも。私はグレン・ランズベリーです」

「よろしくおねがいします。ランズベリーさん。学院長の方に私が責任を持って書類を提出しておきますわ」

「えっと、つまり?」

「はい、そのまま、その子と一緒に暮らして頂いて問題ないですわ」


 どうやら、書類を提出すれば、問題ないようだ。

 監督生リルが俺の名前を聞いたのは、書類作成に必要だからだったらしい。

 それから、俺は精霊の世話の仕方をリルに教わったのだった。



 保健室から出ると、先ほど駆け抜けていったリルの契約精霊、巨大な狼フェリルがいた。

 フェリルは生徒一人の背中部分の服を咥え、生徒二人を前足で押さえつけている。

 その生徒たちは、さきほどトカゲをいじめていた三人だ。

 どうやら、リルはフェリルを使って生徒を捕まえさせたようだ。


「離せ! 俺は貴族だぞ!」

「父上に言いつけてやる! 父上は伯爵だぞ!」

「監督生だかなんだか知らないが、こんなことをして許されると思うな!」


 三人の生徒は怒って悪態をついていた。

 生徒たちはフェリルが、監督生リルの使い魔であることも知っているらしい。


「……じゅ、ぎゅる」


 三人の怒声にトカゲが怯えてプルプル震え、俺にしがみつく。

 俺はそんなトカゲを抱きしめて、優しく撫でる。


 一方、監督生リルは冷たい目で生徒たちを睨んだ。


「黙れ。学院の恥が。魔導師の風上にもおけないクズどもめ」


 リルの口調はこれまでの優しく上品だったものから豹変していた。

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