間章 弐<予兆>

 夜更けに救護所の扉が激しく叩かれた。

 教会に併設する救護所には明かりが灯っていたが、中から応答があったのは数分後だった。

 目を擦りながら若い司祭が扉を開けると、息を乱した兵士が語気荒く詰め寄ってきた。

 兵士は上司祭を求めたが、あいにく不在であった。

 教会が救護所を兼ねているのは、「洞」の影響が大きかった。

 怪我や病などは言うに及ばず、呪いの類や瀕死の冒険者らが毎日のようにここに運ばれてくる。つまりは司祭は教会の雑務以上にこうした手当を担当し、司祭の手に追えない重症や重病人、重篤な呪詛については上司祭が扱うことになっていた。

 つまりは、今はひどい怪我や病にはここでは対応できない。ここから少し離れた、さらに大きな町の大教会まで行かねばならないということだった。

 それでも、兵士は食らいついた。

 何としても連絡を取ってほしい、と懇願する兵士に、司祭は首を傾げた。

 重症人なら毎日のように出ている。命を落とす者も珍しくない。それなのになぜ、この兵士はここまで焦っているのか。

 兵士もそのことを伝えるのを失念していた。

「今回のは……第三層からの帰還者マレビトだ」


 そこでようやく、司祭にも理解できた。

 ほとんどの冒険者が赴くのは第一層。一部の熟練者が到達するのが第二層。

 つまり、第三層の情報は全くと言っていいほどに広まっていない。

 もちろん、一部の有力者が握っているということもあるが、それでも真偽を確かめるのは容易ではない。第二層であっても、眉唾ものの話がいくつもあるくらいだ。

 第三層ともなれば、それは希少な「神鋳カムイ」と同格と言ってもよいだろう。

 若い司祭はすぐに向かうことを約束すると、大教会へ向かう任を頼むべく、まだ眠っている仲間を叩き起こした。


 「洞」第一層で発見されたのは、軽剣士の女だった。

 軽装は破壊され、特に腹部の怪我がひどかった。革鎧が大きく穿たれ、黒く濁った血が息をするごとに溢れてきている。

 喉に詰まった血を吐き出しながら、女は第三層から戻ったと伝えた。

 それだけなら信じる者も少なかっただろう。己の力を鼓舞する者はごまんといる。

 だが、言葉以上にこの女が自分たちの知らぬ、未知の領域に足を踏み込んだことを伝えるものがあった。

 それは左腕だった。肩から指先に至るまで、黒く変色した皮膚を突き破らんばかりに醜く腫れあがり、じくじくと血膿を滲ませている。まるで腐った茄子のようになった傷口から、顔を背けたくなるほどに匂う汁が滴っている。誰の目にも、もはや腕は使い物にならないことは明らかだった。

 毒をもつ魔物はいるのは第二層。だがそれは不潔な環境で大きく育った齧歯類の牙によるものだ。嘔吐と高熱、脱水症状に苦しむ毒だと聞いている。だから救助した者は誰も、こんなにもひどい毒は聞いたことがなかった。

 女性は急いで担架で「洞」から運び出された。警邏中の兵士がそれを発見し、町へと伝える。夜更けにもかかわらず、緊急事態に人々は色めきだった。


 そして人々に不安と混乱をもたらしたことが、もう一つ起きた。

「ジュリアン様にお目通りを」

 そう言い残し、明け方に女は息を引き取った。

 ジュリアンとは、この町周辺を統治している貴族、アイアトン家の当主の名だった。

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