第一章第四節<白旗>
建物の門をくぐり抜けたイースを出迎えたのは、広場だった。
館のようなところに入るのかと思っていたが、どうやら関所のようなものらしかった。目の前に広がっているのはたくさんの人々が集まる、町外れ。そこに太い杭が数本建てられ、その上には係りの男の話通りに色分けされた旗が結び付けられている。人々は、「洞」志願者はそこを目印にして集まっているというわけだ。
白い旗は一番手前に見つかった。
その奥には赤と青、緑と黒。全部で五つの杭があった。
白い旗に集まっているのは大半が子供たちだった。自分よりも年上はあまりいない。皆それぞれに襤褸を纏い、細い腕と傷だらけの素足だった。感情というものが宿っていないような目をした子供もいる。まだ母親に甘えたい盛りの年ごろもいた。
集まっている子供たちは自分を入れると十人程度だった。その中で一人だけ、背の高い少年がいた。恐らくは年上だろう。体つきも他の子供よりは整っていた。
しばらく待っても、何も起きなかった。
恐らくは、あの人の波が落ち着くまでは人手が足りないのだろう。イースは諦めて周りの様子を眺めることにした。
ここから一番近いのは青の旗の杭だった。
集まっているのは大人ばかり。男と女のどちらもいたが、やや女のほうが多いくらいだった。大きな荷物を担いでいる者もいたし、革鎧を身に着けている者もいた。
そこから少し離れたところに、赤い旗の杭があった。赤い旗に集まっているのはほとんどが男だった。しかも信じられないほどに盛り上がった筋肉と分厚い胸板をしている者たちがほとんどだった。イースがこれまで見たこともないほどに、生命力に溢れた者たちばかりだった。
恐らくは赤い旗の男たちは戦士として生きてきたのだろう。それでは青い旗は。
そこまで考えたときだった。
「おい」
子供の声がした。不思議なもので、自分に向けられた声は何故か分かるものだ。
横を向くと、先程の背の高い少年がこちらを見ていた。どう見ても好意的だとは受け取れないような、鋭い目つきだった。
「お前、何ができんだよ」
それは質問というよりも威圧だった。体格でも膂力でも、この少年のほうが上回っていることは分かっているはずだ。それでもなお聞いてくるということは、相手の口から己の無力を語らせたいのだろう。
この手の人間は村にもいた。この手の視線は覚えがある。
見返してやりたかったが、都合よくそんな力があるわけでもない。
相手が大人であれば、こちらにできることは何もない。ただ黙って立ち去るのが一番だった。そこで掴みかかってくるような輩もいたが、それは運が悪かっただけだ。もしくは子供に莫迦にされたと受け止める狭量な人間だというだけだ。
しかし相手は子供だった。子供同士にはそれなりの律がある。
だからイースは黙っていた。しかし少年から視線を逸らすこともなかった。
ただひたすらに、黙したまま相手を睨みつける。空虚な瞳ではなく、敵意に満ちた視線でだ。相手から謂れのない悪意を向けられても、何もし返さないような腑抜けではないという証明だった。
「てめえッ……!」
予想通り、頭に血が上った少年は拳を固めた。腕を振り上げ、固く握った拳を振り下ろしてくる。
恐らく、少年は情けない声を上げるか、泣き顔になって頭を庇うか、それとも無様に泥の中に転ぶかを想像していたのだろう。だがイースはどれでもなかった。
イースは動かなかった。動じる素振りすらなかった。
舞い飛ぶ枯葉に怯える子供などいない。これから振り下ろされる拳などその程度だ、と言わんばかりに、イースは動かなかった。
それはイースからの挑戦状だった。殴るというなら殴ってみろ。殴られることでお前の力を量ってやる。殴っても相手をよろめかせることすらできないのなら、お前は恥をかくことになる。
少年の筋書きが乱れた。乱された。
引くに引けなくなった少年が意を決して拳を叩きつけようとしたときだった。
「何をやっている」
太い声がして、影がずいと割り込んできた。
恐らくは白い旗に集まった子供たちの担当の者なのだろう。大人の男、しかも十分に訓練を積み、滋養のある食事をしている者からすれば、子供同士の喧嘩など取るに足りぬ。担当の男は少年の腕をやおら掴み、突き飛ばした。
「面倒ごとは他所でやれ」
俺に手間をかけさせるな、ということだろう。何も男は善意でイースを助けたわけではなかった。自分の目の前で、問題が起こるのが嫌なだけだ。
その場の決着はついていた。イースは少年から視線を逸らし、男の後について歩くようにして少しだけ場所を変えた。
案の定、その男は杭の前にある小さな台の上に上り、集まった子供たちを見回している。数を数え、何かを考えながら頷き、そして口を開いた。
男の話はこうだった。
白い旗というのは、何の技量も持ち合わせていない、または未熟なままの者が集まる場所だということだった。
赤い旗は戦士、青い旗は剣士。緑の旗は魔術や呪術を扱う者、黒い旗は罠を仕掛けたり敵地に忍び込んだりする技術に長けた者たちだった。正直、黒い旗の説明はイースにはよくわからなかった。
これから、自分たちはなにができるかを申告することになった。
とはいえ、鍛え抜かれた大人たちと肩を並べられるほど甘くはない。白い旗の子供用の木剣や道具などで、最低限の技を見せろということだった。
上手くすることに問題はないが、うまくいかずともよい、と男は微笑みながら言った。お前たちは子供で、技量が劣ることなど分かっている。だからできなかったとしても、ここから追い返されることはないと男は優しく言った。
剣や弓を扱ったことなど一度もなかったイースは当然、他の子供と同じような結果にしかならなかった。驚いたのは、教えらえた言葉を口にしただけで、杖の先に光を灯すことができた子供がいたことだった。
次にイースが挑戦したのは、扉の錠前外しだった。詳しいやり方など簡単にしか教えられなかったが、それでも他のものよりはできそうだった。
それは訓練用の簡単な錠前だった。鍵穴に細い針金を差し込み、中にある部品を押し上げながら、もう一本の針金で回す。説明はこれだけだった。
イースは並んでいる間、ずっと前だけを見ていた。正直、男の説明がよく分からなかった。しかし、順番に並んでいる子供たちがやっているのを見ているうちに、次第にやり方が理解できるようになってきた。
自分の番になった。今までと同じように、イースはまず一本目の針金を差し入れ、部品を押し上げるように動かしてみた。
鍵穴の中で、何かが引っかかる感触が分かった。もう一度。部品は針金を滑るようにしてうまくいかない。
イースは針金を一度抜くと、自分が思うように曲げてからやってみた。今度は弾かれることなく、押し上げることができた。もう一本の針金を差し込んで回してみると、固定されていた部分がスムーズに回転した。かちり、と手ごたえがあって、錠前の重い部分が傾いて留め金が外れる。
後ろに並んでいた子供たちから声が上がった。
それが、この町に来たイースが、初めて人に認められた第一歩となった。
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