間章 壱<洞>

 「洞」がいつからあるのか、知る者はいない。

 語り部にも伝説にも、その答えが見つかることはない。

 大地に穿たれた、巨大な「洞」。それによって、人々の暮らしは分断された。

 人々は「洞」の縁に沿うようにして街道を作った。街道を通る者が増えれば、それだけ賑わうことになる。賑わえば、そこで商いをする者が出てくる。

 そうして、宿場町が出来た。その中のいくつかは次第に大きくなっていった。それが「洞乃縁ウロノフチ」の町の始まりだった。


 しかし、その時代はまだ「洞」に人々が挑むことはなかった。

 「洞」は恐怖と畏敬の対象だった。「洞」を崇める者もいた。峻厳な絶壁に阻まれ、「洞」に近づくことができなかったということが、さらに「洞」の神秘を人々に訴えかけることとなった。


 約七百年ほど前に、歴史は大きく動いた。

 「洞」を取り囲む岩壁に綻びが発見された。岩壁の規模からすると些細な亀裂だったが、人が通るには十分すぎた。

 最初に「洞」に入り込んだのは、当時で言えば「ならず者」だった。「洞」への冒涜をものともせず、「洞」に何があるかを求めて入り込んだのだろう。伝説の中では、罪を犯し、神に見放された者が新たな地を求めて「洞」に入ったと言われている。

 彼らが無事に戻ることはなかった。それだけなら、向こう見ずな、恐れを知らぬ愚か者と一蹴されていただろう。

 幸か不幸か、一人だけが深手を負って帰ってきた。彼は町に戻り、ほどなく命を落とした。しかし、彼の死後、持ち物から奇妙なものが見つかった。

 それが何であったか、記録には残されていない。ただ一言「神鋳カムイ」と呼ばれた品だった。人々がかつて見たこともない、そしてどんな鍛冶屋でも作ることができない品だったと言われている。


 その時代から、伝説の変質が起きた。

 「古き書」では、「洞」に挑んだ者は神に見放された罪人だったが、後世の「日輪の書」では、彼らは真実を求めて旅に出た賢者となっていた。彼の持ち帰った「神鋳」は特別な品となって信仰対象となり、道標と言われた。

 それ以来、人々は「洞」に潜るようになった。

 新天地を求める開拓者。

 真理を求める求道者。

 「神鋳」を求める冒険者。

 時代を追うごとに、「洞」は少しずつ解明されていった。それにつれて、「神鋳」は増えていった。地上では決して作ることのできない「神鋳」はさらなる富と崇拝と結びつき、王家と貴族と宗教が生まれていった。


 そして、「洞」は今もなお深淵を口を開けている。

 そして、人々は今日も「洞」に挑んでいる。

 そして、「洞」は多くの者の血を啜り続けている。

 

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