21-2 虚の空間〜Элеонора,Цвета́ева
「天国へ行けば幸せになれる」
絶望した末に、ママは自爆した。志願したらしい。あいつらの口車に乗って。私は理解していた。利用されているのだと。けれど、他に選択肢が無かったことも理解していた。
最初のパパは、ロシアで捕まって死んだ。それから私とママは、ロシア人にされた。理由や意図は分からなかった。
2番目のパパは私の生まれ故郷を攻めに行って死んだ。
次のパパは、借金で飛び降りた。
次のパパは……。
私は、生きるために。自分を売り込んだ。精一杯、着飾って。露出の多いドレスで。
生き残るには。加えて、楽に生きるには。私には容姿という武器があった。多少痩せているのは、どうにか取り繕える。自分を売り込むんだ。『買ってくれ』と。
私のパパになってちょうだい、と。
✡✡✡
「………………
少女は自分の身に何が起きたか理解できなかった。
白かった。空も地面も。地平線の境は見えないほど。
地面は何やら、霧のような、靄のような物で満たされていて、自分の膝から下が見えなくなっている。
白い無地のワンピースを着ていた。肌も白い。髪も白い。
何もかも景色と、世界と融け込んでいくような場所に。少女の瞳だけが青く。
「…………
困り果てた表情の少女は、白い空を見上げて立ち尽くしていた。
✡✡✡
「人は死んだらどうなるか?」
「うん」
聞かなきゃいけない。私は一度経験したけど。それは私の主観だ。『狭間の世界』で死神と会って、成仏するか、克って裏世界へ行くか。
その様子は。周りから『どう』見えるのだろう。
「……ああ。君は例外だったな。プラータ・フォルトゥナに連れ去られたんだった」
「うん。『普通』を知りたいの。通常を」
「…………」
クロウ。私の旦那さん。死神。人の死と、魂のエキスパート。私が死んで、初めて出会った人。
私が淹れたコーヒーを飲みながら、その質問に顎を撫でた。
「以前、君が魔力枯渇になった時。君を助けるために『僕の狭間の世界』に君を呼んだ」
「うん」
「『あれ』が、『どこ』にあるか、ってことだ」
「……うん」
私が見付けた、ロシアの『銀の眼』ちゃんは。多分今、彼女の『狭間の世界』に居る。滅亡前なら協会から派遣される筈の死神が居ないから、成仏されてなくて。自分から成仏する気もなくて。怨霊になって地上に落ちることもなくて。
なら、どうなるんだろう。そういう
「正解を言うと、『魂』の内側にあるんだ。その人の精神の、最も『思い入れ』のある景色がある領域。肉体があった時には、誰も侵入できない不可侵領域」
「……そんなに特別な場所なんだ。私、普通のいつもの教室だったんだけど」
「君の場合は、僕が記憶を弄っていたこともあるけど。特に不満のない生活を送っていたんだろう。『いつもの』が当たり前のように『特別』だったんだ」
「…………そっか」
なら、取り敢えず魂の場所に行けば良いかな。猫を使って見付けた、ロシア西部に。
「『狭間の世界』では、時間も空間も現実世界と異なる。急ぐ理由があるとすれば、魂の収まっている幽体と肉体が危険に晒されているかどうかだね。肉体はもう死亡しているから、崩壊までタイムリミットがある。火葬なんかをされると幽体が自然に出てくるから、他の怨霊に食べられる前に助けないとね」
「分かった。じゃあやっぱり急がなきゃ!」
魂は感じたけど。肉体の状態は分からない。どうやって死んだのかは分からない。表世界崩壊に巻き込まれた可能性は高いけど、例えば普通に誰かに殺された可能性もある。
「『その子』を助ける理由は、『銀の眼だから』かい?」
「えっ」
クロウが私を見た。何かを確かめるように。
「……そう、だけど」
「『弟子にするため』かい?」
「………………」
私は。
同じように『狭間の世界』を彷徨っている魂が、山程沢山居る筈なのに。『その子だけ』を気に掛けている。救おうとしている。そして。連れ帰って、弟子にしようとしている。
プラータのように。
「……違うよ」
「じゃあなんで?」
私が今から『その子』の所へ向かう理由。言葉ではなんとでも言えるし、言い方と論理で偽善を誤魔化すこともできるし、印象を操作できる。だけどやっている事自体は変わらない。
「『同族だから』『保護する』んだよ。私は世界平和を目指してない。誰かに納得されてもされなくても良い。私は『銀の魔女』だから」
答えた。毅然と。
するとクロウは、穏やかに笑ってくれた。
「……大丈夫さ。イヴとユングフラウが動いてる。成仏を選ばなかった『無垢の魂』を全て、ウチのカヴンと
「えっ」
既に。
動いてた。まず解決すべきだった怨霊を片付けて、その後のことを。
「同族だから、保護するのさ。僕らは『死者の魂』だ。僕も、地球に残った数少ない死神として仕事がわんさかあってね。……君は、ロシアへ急いだ方が良い」
「…………どういうこと?」
「裏世界各国のお抱えの魔女やら怪物やらが。『狭間狩り』をやっている。奴隷や商品の仕入れとしてね。珍しい魂は、より危険だ。死神協会が介入しないから、やりたい放題なんだ」
「…………分かった」
狭間狩り。プラータのように。狭間の世界に乗り込んで、魂を拉致するんだ。
私のように。
✡✡✡
表では……。
もう分からない。表世界は、崩壊してる。街も何も、崩れて。瓦礫の上に、雪が積もっている。全部全部、雪が隠してる。
「ここ」
「…………まあ、死因は天災でしょうね。天界からの裁き。地震かしら」
今日は、襲音ちゃんが休みらしくて。
「ギンナに任せるわよ」
「……うん」
テレキネシスの魔法で、雪と瓦礫をどけていく。多分、お屋敷だった。お金持ちの家に居たのかな。高級そうな絨毯やシャンデリア、絵画なんかも掘っていく。
「この子だ」
「綺麗な子ですね」
「まだ、子供ね」
大きなベッドの残骸に埋もれていた。多分寝室かな。寝てたんだ。
金髪だ。雪のように白い肌。けど、血塗れだ。腕も脚も、きっと折れてる。ベッドと天井と……色んな物に潰されて、死亡したんだ。
「この子の寝室……じゃないよね」
「あっちに男の死体があるわ。飼われてたのよ。親子には見えないわ」
「……うん」
「ていうか死後1ヶ月でしょ? 結構状態良さそうなんだけど」
「気温が低いからでしょうね……」
ふくよかな男性の遺体も見る。魂はもう抜けてしまったみたい。成仏、したのかな。
「じゃ、やるね。クロウから教わった、魂の
座り込んで。手を握った。冷たい。私の意識を。
精神を。送り込む。
✡✡✡
「……
「!」
視界がホワイトアウトした。違う。
景色が全て、真っ白だった。空も地面も。地面には、脛くらいまでの高さに霧が掛かってる。これが、この子の『狭間の世界』?
すぐに、声がした。ロシア語だ。多分。見ると、女の子が立っていた。あの遺体と同じ顔。綺麗で整った顔。確かにまだ子供だけど。でもびっくりするくらい、綺麗。
「こんにちは」
「……
言葉は通じない。
触って、テレパシーを繋がないと。
銀髪、碧眼。
「
「?」
銀だけじゃない。青い魂とミックスになってる。こんなこと、あるんだ。この子はダブルだ。メルティさんとか、ヴィヴィさんと同じように。
「…………どうしよう。どうやって触ろう。警戒するよね」
「У
ちょっ。ロシア語分からないごめん。
手を広げて。ボディランゲージ。私はあなたの味方。怖くないよ。握手をしよう。そんな気持ちで。
「あっ」
「…………黒い服。天使じゃないのかしら。魔女?」
「こんにちは」
「……こんにちは……?」
来てくれた。何か確かめるように。私の手を取ってくれた。
目が合う。綺麗なブルーだ。何色って言うんだろう。メルティさんは確かサファイアブルーだよね。あの人の瞳は、レモンイエローだけど。
「私はギンナ・フォルトゥナ。あなたの名前は?」
「……エレオノーラ。姓と父称は、ころころ変わるからあんまり覚えていないの」
「エレオノーラ。いくつ?」
「11歳」
「……そう。ここがどこか、分かる?」
両手を握って。取り敢えず警戒は解けたみたい。精一杯、伝えてるもの。彼女への気持ちを。
「…………私は、死んだんだ」
「……うん」
気付いた。この子も賢い。そして、冷静だ。
「じゃあここは天国?」
「……ううん。違うんだ。見覚え、ない?」
「無い。でも……」
「うん」
狭間の世界は、『思い入れ』のある景色になる。でも、こんな真っ白の世界、地球上にあるのかな。正に天国みたいなイメージだけど。
「ママから聞いた、『天国』のイメージそっくりだから」
「…………そっか」
この子は生前。
思い入れのある場所、もしかしたら無かったのかな。
「……天国、行きたい?」
「選べるなら行きたくない」
「えっ」
即答だった。エレオノーラにとって、天国は思い入れのある場所だと思うんだけど。
「ママが居るから」
「……会いたくないの?」
「うん。きっと、殺される」
「………………」
この子も『不幸』だ。それが分かった。具体的なことは分からないけど。
何かを、抱えてる。今も、手が少し震えてる。
「じゃあ、私達と一緒に来る?」
「どこへ?」
「……私達の街。家」
「新しいパパが居るの?」
「居ないよ。家には私達しか居ない。私と、仲間達。皆優しいよ」
新しいパパ。
この子はいくつかの家を、渡り歩いてるんだ。
「私、何もないよ。空っぽ。男の人が居ないなら、価値ないよ」
「そんなことないよ。価値なんて、誰も気にしないよ」
「嘘だ。何か裏が無いと、優しい言葉なんて言わない。私を使って、何をするつもりなの?」
正直な眼だった。警戒もしていない。ただ知りたい。警戒を解いた相手に、嘘を付いて欲しくない。そんな感情だと分かった。
「…………じゃあ、私の話、聞いてくれる?」
「うん」
素直な子だ。でも、それは。
シルクのような怒りも、フランのような悲しみも無い。ユインのような諦めでもない。
何もない、『虚ろ』。
たった少しだけの『猜疑心』と、
世界への『無関心』だった。
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