20-4 The Exorcist〜罪深き最強の人間達

 裏世界、激震。


 未曾有の怨霊大量発生より、3日が経過した。既にそれぞれの国と街で『緊急事態宣言』が発令されている。怨霊被害ではなく、怨霊Fiends災害disasterという文字が毎日の紙面を独占している。


 取り憑かれた人間は、特殊な方法でしか助けられない。魔女や巫女を頼るしか無いのだ。

 理性のある怪物や、野良の死神を含めた『死者の魂除霊できる者』は、裏世界に全部で2000も居ない。裏世界の総人口は5億数千万とされている。法務局が発表した怨霊の総数は約20億。

 何もかも足りない。


 また、取り憑かれて暴れるだけではない。怨霊自体が市中を飛び回り、悪意を持って建物などを破壊している。上空にはとんでもない数の怨霊達が雲のように空を覆い、蠢いている。通常、幽体でない魂は練度の高い者以外には目に見えないのだが、多過ぎるために一般人にも視認できている。これのせいで、昼間でも陽が射さない地域も出た。


 表世界滅亡に伴う、死神協会の撤退。原因をこれとする『大災害』が、裏世界を襲っていた。






✡✡✡






「……取り敢えず、スコットランドは90%以上。イングランドは85%で、アイルランドが79%で一応順調。ウェールズだけ、ちょっと遅れてて56%……。旧ニクルス教国とラウス神聖国だけで、78%くらいになる計算」


 魔女園ヘクセンナハト、イザベラの城。最上階、カヴンメンバーの円卓。ヴァンパイア世界から戻ってきて、連日緊急会議である。ユインがそれを報告して、ちらりと隣のギンナを見た。


「……よくやってる方よ。3日で避難率7割越えてる国は今の所ブリテン島とアイルランドだけ。流石最大規模のカヴンのお膝元って所ね」

「………………」


 フォローのつもりで言ったが、ギンナの表情から焦りは消えなかった。ユインにも伝わっている。今の言葉に返事をする心の余裕すら無いのだ。


「もっと……。猫を行かせて、人々を守らないと」

『待て。王よ』

「…………」


 円卓には、『ケット・シー』であるラナが座っていた。今回、ブリテン島全体の避難誘導と怨霊感知に最も貢献した『怪物』である。ラナを通して、ギンナの『号令』を伝えたのだ。島中の猫に。


 ギンナが呼べば。風の速さで現れたラナ。その意図も既に察知しており。即座に行動に移った。

 本来猫が人を助ける義理は無い。だがギンナは、仮とは言え猫世界の王であるのだ。猫達には申し訳ないと思いつつも、人々を守る為に使えるものは全て使うつもりだった。

 そしてそれは、既に成功している。


 だが。


『待て。魔力を使いすぎである。はただの拡声器だ。号令を「響かせる」のはギンニャの魔力だ。大陸フランスまで延ばすとなると、消費は今の倍では利かぬぞ』

「…………」


 その忠告は、尤もである。王の号令に従う猫達は『普通の猫』だ。何も特別なことはない。操っている訳でもない。元々魔力も無い。

 だが。そんな忠告で止まるギンナではないと、メンバーは全員が承知している。


「……『魔力』。まだ、あるよね」

「ええ。私だってずっと鍛えてきたもの。私が空になってもユインもシルクも居るわ。安心して、存分に使いなさい」

「ありがとう」


 フランは……否。

 『銀魔四女シルバー・フォー』は全員、心を決めている表情だった。ギンナが決めたのだ。救うと。守ると。会ったこともない、赤の他人を。

 5億人を。


「…………ちょっと、やばいよねー」

「だな。あいつらはやる気だが、流石に裏世界全部を網羅はできねえ。日本は夜風に任せて良いとして、少しでもギンナの負担を軽くしねえと。『銀の眼』に魔力輸血できんのは『金の芽』だけだっけか」


 この場に居るのは、イザベラとケイ。そしてギンナ、フラン、ユイン。他のメンバーは全員、現場に出て、ギンナが行き届いていない場所で怨霊と戦っている。


「……ユングフラウはまだか。『奴ら』と連絡取れねえのか?」

「ユングは、傭兵やってカヴンに入る前はそっちで働いてたから。頼るしかないよ。ねえ、わたしも現場出た方が」

「駄目だ。仮にも議長だろイザベラ。あんたはここから離れるな。……法務局は。知り合いなんだろ?」

「ティア……。まだ音沙汰無いよ。色々話したいんだかど。多分あっちもてんてこ舞いだ」


 ふたりは、ギンナ達を見る。祈るように手を組んで、裏世界へ魔力を浸透させているギンナ。その脇にフランとユイン。このまま。恐らくは……『全員』を避難させ終えるか、シルクを含めた4人の魔力が底を突くまでやるだろう。それは誰にも邪魔できない。


「お嬢様」

「んっ」


 そこへ。

 イザベラの執事が入ってきた。身長が高く、姿勢の良い『人間』の初老の男性である。


「ローマより、ご連絡でございます。至急、本局へと」

「来たか」


 先に反応したのはケイだった。この場合のローマとは、裏世界法務局のことである。つまり、アマンダが呼んでいるのだ。表向きは敵対している、この魔女達を。


「ほい。勿論行くよ。……ケイ、付いてきてくれる?」

「……ああ」

「あ、それとも夜風から緊急招集とかある?」

「いや。奴は俺の休暇を『1年』つったんだ。心配いらねえよ。どうせこの怨霊騒動も予想してた筈だ。天界戦争は夜霧も関わったらしいからな」

「分かった。じゃ、行ってくるね。ギンナ」

「ええ。行ってらっしゃい」


 イザベラの挨拶に、ギンナではなくフランが応えた。イザベラはにこりと笑って、ケイと共に姿を消した。






✡✡✡






「最大限ポジディブに捉えるならば。……表世界全死者の内、怨霊となるほど恨みを持った魂は『半数以下』だった。大半の者達は、自分の意志で成仏を選んだ。……と言ったところか」


 裏ローマ、法務局本局。会議室には、4人の強者が座っていた。

 局長のアマンダ・ユースティティア。そしてイザベラとケイ。

 もうひとり、黒い外套に見を包み、首から十字架のネックレスを下げている男。


「おひさー。ティア。大丈夫?」


 イザベラがアマンダを慮る。彼女はそれほど、やつれた表情をしていた。


「正直……。相当参っている。貴女の前だからこんなことを言うのだがな。……カヴンには、感謝してもしきれない。初期対応が早すぎる。こちらはまだ、管轄区域に通達すら行き届いていない。被害は増える一方だ。先程ラウス神聖国とガレオン国に要請したが、いつ返信があるか分からん」

「お疲れさま。一応、ウチも総出で対応してるから、これ以上の支援はできないや」

「分かっている」


 普段は敵対している……など。言ってはいられない状況である。


「で……。俺達を呼んだ訳だなァ」

「!」

「(人間……か。そういや俺はずっと日本に居たから、こいつらのこと知らねえんだよな)」


 黒い外套の男が、足を組み替えた。余裕そうに笑って見せる。ケイは注意深く、男を観察していた。


「そうだ。できるなら今すぐにでも、対応して欲しい」

「…………『祓魔師エクソシスト』」


 人間である。死者でも無い。まして魔女や巫女などでは無い。

 だが、その自信満々の態度が、『相応の戦闘能力』を感じさせた。


「これはずっと言ってるけどな。俺達『エクソシスト』は依頼業だ。報酬を提示して仕事を請け負う。20億の怨霊だ? そんな額、今の法務局にあんのかよ」

「無い。だから――いつものようにFAXではなく。こうして直接お越し願ったのだ。……レオ殿」


 いつもはFAX受注だったのかよ、とケイは思った。


「だろうな。……正直に言うぜ。これはあんたらが、今までウチをご贔屓にしてくれたから言う」

「…………」


 レオは組んでいた足を解いて、両肘をその膝に乗せた。手で輪っかを作り、語る体勢になった。


「正直、俺達は今すぐにでも、中国へ行きてェ。分かるか?」

「…………」


 アマンダは黙って、真剣に耳を傾ける。


「どこの新聞にもデカデカとあらァな。中国裏世界の『怨霊災害』鎮静率は1位だ。世界中から名だたるエクソシストが集まってる。分かるか? 『金払いが良い』んだ。億を越える怨霊を全て祓った、報酬を支払う『金』が、あの国にあるからだ。こことは違ェな? アマンダさんよう」


 中国裏世界。

 アフリカ戦略で、いち早く市場開拓に乗り出し。急成長を遂げた国だ。その実態や指導者は未だ謎に包まれているが、古い『本物の』妖怪達が居ると噂されている。


「……怨霊の鎮静率は高くても、住民の避難は進んでない」

「!」


 ここで。イザベラが口を出した。いつもの笑顔ではなく、真剣な目付きだった。


「なんだアンタ。魔女か」

「善意を強要する訳じゃないけどさ。今、世界が大変なことになってる。どうにかしたいって、少しも思わないのかな」


 レオはその視線をアマンダからイザベラへ切り替えて答えた。


「思わねェな。俺達は『こう』思ってる。……こういう時に備えて、死にたくねえなら普段から『エクソシズム』を修得しておくんだったな、と」

「…………そう」

「ああ。それも嫌で、しかも死にたくねェときた。ならよう。『対価』を払って、『祓魔できる奴』に頼むしかねェだろ」

「……うん」


 レオの説明を、頷いて聞くイザベラ。表情は変わらない。


「で、その『対価』を払えるかって話だ。金が無ェなら、それに代わる物でも良い」

「例えば?」

「…………そうだな」


 イザベラは、何かスイッチが入った様子だった。普段と全く異なる空気を醸し出していた。ただ、睨んでいる訳ではない。見ているようだ。レオを。その目を。表情を。


 レオもイザベラを見ていた。その瞳を。顔を。体格を。


「『あんた』……でも良いぜ。『幽体』ってのァ、興味ある」

「分かった。良いよ」

「!」


 誰も追い付けなかった。だがイザベラは即答した。数秒後に、レオ本人も含む3人が驚いた。


「……おいイザベラ」

「大丈夫」

「…………イザベラ。これは法務局ローマ祓魔協会バチカンの交渉だ。その材料に『魔女の身柄』など」

「ちょっと黙ってなよアマンダさん。あんたじゃ既に『話にならねェ』んだ」

「……っ」


 一拍、置いて。


「……意味、分かってるか? イザベラさんとやら」


 レオが確認する。


「勿論。こう見えてもあなたの高祖母より長生きしてるからね、わたし。で、『わたし』を差し出して、『どれだけ』『何』をしてくれるのかな。せめて裏フランスの怨霊退治?」

「……いやァ、アンタ自分を低く見積もるなよ。欧州はカバーできるぜ。『俺』は『それだけ』やれる」

「分かった。『わたしひとり』を、あなたのためだけ? 期間はひと晩? それとも仲間のエクソシスト全員が満足するまで?」

「…………そりゃ『払いすぎ』だぜ。アンタ凄ェな。覚悟」

「答えてくれるかな」


 イザベラは。

 勿論のこと、目も口も笑っていない。ケイも彼女と出会って長い訳ではないが、異様であることは容易に判断できる。


「……まず、整理しようか。『あんたひとり』で請け負えるのは『俺が単独で、力尽きるまで怨霊を滅し続ける』ことだ。それでカバーできるのは欧州の一部だ」

「それじゃ足りないよ」

「分かってる。アンタらの望みは『裏世界全部』だろ。それには、『法務局とカヴン両方が支払える最大限の金』を要求しよう。どれくらいになる? 概算で良い。アマンダさん」

「…………魔力通貨にして、8000万マナだ」

「カヴンからは1億3000万マナ出すよ」

「良いな。出るじゃねェか魔女団。ならちぃとは、中国よりマシか。奴ら金払いは良いが愛想がねェからな。法務局はもう出ねェか?」

「……それ以上は、事件解決以降の当局の存続が危うい。これもギリギリのラインだ。これ以上を要求されたらもう裏世界を諦めるしかない」

「オーケー。オーケーだ。負けてやるよ。合わせて2億マナ。これで請けてやる。バチカン祓魔協会承認、正規エクソシスト全266名。それで動かせる」


 金貨は既に、廃れている。これもカヴンの功績だが、一般市民の人間でもある彼らエクソシストには関係の無い話だ。中央銀行とカヴンが繋がっているということは公開されていない。


「それとひとつ」

「何だ? イザベラさん」

「『わたし』の履行は『ラウス神聖国と法務局が緊急事態宣言を解除してから』にして。わたしはまだ、あなた達の実力を信用できてないから」

「オーケーだ。なら生きて帰らねェとな。期間はひと晩で充分だ。俺以外の男は居ねェから安心しなよ」

「…………分かった。それで良いよ。ティアは?」

「……承知した。今契約書を作って来よう」


 商談は成立した。


「(…………ああ。俺が連れて来られた意味って、『そういうこと』か)」


 ケイは。じっと黙っていた。


「(しかし、あのアマンダっておばちゃんも、中々のタヌキだな。……即答で8000万。インパクトはあるが、俺の概算だと本局からすれば対して痛くもねえ額な筈だ)」


 レオとイザベラを交互に観察しながら。

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