10-6 Happy birthday Silver tears “ANNA”

「あのね、聞いて」

「杏菜……」


 ゆっくりと、顔を上げて。目線を合わせる。立ち上がれず、ベッドに座り込む両親と、宙に浮かぶ杏菜。


「私は、死後の世界で、さ。……友達もできて。結構、楽しく、やってるんだ」

「……杏菜」


 ここまで、非現実的なことが起きれば。それも深夜の時刻と重なって。夫婦ふたりは混乱している。だが娘の言葉は一片たりとも聞き逃す訳にはいかない。ともすればもう、消えてしまうかもしれない。


「だからふたりも。……元気になって欲しい。私は……もう会えないけど。でもね、悲しくないよ」

「杏菜っ!」

「うん。あのね。今日ふたりに会えたのは。会いに来れたのはさ。……死神さんに許してもらったんだ。特別。だから、もう行かなくちゃいけないの。今日、今だけの特別」

「そんなっ……!」


 逃したくは無い。恐らくは夢だろう。だが。

 夢であっても。もう一度杏菜の声が聞ける。触れられる。こんなことはもう。二度と。


「……今、死者の私がふたりに会うのはね。ルール違反なんだ。だから、今日のこと、誰にも言っちゃ駄目だよ」

「杏菜!」

「私は……。元気でやってる、から。ね。お父さん。お母さん。……これが、言いたかったんだ」


 ゆっくりと。惜しむように。杏菜とて、離れたくない。別れたくない。だが。

 それを許す世界では、無かった。


「杏菜ぁっ!」

「うん。『ばいばい』」

「ああっ」


 謎の力に阻まれて、それ以上腕が伸びない。起き上がれない。杏菜がふわりと、天井へ消えていく。


「杏菜! 今日!」

「!」


 何故、『今日』か。3人は何も言わずとも分かっていた。こんな、非現実的で、あり得ないことだが。もし。もしも『ある』とするなら、今日だと。


「お誕生日! おめでとう! 17歳!」

「おめでとう杏菜! 愛してるぞ!」

「…………っ!」


 それだけは。何を置いても言わなければならなかった。もう二度と言えないと思っていたからだ。

 この世に生を受けた祝福。生まれてきてくれた幸福。たった16年だったが、一緒に暮らせた至福。


「……ありがとうっ!」


 ぐしゃぐしゃの笑顔で、杏菜は消えていった。






✡✡✡






「――寝かせたわ」

「やりすぎてないでしょうね」

「当たり前でしょ? ギンナのご両親よ? いつもの1万倍慎重にやったわ。魔法の力、制御できるようになっといてほんと良かった」

「ふう。大人の男の人は、やはり力が強いですね。私のテレキネシスの魔法も、もっと鍛えないといけません」


 裏世界。ぼんやりと映った一軒家の屋根の上に。フランとユイン、シルクが居た。3人とも、目に涙を浮かべている。特にフランは、もう頬を伝って流れている。


「ギンナは?」

「……あっち。クロウの所。ちょっと待ちなさい。何か話してる」

「…………」


 この、一幕は。魔法により実現させたのだ。

 裏と表を隔てる結界を、クロウが一部分だけ穴を開けて。ギンナが実体化。両親の拘束はシルクとインで行い、最後の催眠をフランが担当する。ギンナはコルセットを使った浮遊魔法によって浮かんでいた。

 これらにより、当事者達にとって『夢』を演出したのだ。朝起きたときには何もかも元通り。だが夫婦ふたりは、『同じ夢を見た』ということになる。娘は、元気にやっている。その信憑性が増す。

 だがやはり、あんなことは普通起こらない。夢であろう。そう結論付ける。


 ギンナが、クロウに提案したことだった。


「……ぐすっ」

「…………満足、したかい」


 箒の上で、体育座りをして膝に顔を埋めていた。その間から、すすり声がする。クロウが浮遊しながら、話し掛けた。


「…………実際顔を見ると、やっぱり泣いちゃった。駄目だ私。……未練、ありまくりだったんだね」

「それが、普通だろうな。死んでからここまで、それを気にする余裕もなく様々な『イベント』が起きすぎただけだ」

「……ねえクロウ」

「なんだい」

「美紀ちゃんと、それとお祖父ちゃんお祖母ちゃん」

「駄目だ」

「………………そう」


 先程と同じことを。他の皆にもやりたいと思うのは当然だ。交通事故だったのだ。誰にも、別れも言えずに死んだ。

 今やっと。両親に挨拶ができたのだ。奇跡だ。本来ありえない。許されない。


「これ以上は、悪いけど僕の身が危ない。僕が死神法を犯してしまえば、君達をもう『守ること』さえできなくなる。分かって欲しい」

「……ぐすっ」


 ギンナは、全て分かっていた。今したことの意味を。クロウの思いを。


「……ひっく。うん。……分かっ、てる。……ありがとう。本当に。……クロウは優しい」

「…………」


 クロウは、実は危険な橋を渡っていた。死神として、『此岸長』という地位に居ながら、その法を犯したのだ。私用で結界を解く行為は他の死神に示しが付かない。


 今日は。ギンナの生前の『誕生日』だった。この日に合わせて、日本へ来たのだった。その気持ちを汲めるのも、クロウだけだった。


「ぐすっ」

「…………」


 しばらく。そうしていたギンナの横で。クロウは黙って浮遊していた。






✡✡✡






「日本へ来た用事はこれで終わりだろう。さっさと帰りなよ」

「…………うん」

「じゃ、僕はこれで」

「待って」


 クロウが泣き止まないギンナを見て、やれやれと立ち去ろうとする。だがギンナが顔を上げた。まだ、涙は止まっていない。


「なんだい」


 振り向いたクロウと、目が合った。


「私、さ。もしかして……ねえ」

「……?」


 その『違和感』は、傍観者のユインよりも。


のこと……『忘れてしまってる』、のかな……とか」

「………………」


 勘ですら無い、唐突な思い付きだった。少しだけ。針の穴ほどだけ、引っ掛かったのだ。

 対してクロウは。


「……本来なら君を――」

「えっ?」

「なんでもない。もう行くぞ」


 何か言いかけて。失言だったと即座に反省し。ふい、と顔を背けた。


「ねえ待って。連絡手段も無いんだから、次お金持ってきた時、どうしたら良いの?」

「…………」


 再度、引き止めるギンナ。


「……仕方無いな。じゃあこれを」

「え」


 クロウはやれやれと、軍服の懐から道具を取り出して、何やら操作をした後ギンナに手渡した。

 古い機種の、携帯電話だった。折りたたみ式のフィーチャーフォン、所謂『ガラケー』である。


「使い方は?」

「えっ。えっと。……分かるよ。小学生の時、親に借りてゲームやってた」

「……連絡帳に僕の番号が入ってる。それ以外は今消したから。因みにメールはできないよ。サービスが終わってるから」

「…………うん」


 開いて、確認する。殆ど初期状態で、連絡先がひとつだけ。


 『Crow=Sullivan』と。


「あ。でも充電器」

「魔力で動くんだよ」

「! そうなんだ」


 ストラップも何も着いていない、味気の無いガラケー。しかも言語が日本語ではなく英語で、電話マークのボタン以外はギンナには分からない。


「いつでも出れる訳じゃないけど、時間が空いたら掛け直す。これで良いかい」

「…………うん。ありがとう」

「……君達は日本の死神には警戒されてる。早めに帰るようにね」


 それを最後に。今度こそ、クロウは去っていった。黒い夜の闇に溶けるように、消えていった。


「…………」


 今貰ったものを、両手で抱いて。

 誰もいなくなった空を、しばらく見つめていた。






✡✡✡






「ギンナ」

「! うん」


 ユインに呼ばれて、我に返った。涙を拭いて、3人へ振り返る。


「もう、大丈夫。ありがとうね。3人とも。最後にお父さんお母さんと話せて、嬉しかった」

「……そうね。あれが『家庭』なのね」

「…………」


 ユインは今日初めて、『親』というものを見た。子を愛する一心の『魂』を感じた。生まれたときからずっと『あれ』を感じて育ったならば。確かにギンナのような優しい子に育つのだろう、と。


「……で、何貰ったのそれ」

「えっ。あ。ケータイ。クロウへの連絡先、かな」


 フランが、ギンナの右手を気にした。真っ黒いガラケーだ。日本ではもう余り見ないが、実は海外ではスマホではないフィーチャーフォンがまだ現役で利用されている。つまりフランが生前に見たことがある形のものだった。


「へえ、やりますね。連絡先ゲットですね」

「へぇっ! いやっ。……その、まあ。……うん、そうだよ。えっと。お金、次返す時に、連絡する、用にさ」


 シルクの言葉に、しどろもどろになってしまうギンナ。シルクはその返答についにやけてしまう。


「クロウはなんて?」

「……私達は日本の死神から警戒されているから、すぐ帰りなよって」

「えっ。じゃあアキバ観光は?」

「あっ」


 フランが、何故メイド服風のミニスカコスチュームを着ているのか。シルクが何故着物を着てきたのか。ユインがどうして、黒セーラー服を身に纏っているのか。


「明日。明日1日だけ、結界弛めるように頼むわよ! ギンナケータイ貸して! 掛けるからっ!」

「えええ! いや、さっきの今で、そんな」

「はい貸して! ……どうやって電話するの?」

「はぁ。あんたケータイ持ったことないんだ」

「あっ! 当たり前よ! そんなの!」


 深夜の裏世界で。少女4人がぎゃあぎゃあと。






✡✡✡






「……ふう」


 パタンと、もうひとつの二つ折りのケータイを閉じて。事務所へ戻ってきたクロウ。『此岸長』と書かれたデスクに、やれやれと腰を下ろした。


「どないでした?」

「……ヒヨリ」


 当然、こちらも深夜だ。今居るのはヒヨリだけだった。彼女も女性用の軍服を身に着けていた。


「秋葉原を観光させろってさ」

「おお、大胆ですやん」

「……ていうか、いきなり掛けてきたと思ったらギンナじゃないし……」

「あ。ほなケータイ渡して来たんですか」

「………まあね。向こうからの連絡も取れた方が良いだろう」


 ヒヨリは何やらパソコンで書類を作成していたが、一旦中断してお茶を淹れ、クロウの席へ運んだ。


「別に良いのに」

「いやいや。『ご苦労』くらい言うて貰わんと。可愛い部下のお茶ですやんか」

「(……責任取らせて監督するために僕の部署に異動させたけど。この数ヶ月でなんでこんなに馴れ馴れしくなってるんだこの子は)」


 それからまた、自分の席へ戻った。クロウはお茶を傾けながらパソコンを立ち上げる。


「で、『ギンナ』ちゃん。どないでした?」

「うん?」

「……あ、何も言うてないんですか」

「…………そうだな。あの子が『銀』でさえなければ、こんなことには」

「ですねー」

「本当に。『そこ』なんだよ。よりによって『銀』だったから。それだけが、唯一。『銀』以外なら何だって良かったんだ。……ああもう」


 ぽりぽりと頭を掻いて。窓の外を見た。星空の広がる世界を。


「……今更だ。嘆けば時が巻き戻る訳でも無い」


 はあ、とひと息。


「次のデートは明日ですか?」

「殺すよ」

「ぴゃっ」


 ばさっ、と。ヒヨリのデスクに積まれていた書類が倒れた。驚いた拍子に倒してしまったのだ。


「……ヒヨリ。『このこと』は君にしか言ってない。部長……ヴィヴィさんにすらね。良いかい。勝手なことをしたら君は輪廻から幸せに解脱することになる」

「ひぇ……わ、分かりましたやん……。堪忍ですやん……」

「……全く。僕も焼きが回ったよ。ぽろっと口が滑ってしまった」

「…………えへへ」

「良いから書類それ早く片付けなよ。君が帰らないと鍵閉められないんだから」

「はーい。此岸長しがんちょ


 見ると月が、銀色に輝いているようだった。


「……Happy birthday.」


 誰にも聴こえないように呟いた。

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