10-5 夢
少しだけ、急いで。どうにか1日でやってこれた。懐かしき、小田急線。時刻は夕方だ。
『……ねえユイン』
『なによ』
私達は既に表世界に居る。言葉を発しての通訳は利かないため、テレパシーで会話する。フランとシルクは英語だし、私は日本語で、一応シルクも日本語話せるけど。ユインだけが誰とも話せない。私達って、裏世界じゃないと生きていけないんだよなあ。
『さっき言ってた「裏世界のルール違反」って。……これから
『…………』
上空で、速度を落として。世田谷区の辺りをくるくるしてる。まだ私の、心の準備が整ってない。
『……良くないわ。本当はルール違反よ』
『えっ』
フランとユインの会話が耳に入った。
『そうなの?』
『「死者と会える」なんて事実を、現世に持ち込むことは禁止よ。魔法とか、裏世界のことについて全てが規制されてる』
『そんな……。じゃあ』
ここまで来て。お父さんとお母さんに会えないのだろうか。それを知っていたなら、どうしてユインは私に提案したんだろう。
「また君達か」
『!』
声が聞こえたのと。ユインの口角が上がるのが同時だった。
✡✡✡
ぐるりと、景色が変わった。線路や住宅地の見える表世界から、自然がそのまま残っている裏世界へ。
ギンナ達は引き摺り出されたのだ。場所は同じだが、世界が違う。
「ク……! クロウ!」
黒髪黒眼。
以前は被っていなかった軍帽を頭に乗せ、真っ黒に染めた旧陸軍の軍服のような格好だった。それが、死神としての制服なのだろうか。ギンナは目を細める。
「(やっぱり来た。私の予想は当たってるかもしれない)」
その場に緊張感が生まれる。いくら彼女らが『魔女』に成り、『銀の魔女』を継いだところで、まだまだ立場は変わらない。『死神』には逆らえない。
冷や汗を垂らしながら、ユインが薄く笑った。
「……あんた暇なの?」
フランがまず、
「暇じゃないから困ってるんだ。
「……相変わらず勝手ね。ギンナは両親に会いたいだけよ!」
「それが許されないと言ってるんだよ。無用の混乱を招く。僕達の仕事を増やさないでくれ」
「待って」
「!」
だが、フランの役割はこれで一旦終わりだ。ギンナが、前へ一歩出た。
「取り敢えず、お金。……受け取って」
「…………そうか」
その手には、革製の巾着袋。魔女の家にあった、見た目の何倍も容量があるマジックアイテムだ。
受け取ったクロウは、片手で重さを確かめる。
「……1万枚か」
「うん。……これであと、3万枚だよね」
「そうだな」
それはベネチアでの、『ケット・シー事件』の報酬だった。当人であるラナは、本来は討伐されるべき怪物であるためまた小さくなってフランのスカートに隠れている。
「……結構早いな」
「そうかな。まあ……臨時収入みたいなものだったから」
「…………ていうか」
ギンナと話すクロウは、威圧感を放ってはいなかった。ユインはそれを注意深く観察する。
「どうして和服なんだ。シルク」
「……あはは。似合いますか?」
クロウが、ギンナの後ろに控えるシルクを見た。4人ともそれぞれ服装が違うが、彼にとって一番目立ったのがシルクだった。次にフランのメイド服。
「…………ああ。まあ」
言われたシルクはくるりと一回転した。クロウは困った表情で頷いた。
それを見たギンナが。
「むっ。シルクだけ?」
「は?」
頬を膨らませた。
「…………?」
直後に。自分でも何故そんなことを言ったのか疑問に思った。
「あっ。えっ。えっと……。く、クロウこそ。なんか乙女ゲームみたいな軍服じゃん」
「……いやこれは……日本の死神の制服だよ」
「えっ。あ。そうなんだ……」
ごまかすように慌ててはぐらかす。ギンナは自分の行動と言動に疑問符を浮かべていた。
「………」
「………」
気まずい雰囲気が、ふたりを包む。ユインが顎を撫でた。
「(……ギンナの
ずっと、違和感を抱いていたのだ。あのオークションの時から。死神など、毎日数十数百の死者の魂を刈っている筈。そのうちのひとつを覚えていることすら珍しい筈だ。
いくら『銀の眼』とは言え。既に手を離れた『無垢の魂』を、わざわざ海外まで出向いて助けるだろうか?
「(今も。他の死神じゃなくて、地位のある筈のこの男が真っ先に現れた。……あのヒヨリって死神との関係性もそう。『銀の眼は自分が対応するから手を出すな』と言っているみたいだった。実際、ヒヨリから危害は加えられなかった)」
✡✡✡
「杏菜……」
それは。
「!」
無理矢理、クロウが4人を裏世界へ引っ張った弊害か。それとも呟いた名前が、故人だったからか。
ぼんやりと、表世界の様子が辺りに広がった。『杏菜』と呟いた声の主は
「美紀ちゃん!」
「えっ」
ギンナが、叫ぶと同時に涙を溢れさせた。その声は届かず、姿も見えない。
「あああ……。ここっ。は」
プラネタリウムのように。立体映像のように。
空き地となっている裏世界の『そこ』に、コンクリートが。アスファルトが。電柱が、ぼんやりと浮かび上がった。
白い縞の線上。ここは交差点だった。角のガードレールの所に、花や缶ジュース、お菓子などが置かれていた。
「まさか、ギンナが死んだ場所……」
フランが口元を抑えた。
「うう……っ!」
死んだ。
そうだ。自分は死んだのだ。分かってはいた筈だ。だが。
こうも生々しい光景を見ると。ギンナはその場に崩れてしまった。
「杏菜。明日も来るよ。……その後、杏菜んち行くからね」
「美紀ちゃん……っ!!」
女子高校生は、そのガードレールに手を合わせてから。とぼとぼと去っていった。
「……私達は、見えていないのですか」
「…………そうだ。魂だ魔女だ、さんざぼかしているが。君達は要するに『幽霊』だからな。イングランドの方の死神法では多少の実体化も許されたかもしれないが。ここじゃそもそも現世に影響を及ぼせない」
「嘘よ。この前は普通に行けたわ」
「あれは、ヒヨリの責任だ。結界を一時解いていた。それに神様の気紛れもあった。……イレギュラーさ。もう無理だ」
「…………」
シルクとフランの疑問に丁寧に答えつつ。クロウはうずくまったギンナに近付いた。
「……友達だったかい」
「…………うん。新正美紀ちゃん。親友だった」
「君が死んで、7ヶ月経った。その間彼女は毎日、ここへ足を運んでいる」
「!」
「僕ら死神にとっては、命があろうが無かろうが気にすることじゃないが。……君はまだ、『人間』のようだな」
「…………ねえクロウ」
「なんだい」
計画は、白紙になった。文字通り『幽霊』として、現世を『見る』ことしかできない。
「相談が、あるんだけど」
「聞くだけなら」
ギンナは。
諦めなかった。以前日本へ来た時のように。あの神様『サザナミ様』へ持ちかけたように。
提案した。
✡✡✡
銀条家は、都内のある川沿いに建てられた一軒家である。結婚する時に、両方の両親から4分の1ずつ負担して貰い、半額を自分達で払って建てられた。父方の実家は埼玉。母方の実家は愛知。どちらの祖父母も健在である。
杏菜はそこのひとり娘だ。最寄りの駅まで歩いて15分。そこから電車で3駅の所にある公立高校に通う1年生だった。
事件は、最寄り駅から家までの丁度中間地点にある辺りの交差点で起きた。
普段から交通量が多いそこを渡る時は、幼い頃から母にすっぱく言われて育った通りに、横着せずきちんと青信号を目視で確認してから、車両の有無をきちんと確認して、まるで交通課のパンフレットにあるようなレベルの模範的な動きで渡っていた。それは警備カメラの録画映像でも確認でき、杏菜には全く非が無かったことが実証されている。
信号無視で、横断歩道から死角になっている道から車は突入してきた。反射神経も動体視力も平均的である杏菜が、時速80キロで突撃してきた乗用車に反応できる筈もなく、そのまま正面から巻き込まれ、ガードレールと乗用車に挟まれる形で衝撃を全身に浴びた。
『病院に運ばれたが死亡が確認された』――ニュースではそう報道されたが、実際は衝突の時点で杏菜の生命活動は完全に停止していた。
自宅まで、あと7分。約600メートルの地点であった。
「…………杏菜」
それから、約7ヶ月が経った。2年生になった、杏菜の同級生達は毎週のように、代わる代わる訪ねてきてくれている。
母親は、『家族3人分』の食事の支度をしていた。まだ、受け入れることができていないのだ。子供達の為にと、広い4LDKにしたのに。今はこの一軒家に、夫婦が一組、ふたりしか住んでいない。
午後、4時前。何もなければ真っ直ぐ帰ると、このくらいに自宅へ着く。ガチャガチャと、『帰ってくる音』が、玄関から聴こえるのを台所で楽しみにしていた。
「…………」
その音は今日も聴こえない。その数時間後に、夫が仕事から帰ってくる。
「……ただいま」
「お帰り、なさい」
娘が死んでも。仕事はしなければならない。営業先には笑顔で。電話応対は元気にハキハキと。
娘が死んでも、お金は稼がなければならない。生きる為に。なんの為に生きる?
もう娘は死んだのに。
仕事なら、まだ良い。
この半年間。娘に捧げる為だった時間は全て、裁判やらインタビューやら弁護士とのやりとりに費やされた。
夫婦は事務的な会話だけをして。そのまま寝室へ向かい。
抱き合うようにして眠った。
✡✡✡
「お父さん」
「…………」
「お母さん」
「……?」
毎日夢に見る。幻聴すら聴こえる。娘の声。それは――
「……えっ! あ、あ、杏菜!? ちょっ、おい母さん!」
「んん……え」
光っていた。部屋の電気は消した筈。だが、その暖かな光は。その先に居るのは。
「杏菜っ!?」
「なんで……っ! これはっ」
ふわふわりと、空中に浮いていた。制服姿の、『光る』杏菜が。髪は色を無くしていたが見間違う筈は無い。何より焦がれた子なのだから。
「お父さん……」
「杏菜!」
父が、浮かぶ杏菜へ手を伸ばす。だが、身体はそれ以上動かなかった。拘束されている感覚は無いが、何故だが立ち上がることができなかった。
代わりに杏菜から、父の手を握った。
「あぁ……っ。杏菜ぁぁ」
「……! うんっ……!」
「そんな……嘘……」
母も手を伸ばす。勿論杏菜はそれも掴む。それは確実な温度を伝えた。届けた。確かに、娘の手だった。
「これは、夢、か……!」
「うん。……! うん……! そう、だよ。夢。夢、なんだけど、ね……!」
3人で大粒の涙を流し。しばらく抱き合った。
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