5-7 裏世界の主従関係
「ミッシェル様。ライゼン卿がお着きでございます」
「分かった」
1週間後。
ミッシェルの退院の日がやってきた。私はライゼン卿に会いたくないから、病室から出ないけど。
「ギンナありがとう。じゃあね」
「うん。私にはこれくらいしかできなかったけど」
「充分。自由になったら、会いに行く」
「ありがとう」
ミッシェルは最後に私の部屋に来てから、帰っていった。ライゼン卿には悪いけど、私はそもそも人身売買なんて反対だし。
✡✡✡
「それでは、お大事になさってくださいませね。ライゼン様。ミッシェル様はまだ子供ですので、余り無茶はさせないようにお願いいたします」
「分かっておりますとも。なあミッシェル」
「…………」
ライゼン卿はご機嫌だった。またミッシェルと『遊べる』からだろう。魔法不全で脚が動かなかった彼女は元気に歩いていた。それを見ただけでも1週間待った甲斐があったという顔で迎える。
サクラが90度のお辞儀で、ふたりを見送った。
「さて。ふむ。魔法が戻ったということだが、分かってるな? その首輪がある限り――」
「分かってる」
ミッシェルに付けられた首輪は、奴隷の証。ライゼン卿の所有物であることを表している。勿論取り外す鍵はライゼン本人が持っている。
魔法や身体機能を阻害することができるマジックアイテムだ。これがある限り、ミッシェルはライゼンに逆らえない。
だが。
「ご主人」
「! むほっ! 今、わしのことを……!」
「うん。ご主人。こっち向いて」
「むおっほ! どうやら反抗的な態度も治して貰ったらし――」
「目が合えば終わり」
「!」
魔法を使っているかどうかは、人間であるライゼンには判断が出来ない。そして、吸血鬼が『見えない魔法』を使うことを、知らない。
この1週間で、ミッシェルは催眠魔法を会得していた。テスから教わったのだ。吸血鬼は、人間に捕まらない。捕まったとして、すぐに逃げることができる。
本来は。
「うん。ご主人。ギンナの話は面白かった。私は、ヴァンパイアの里を出て自由に生きたかった。でも、世界は危険が多くて、必要な物が多い」
「…………ミッシェル……」
ライゼンは、ミッシェルの催眠に完全に落ちた。膝を突いて、呆然としている。
ミッシェルが目線を合わせる。
「お金って、大事なんだ。私は持ってない。けどご主人は持ってる。……だから私は、『自由な奴隷』が良い。だから私のご主人」
「…………ミッ」
「【お前は私の心の奴隷である】【私を自由にしつつ、表向きは私を奴隷として支配せよ】【私の言う事は絶対だ】」
「………………はい。ミッシェル、様」
「様は、要らない。私は奴隷だから」
「……分かった、ミッシェル」
両手で頭を掴んで、命令をした。ライゼンは目の焦点が合わないまま、こくこくと機械のように頷いた。
「じゃあ、帰ろう。ベネチアに」
「分かった。…………ふむ。タクシーと飛行機を乗り継がねばな。やれやれ、長旅だ」
「良い。途中、観光したい」
「そうか。なら、月並みだが、フランスへ寄ろう。世界一の美術館がある」
「良い。それ乗った」
やがて、ライゼン卿の様子は普段と変わらなくなった。だが催眠は効いている。解けそうになっても、また掛ければ良い。掛け続けると、解けなくなる。ライゼンはもう、ミッシェルから逃げられない。
「あんまり遅くなっても、ベネチアが大変?」
「いや、お前の治療としてまだ時間は取ってある。なんならドイツ観光もしていこう」
「それ、良い」
吸血鬼を捕まえて奴隷にしようとすれば、『当然こうなる』。
人間社会で地位のある眷属を得て、ミッシェルの表情は晴れやかだった。
「あと痩せて。健康になって。じゃないと血を飲んであげない」
「……うむ。確かに。分かった。ダイエットしよう」
「良し」
「…………それで、夜は……」
「良い子にしてたら、考えてあげる」
✡✡✡
「報酬は取らねえのか」
「テスさん?」
ミッシェルが退院してから。そう訊ねられた。
「『魔女の助言』なんてのは、金貨レベルの仕事だぜ」
「えっ。ああ……。そっか。でも、本来覚えられる魔法を練習したら良いよってだけですけど」
「それでも、あのガキにとっては値千金の蜘蛛の糸だった訳だ」
「ううーん……」
今回は別に、私じゃなくても思い付くと思う。そもそも吸血鬼が捕まりにくい理由というのを考えれば、それを実行すれば良いだけだから。
「ミッシェルみたいな、『第二世代』の種族って他にも居るんですか?」
「居る。そもそも元死者の魂から成った『怪物』ってのが多種多様だからな。心の有り様を表してるらしいが。大昔から……っていうか人類誕生から死者は居るからな。長い歴史の中で、『第二世代』も数多く生まれていった。表の人間に見付かってねえのは、大抵が隠れる為に必要な魔法を使うからだ。日本にゃ、それこそ大量に居るだろ」
「……もしかして、妖怪?」
「そうだ」
「……!」
そう言えばテスさんは、日本好きだ。私と話が合うかもしれない。
「見たことねえのか」
「死んでからは、日本に帰ってませんし。日本にも、やっぱり裏世界はあるんですね」
「まあな。あっちの巫女はハンターも兼業してる。まあサクラにゃ無理だな」
「ハンター。怪物退治ですか」
「妖怪退治だ。ま、同じ裏世界でも日本ほど離れてりゃ、結構違うんだ。こっちは大体一緒くたなんだがな。イギリスとフランスほど、日本と韓国は近くねえらしい」
「……そうなんですか」
「お前、日本人の癖にそういうの知らねえのか」
「えっと。ニュースはあんまり観なくて……」
「まだまだガキだな。表の世界情勢も把握しとかねえと、『銀の魔女』として仕事できねえぞ」
「う……。頑張ります」
テスさんは、結構優しい。色々教えてくれる。
「あの、テスさんってサクラさんとは……」
「あいつの母親の魂に死者の身体を与えたのが俺だ。で、怪物になって困ってた俺を救ったのがその医者だ」
「その医者? サクラさんのご両親ですか?」
「死体の方だ。俺が血を吸って死んだ」
「…………えっ」
「……『銀の魔女の弟子』か」
テスさんは、私の驚いた顔を見てどこか納得したような表情をした。
「『怪物』ってのは、成った時に人間時代の記憶が全部飛ぶんだ。で、大抵は理性も無くなる。だから討伐対象になる訳だな」
「…………」
知らなかった。
そんな顔を私がしたから。
「人ひとり、殺すほど血を飲むとそいつの気持ちとか記憶とかも入ってくる。魂まで吸ってた訳だ。それで正気に戻った」
それでもテスさんは、説明してくれた。丁寧に。
「で、妖怪退治を兼業してる日本の巫女がやってきた。人間の男と旅行中だったそうだ。……で、愛してるから子を産みたいんだと」
「………………」
巫女。
怪物。
第二世代。
裏世界は、魔女と死神だけ居る訳じゃない。
「医者の血を飲んで裏世界の医術を会得してた俺は、魂を別の死体に移し替える手術をした。俺を退治しない条件でな。奴らは夫婦になって、サクラを産んだ。……一家は裏世界の法律を破った。日本には帰れなくなったし、表でも裏でも生きていけねえ。まだ罪を犯してねえサクラを置いてあの世へ駆け落ちしやがった」
「…………そんな」
重い。
話だった。
「それから一度俺とサクラはエクソシストに捕まって法務局に連れて行かれたが、医者として社会貢献することを条件に釈放された。巫女は貴重だし、『桜色の魂』も貴重だ。俺は人間を殺したとは言え相手も犯罪者。使い方次第じゃ裏世界トップレベルの闇医者の実力がある。それに、理性のある『怪物』も少ない。そいつらを診れるのも俺だけだ」
テスさんは、優しい。
多分、話していると思い出して嫌な気持ちにもなったと思う。なのに、私に教えてくれた。
「あいつが何故俺を慕ってるかは俺にも分からねえ。普通恨むだろ。それでなくとも怖えだろ。何度も追い出そうとしたが、結局無理だった。あいつの前で凄んでも脅しても無駄だ。『桜色』のせいで和んじまう」
「…………」
「お前は、いくつで死んだ」
「……16です」
「日本で、その歳で死ぬ時点で悲劇だな」
「いえ……。皆と比べると、贅沢な暮らしをしていました。普通に、道路で轢かれただけです」
「死は平等だ。……覚えてるだけマシじゃねえか」
その言葉を最後に。テスさんは病室から出ていった。
彼だって、若くして亡くなったんだ。どんな最期だったんだろう。
✡✡✡
「…………知らないことだらけだな。本当に。何で……。『学校』に『塾』に『晩御飯』に『両親』を……。面倒くさいと思ってたんだろう。何がそんなに、憂鬱だったんだろう」
恵まれ過ぎだ。私は。申し訳なくなる。
「ギンナ様。失礼いたします。お食事のご用意ができました」
「……サクラさん」
「はい。今日は牛肉が手に入ったので、肉じゃがにしてみました。近代の料理ですが、一応日本食でございますね」
「……ありがとうございます」
知りたい。
そんな気持ちが、凄く強くなる。まだまだもっと、いっぱい。
「あの、一緒に食べませんか? テスさんも一緒に」
「……かしこまりました。ですが、ご主人さまのお食事は、吸血鬼専用となりまして。申し訳ありませんがご同席はわたくしのみさせていただきます」
「……分かりました。ごめんなさい」
知らないんだ。私は。サクラさんが凄く気を遣ってくれてる。
知りたい。
「多分、凄く失礼なことを言っていると思います。これからも、言うと思います」
「構いませんよ。ギンナ様は『無垢の魂』でございますから、裏世界のことを知らないのは当然でございます。では退院までの退屈凌ぎに、わたくしが色々とお教えいたしましょうか」
「お願いします。お金も払います」
「勿論いただけません。わたくしも、ギンナ様とお話できて楽しいのですから」
ユインは、魔女の家で知識を吸収してる。なら私は、外で経験を得ないと。
4人で一人前なんだから。私も役に立たないといけない。
「さっき言ってた、テスさんの食事って」
「当然ながら血です。わたくしの」
「!」
「うふふ。ご心配なさらず。少量で良いのです。首筋に力の限り齧り付くようなことはいたしません。あれは空想の産物。ご主人さまはとても理性的で、お優しく。当初はわたくしを吸血することを拒まれておりました。ですが、わたくしがゴリ押しいたしました」
「えっ」
「わたくしが勝手にお慕いしているのですが。中々相手にされず。ようやく、吸っていただけるまでに進展したのです」
「…………」
テスさんのことを話すサクラさんは、とっても良い表情をしていた。重く暗い過去なんか感じさせない表情を。
「このような私事の惚気話は、詰まらないでしょう」
「いえ。もっと聞かせてください」
「…………かしこまりました」
ご主人さま、という感覚も。日本人の私には無い価値観だ。私は奴隷のままだったら、クロウをそう呼んでいたのだろうか。
あのクロウを。
「…………無いって」
「はい?」
「あ。いや。……なんでもないです」
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