4-3 融けて歪む瞳

 『売られる』という経験は、現代ではなかなか無いと思う。特に、先進国では。

 あの臭い。決まって、買い手は男が多い。欲望が漏れだしてる臭いと、それを無理矢理隠す香料とが混ざった気持ち悪い臭い。

 熱気。湿度はあり得ないほど高い。演出でも無いのに霧が掛かっているみたいに。

 音。何も聞こえないくらいうるさい。私が女で、幼く、裸だからだ。

 光。何も見えない。私をよく見せようとした演出のせいで、私からは何ひとつ見えない。誰に落とされたのかも、分からない。


 自分の所有者が変わるなんて、想像できるだろうか。特に、先進国民は。

 次は、どんな酷い目に遇うだろうか。

 次までに生きていられるだろうか。


 無垢の魂? 笑わせる。

 私ほど汚されきった子供も居ないだろうに。






✡✡✡






「…………」


 痛い。きっと、私が暴れたからだ。腕や脚を縛るロープに擦れて擦り傷になっている。服を着ていないから、怪我をしやすいんだ。……この身体って、怪我するんだっけ。しなかった筈なのに。

 何も見えない。目隠しだ。知らない場所でされる目隠しほど怖いものは無い。


「――――!!」


 音は聞こえる。感覚はある。私は運ばれているんだ。どこかに。


「さあさあ、場内最高に盛り上がって参りました! 続いての商品こそ――本日の目玉!! 最高級に希少価値の高い商品です!」


 とてもうるさい声。耳がキンキンする。


「おおおおおっ!」


 沢山の人が居る。それは分かった。何か叫んでる。


「出品者は――かの名士ジョナサン・イリバーシブル! 商品は『無垢の魂』! それも、ただの魂じゃァ無いっ!」

「おおおおお!」


 微かに、ジョナサンの名前が聞こえた。

 ……ああ、そうか。


「ご覧ください! さあ! さあ!」


 頭を、誰かに押さえられた。目隠しと、轡を外される。

 光が、視界に広がる。


「なんと! 『銀の眼』ですっ!!」

「おおおおおおおおおっ!!」


 私は。


 ジョナサンに捕まって、売られたんだ。


「皆様ご存じの通り! 『死者の魂』には『色』があります! 赤や緑、シアン! そんな、数ある中でも、トップクラス! 約100年にひとり! 超! 超貴重! 希少! 『銀色』は――」


 こうなるから。『これ』から。

 プラータは、私達を救ってくれたんだ。今分かった。


「――『世界を裏で動かす支配の色』です!」


 目が、徐々に慣れてきた。久々だから時間が掛かったけど。『銀の眼』を使えば、光源の有無や明度は関係無かった。

 よく見えた。『客席』が。


「…………」


 私を品定めする、好奇の目が。下卑た視線が。

 特に、おじさん達から。

 何人居るだろう。多分、100人くらいだ。私はその会場の中心に、誰からもよく見えるように配置されている。


「紹介します! 『銀の眼』のギンナ! 出身は日本、死亡時の年齢は16! 当然処女です!」

「おおおおおっ!」

「本当に銀色の瞳だ!」


 ここはどこだろうか。

 私は、どうなるのだろう。

 『あんな目』をした人達に『買われたら』どうなるのだろう。


「一流の魔女に育て上げ、世界を牛耳るも良し! 無垢のまま愛玩具として飼い慣らすも良し! 剥製にして永遠の美しさを保つも良し! さあさあ今世紀最大のナンバー! まずは最低価格! 金貨1万枚からッ!」


 裏世界。

 私達みたいな子供が、簡単に入って良い世界じゃなかったんだ。


「1万2千!」

「早速出ました1万2千!」

「1万5千!」

「1万8千!」


 競っている。

 私を買おうと。至るところから手が上がる。

 買われたら。逆らえないだろうことは分かる。私の権利は。日本で当然に保障されていることは。

 ここじゃ『クソ』なんだ。


「5万枚!」

「にま……えっ」

「!」


 ざわついた。決まったのだろうか。


「…………!!」


 私にはどうすることもできない。私の、二度目の人生は。これで終わる。

 ……プラータの知り合いだから。カンナちゃんを助けてくれた人だから。油断したんだ。私が悪い。フランやシルクだったら魔法で自己防衛できていた。ユインなら賢いから回避できていた。

 私だけが、ついてこれなかった。何も知らない、甘ちゃんだった。危機意識が低かった。平和ボケした世界で生きてきたから。


「一気に突き放す5万枚が出ました! 他はありませんか!?」


 どんな奴が私を買うのだろう。声のした方を見てみる。


「……えっ!?」


 ユインが、そこに居た。

 この会場に全然合ってない、パーカー姿で。

 私を、助けに……?






✡✡✡






 ギンナが登場する、少し前。


「う……なんだかんだ結構使ってしまいましたな。これで『銀の眼』が買えるかどうか……」


 ユインは予定どおり、ライゼン卿に金を使わせていた。


「恐らく、1万枚からスタートして。……最初は小さく刻んでいくでしょう」

「3万で足りますかな」

「その場次第ですが……私の予想では『5万』あれば固いかと」

「なっ……」

「(ここだ)」


 ライゼン卿の残金は金貨3万枚と少し。これでは恐らく、ギンナは買えない。……ただのユインの予想だが。

 今はその予想が当たることを祈るしかない。毎日、『銀の魔女』の仕事を管理させられてきた『眼』で。経験で。


「まず、最初の方でもう『5万枚』と言ってしまえば周りの方々も引き下がるでしょう。『さらに戦えるぞ』と言った風に叫ぶのです。卿が吸血鬼を落とした時のように」

「いやしかしフローレス嬢。その『5万』が無いのです」

「なら、私が『2万』、貸しましょう」

「えっ!」


 切り出した。

 ユインの博打の策を。


「卿が落とせないならば私が落としてしまっても良いですが。それではつまらない。水の都ベネチアを治める名士ライゼン卿との繋がりを、偶然なれど持っておきたいと私は考えています」

「ふっ! フローレス嬢!」


 すがるような声を出すライゼン卿。彼はギンナをこそ、今日は狙ってきたのだ。なんとしても欲しいのだろう。ユインはそこを突く。


「ただし。勿論条件がありますが」

「なっ。なんですかな。私にできることであれば――」

「今日の夜会の終わりに。一度彼女と会わせてください。同じ『銀』同士、少し話すだけ。それだけで結構です」

「なんだ、それくらいならば。乗った!」

「交渉成立ですね」


 誰かが買った商品は。厳重に保管され、引渡し日も外部に漏れない。あのフランが救えなかったのだ。誰か知らない者に買われでもしたらもう足取りは掴めない。匿名や偽名で参加している者も多い筈だ。

 この男に買わせて。自分と会わせる約束さえ取り付ければ。


「(後は魔法を解禁された外で。フランに殺して貰えば良い。フランの魔法なら証拠も残らないし一瞬だ。明日のベネチアの新聞が、ちょっと騒ぐだけ)」


 そう考えていた。その為に、金を使わせたのだ。『会う権利』を自然に得るために。普通にライゼン卿が全額払って買った後ならば、交渉が不利の状態で始まるからだ。


「5万枚!」

「にま……えっ」

「!」

「(後は、これで買えるかどうか。これはもう賭けだ)」


 予想通りの展開になった。ライゼン卿の挙手から、しばしの沈黙が流れる。


「…………!」


 ユインは。

 壇上のギンナがこちらを見ていることに気付いた。


「(……ギンナ!)」


 被る。生前の自分と。あの表情。助けを求めているが、期待はしていない。半ば諦めて、せめてどんな顔の奴が自分を買ったのか確認するための視線。


「(大丈夫。助けに来たから)」


 力強く、視線を返した。そうだ。見えるのだ。逆光の中でも、『銀の眼』ならば。

 するとギンナの瞳に、涙が溜まり始めた。

 思いもよらない『幸運』を目の前にした瞳。そして―― 


「さあ! もうありませんか!? それでは――」


 終わる。

 寸前。


「――10万だ」


 ぽつんと。

 そんな台詞が飛んできた。


「……え」


 ユインから。始めにそんな息が漏れた。


「は?」


 ライゼン卿は、空いた口が塞がらない。


「じゅっ……!」


 会場も、全部。

 一瞬の沈黙。


「10万枚! 金貨10万枚が出ました! 今期最高額! いや歴史を見ても! 現代の価値に照らせば史上最高額と言っても過言ではありません!! 『銀の眼』に! 金貨10万枚です!」


 司会の男が、叫んでから。


「うおおおっ!」

「すげえ! 誰だ!?」

「おいライゼン卿! 勝負するのか!?」


 会場のボルテージは最高潮に達し、爆発した。


「そんな……! ふ、フローレス嬢!?」

「………………!」


 ユインは答えられなかった。

 負けた。

 演技を――


「……仕方、ありませんね。また次の、機会を。ゆっくりと待ちましょう」

「ぐっ!」


 なんとか。

 冷静になれと、心の奥で叫ぶ。

 この状態から、どうするか。


「(やばい。こんなの。最初から無理だった。全部足しても足りない。……嘘吐いて競り合う? でもそんなのリスクが高すぎる……!)」


 ぐるぐるぐるぐる。

 答えは出ない。


「い、一応、確認します! ただいま金貨10万枚! 他にはありませんか!?」

「…………!!」


 出せない。

 ユインは即座に、『魔女の家』にある家財を全て売り払った金額を計算して。

 なお。


「……終わった」


 自分の策が浅かったことを、自覚した。


「(……そもそもが土台無理だった。ギンナをひとりで町へ行かせた時点で、油断だった。魔法も使えない無垢の魂の状態で)」


 自分の失態だと、責めた。フランの言う通りだ。もっと心配するべきだった。

 自分の生前の常識を、疑うべきだった。


「終――――了――――!! 決まりました! 超希少『銀の眼』を落としたのは! 遠く日本からお越しの『クロウ』様! 今世紀最高額金貨10万枚での落札です!」


 カンカンカンカンと。終了を告げる鐘が鳴る。

 ユインの意識は、歪んでいった。

 最後に、ギンナの絶望の表情が焼き付いて。

 白く。

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