2-4 上原奈々のニューゲーム

 上原奈々かんばらななは、父に殺された。

 母の再婚相手であるのだが、別に、特に彼が乱暴な男であったということはなかった。寧ろ、とても優しく、良い父であったと、後に本人が語る。

 おかしかったのは、母であった。前の前の夫……奈々の実父も、まともな人間だった。『母』という女性を選んでしまったこと以外は。そして、その母から『娘を置いてまで』逃げたのは賢明な判断だった。

 奈々は母に、幼少の頃から虐待を受けていた。と言っても、母に悪意は無い。だからこそ異常で非情なのだが……奈々は、15歳になる頃には重度の薬物中毒と数種類の感染症、皮膚炎に冒されていた。

 通常ならば死んでいる。しかし、中途半端に『金の芽』の素質があったからこそ、彼女はギリギリの瀬戸際で生きていた。

 実父が逃げ、ふたり目の夫が逃げ……3人目の、医者を名乗る男が来た時。奈々は深く土下座し、懇願した。

 「殺してくれ」と。

 奈々は、自分では死ねなかった。母にも殺されない。彼に殺してもらうしか手段は残されていなかった。

 その時、3人目の父は再婚相手に娘が居ることなど知らなかった。奈々は学校にも行けず、母に日本中連れ回されていた。


「私はこの世に生まれていないことになっています。殺しても、罰せられない。見付かっても、殺されたとは思われない。こんなに衰弱しているのですから」


 父はなんとかして奈々を助けたかった。しかし母から引き剥がし生き延びても、その後の人生に幸せが訪れるとは考えられなかった。






✡✡✡






「……最期に見た、父の顔が忘れられません。悲しそうに、憐れむように、優しく首を絞めてくれました」


 水の都、ベネチア。

 暖かく差す陽を浴びるテラスで、3人は紅茶を飲んでいた。


「魔女になった奴は大抵そんな人生を送った後だよ。気にすること無いよカンナ。これならアタシの生前の方が悲惨さ」


 ひとりは日差しをとんがり帽子のつばで防ぐ、銀色の髪、銀色の眼をした見た目20代前半の美女……プラータ。


「金の芽のせいで悲惨な人生ね。良かったわね。17年で終わって」


 ひとりは日差しを嫌い、サングラスを掛けた黒と金の髪、瞳をした見た目10代後半の美少女……ヴィヴィ。

 ふたりとも、纏う空気と放つ雰囲気が、見た目通りの年齢ではないと告げている。


「……あの」

「ああ、紹介がまだだね。この娘が『金の芽』のカンナだ。で、カンナ、こっちがヴィヴィ。変わり者の死神だ」


 何故紹介の前に生い立ち……否『死に立ち』を語らせたのか、と問うカンナを無視し、プラータはふたりを紹介した。


「死神?」

「元、が付くけどね。今は何者でも無いわ」


 そう答えたヴィヴィは、昔を思い出したのか、少し寂しそうにテラスから眺める景色を見た。


「……で、本題だ。カンナの……」

「面倒を見ろ、ね」


 ヴィヴィがプラータの言葉を遮る。


「あんたが『無垢の魂』を連れてくるとはね。……ルーナ。どうせ、あの『魂買いの道具屋ジョナサン』から流されたんでしょう」

「そうさ。……100年前のお前のように」

「200年前のあんたのように」


 魂買い……ジョナサンをそう呼称したヴィヴィを、しかしプラータは当然と返した。

 えっ? とふたりを見るカンナを置いて、知らない会話を続ける。


「で、今度はあの老人から仲介して、誰かに売り付ける商売を始めたのね。……悪の魔女らしいこと」

「そうさせたのはウチの弟子だ。つくづく、アタシに似た4人だよ」


 やれやれと頬杖を突くヴィヴィと、くつくつと笑いを堪えるプラータ。


「…………」


 ヴィヴィはカンナの顔を見やる。不安そうな表情だ。


「この子を見付けたのは?」

「日本担当の奴だ。……そこそこ中堅だったんじゃないか? 魂を競売に掛ける発想と行動力と、我欲があった」

「……ねえあんた」

「はっ……はい」


 声を掛けられ、顔を上げる。


「成仏したいならさせてあげるわよ」

「……私は」


 ぐっと、膝に乗せた拳に力を入れる。カンナは真っ直ぐヴィヴィを見た。


「母の人形で終わりたくない。……自分の人生を……生きたかった……です」

「それで?」

「まだ死にたくありません。浅ましいけれど、1度死んで、私の身体から毒が全て抜けたみたいなんです。……成仏したら無か輪廻か分かりませんが……私は私のまま、もう一度やり直したい」


 その答えを聞いたヴィヴィは……頬杖を突いたまま。

 ふっ、と笑った。


「……何かやりたいことがあるの?」

「はい」

「それは何?」

「……」


 訊かれて、カンナは顔を赤らめた。


「別に馬鹿にしないわよ」

「……えと……探偵……です」

「……………………」


 プラータとヴィヴィは、お互い顔を見合わせた。


「……なんでまた?」

「……こ、困っている人を……助けたい、です」

「…………」


 時間が止まったように、ふたりは沈黙した。やがてヴィヴィが口を開き……。


「……。ルーナ、知ってて私の元に連れてきたの?」

「いや? お前が『金の芽』を欲しがってたってことしか知らないよ」

「…………ふーん」


 果てしなく恥ずかしがるカンナに、ヴィヴィは立ち上がって、彼女の頭にどこからか取り出したハットをぽふんと置いて被らせた。


「え……?」


 そのまま進み、座るふたりに背を向けるヴィヴィ。カンナは振り返り、帽子のつばを抑えて訊ねる。


「ま、改めて自己紹介ね。『怪物狩りハンター』をやってるヴィヴィ・イリバーシブルよ。要は『裏世界の探偵』。……誂え向きね。助手として歓迎するわ、カンナ」

「……ハンター?」

魂を狩るの死神を辞めて、獣を狩るの怪物退治を始めたのさ。こんな時代だ。ハンターは儲かる。傭兵並みにね」






✡✡✡






 と、カンナの話から始まり、ハンターの説明まで。終わる頃には陽は傾き始めていた。


「今日はどうする? ウチに泊まる?」

「そうだねぇ……ウチの弟子が向かってるから、待たないとねえ」


 そこへ。


「ハンター:ヴィヴィっ! ここに居たかっ!」

「?」


 焦るような声で3人へ駆け寄る人物がいた。凡そ20代に見える、男性だ。


「北西の空で、不規則に浮遊する未確認物体が現れた! 何故か遠視や探知の魔法が効かないが、すごい魔力だ! 怪物かもしれない! どんどんこっちへ迫ってきている!」

「……依頼ね。誰からの?」


 ヴィヴィは瞬間、目付きを変えた。先程までの、少し気だるそうなものではなく、鋭く、強く。正しくハンターの……『狩人』の眼になった。


「ライゼン卿だ。彼の見張りが目視で捉えた。……距離は5キロほどだ」

「ほう……早速かい。運がいいねカンナ」

「……えっ」


 男性は、ヴィヴィに依頼をして、少し落ち着いたのだろうか。彼女の横に居るとんがり帽子の女性を視界に認めた。


「……はあっ!? 『銀の魔女』!? なんで!?」


 目を見張る反応で、後ろに飛び退く男性。プラータは大笑いしていた。


「あっはっは。そりゃ、たまには知人と茶くらい飲むさ」

「はいはい。そのまま飲んどいて。カンナ来なさい。仕事よ」

「えっ。はいっ」


 ヴィヴィは踵を返し、カンナを連れてテラスを後にした。






✡✡✡






 ずんずんと、街の西へ進んでいく。


「あの、箒で飛ばないんですか?」

「私は魔女じゃないの。箒なんて持ってないわ。それに……」


 ヴィヴィは街の端に着いて、指で円を作って空を覗いた。右の、金色の眼で怪物を探す。


「……まずあんたが飛べないんだから、私の仕事ぶりが見えないじゃない」


 と、数キロ先の獲物を視界に捉えた。


「ふむ。何かの魂ではあるようね。……始めるわよ」


 そう呟いた瞬間。

 ヴィヴィの金色の眼が、光った。






✡✡✡






 その頃。


「あははー……。着いたわー見えたわー。……アドリア海ぃ……。わあ、赤レンガの屋根が綺麗ねぇ……。どうギンナ? 慣れた、ものでしょう? 私の運転も……っ」

「……はぁ…はぁ……。疲れた……お腹空いた……。脚がもう、感覚無い……」


 ベネチアの、北西から、不規則に飛ぶ飛行物体であるギンナとユインは。

 ようやく、目的地をその眼で確認した。長時間飛行による疲労でふたりは憔悴しきっており、手も震え、まだ箒の柄に掴まれているのが不思議なくらいであった。

 そこへ。


「えっ……?」

「……は?」


 急に、悪寒が背中を這った。誰かに見られているような感覚。冷たく、刺すような、魂に響く視線。

 その感覚に、ふたりは覚えがあった。


「……っ! これ……」

「なんで……ここにっ!」


 がくがくと震え始めるユイン。ギンナも、額から、背中から、手から。汗が止まらない。


「死神っ……!」


 恐怖が甦る。同時に、『あの』ムカつく顔も甦った。


「なんでよ……必死の思いで、ここまで来たのに……ぅっ……」

「……あんなものじゃない。これは、もっと……」


 しかし比較にならない。目の前には当然居らず、眼下にも見渡せない。見付けられない。

 そんな距離で、ここまで感じる圧倒的存在感。

 ふたりの本能は、それが『死神のボスの視線である』と告げた。




【墜ちなさい】




「!」

「ひ……!」


 命令ではない。そんなもの従う余裕は既に無い。しかし、身体が、魂が抗うことを許さなかった。耳ではない、魂に響く声で発せられたそれは、ユインの握る箒の制御を完全に奪い去った。


「あ……」

「……ちょ」


 もはや暴れる気力も残っていない。バランスを崩した箒から、ずるりと落ち始めるふたり。

 地上から……目算で200mほどであろうか。

 ここまで奇跡のように空を漂い、飛んできたふたりは、ついに箒から手が離れ、空中へ投げ出された。






✡✡✡






 ヴィヴィの持つ、片方の金の眼。それはもしかしたら自分にもできるのではないかと、カンナが真似して指で輪っかを作らなければ。

 事態はどうなっていただろうか。


「あっ!」

「どうしたの?」

「ヴィヴィさん! ふたりを助けてくださいっ!」

「はぁ? ふたり? 何が?」


 唐突に叫ぶカンナ。それは獲物を遠視で見てからだ。明らかに自分より精度が良い、本物の『金の芽』を前に。


「私の、友人なんです!」

「……!」


 ヴィヴィは少しだけ歯噛みし、落ちる獲物の落下予想地点へ駆け出した。

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