2-3 未熟な魔女は怪物になる
カンナちゃんと一緒に帰ってきて、その3日後。
私達と同じように坑道で浄化を終えたカンナちゃんは、とても綺麗な金髪になっていた。
「少なからずショックよ。金色があるなら私が欲しかったわ」
フランがそう漏らしていた。カンナちゃんはくすっと笑って、
「ありがとう」
はにかみながらそう言った。
「あ、笑いましたね。良かった」
シルクはフランだけでなく、カンナちゃんのことも心配していたようだ。
✡✡✡
「……で、浄化って、やっぱりあの暗い奴ね」
「そうよ。脱色とか、洗礼とか、呼び方は様々だけど。暗闇で、無音にすることで眼を慣れさせ、魔法を自覚させる。生前の柵を破り、魂だけの、本来の存在になる」
ユインはやはり物知りだ。最近は皆何かと彼女を頼りにしている。
「ま、汚い坑道である必要はこれっぽっちも無いけどね」
「巫女ってのは?」
特に、フランがよく彼女に質問している。先日の出来事で、何か吹っ切れたようだ。
「神に仕える使徒のことよ。表向きは魔女の敵ね。実際はあんまり関係ないけど」
「ということは、キリスト教の考えがベースってこと?」
私も訊いてみる。するとユインは、私を見てちょっとだけ面倒そうな顔をした。
「……まあ、その考えでも良いわ。ジャパニメーションじゃ魔法少女は味方、善人であることが多いけど、それはキリスト教文化が根付いていない島国だから、という理由があるのよ」
「……うん?」
「キリスト教圏では、悪魔と契約した人間が魔女よ。当たり前だけど、悪人なの。『魔』という字の意味くらい分かるでしょう」
「……えっと……?」
フランもシルクも頷いている。あれ、分からないのは私だけ?
「裏世界はヨーロッパを中心とした社会。だから、『原理のよく分からない現象』を魔法と呼び、それを使う者を魔女と呼んでいる。私達は悪魔と契約はしていないけどね」
「うんうん」
「えっ? えっ?」
どういうこと? 私達は魔女じゃないの?
「別に理解する必要も無いわよ、日本人」
それ以上、教えてもらえなかった。なんか、悔しい。ユインだって、欧米出身じゃないくせに。
✡✡✡
「カンナを送るよ。ギンナ、ユイン。付いといで」
「私は?」
プラータがやれと仕度を迫る。行く気満々だったフランは自分の名が呼ばれないことに異を唱えた。
「あんたたちは仕事があるじゃないか。へたれ神聖騎士の護衛だ。行っといで」
「なっ……!」
ああ……あの金貨100枚の仕事か。
✡✡✡
プラータは玄関先に私達を並べた。魔女の家から一歩出れば、そこは森の中だ。
「悪いがアタシの箒はふたり乗りだ。あんたたちは自力で来な」
と、箒を取り出してユインへ渡した。
「……は?」
ユインはまじまじと、手渡された箒を眺めてから、プラータへ顔を上げて睨んだ。
「目的地はベネチアの裏だ。その箒なら、最速で飛ばせば1時間で着く。先に行ってるよ」
「……はぁっ?」
「いいかい、絶対に、その箒で飛んでくるんだよ」
プラータはそう言って、自分の箒にカンナちゃんを乗せ、風のように飛んでいった。
……。
「はぁぁぁぁぁあ!?」
私達は、しばらく呆然と、プラータ達の残した風を感じていた。そして、やっと状況を理解したユインがそう叫んだ。
「え? なに? は? ば……え? はぁ?」
「お、落ち着こう……ユイン?」
こんなに取り乱したユインは初めて見る。……とか言っている場合じゃない。
「馬鹿じゃないの……え? ちょっ……」
言葉に詰まるユイン。その手には、1本の箒。随分古そうな、ボロい箒だ。多分庭先で落ち葉でも掃く用のものだろう。それ以外には見えない。ただの箒。
「……箒は、魔女の通行手段だけど、力の強い魔女には不要だわ。だって自力で飛べるもの」
「……へぇ」
「つまり箒を使うのは、未熟な魔女――つまり私達。あとはまあ、魔女でない者を連れていくとか、手で持てないものを運ぶ時とか」
「ふーん」
唐突に、ユインが説明口調になる。目が泳いだままだけど、努めて冷静であろうとしているようだ。
「ギンナ、箒で飛んだことは?」
「プラータの後部座席だけ」
「あの魔女、目的地はどこって言ったっけ」
「……ベネチア」
「ここはどこだっけ」
「……イングランド」
ふう、と息を着いたユイン。
「……つまり。箒で飛んだことのない者が。ふたり乗りで、初飛行して。……1600km近い距離を。……1時間で? 飛べと? 海を越えて? ……身体が剥き出しの『箒』に乗って? 『時
ユインは、ひきつった笑顔で述べていく。
「何考えてんのよあの女ぁぁあ!」
そして最後に、再度叫んだ。さっきのように訳も分からず叫んだのではない。状況を理解した上での絶叫だ。
「どうやったら箒なんかで飛べるのよ!? 頭おかしいんじゃないの!?」
「い、ユイン! それ私達の存在否定……」
「はいはい魔法の箒ね! 魔力がどうのこうの……ってだから! 私の魔法はそんなんじゃないし! ギンナは魔法使えないじゃないのよ!」
ユインが壊れた。
「『魔力』なんて曖昧な便利エネルギー、この世に存在してたまるもんかっ! あったら原発いらねーよっ! せめて! 使い方教えんかいオイ!」
続けて空中に怒りをぶつける。普段おとなしいユインが、こんなに取り乱すとは……。
「ふぅ……ふぅ! ギンナ!」
「えっ! はい!」
一通り叫び満足したのか、私へぐるりと首を回した。
「まず『箒』の原理解明からよ。こんな危ないもの、ぶっつけで使えるもんかっ」
「う、うん……分かった」
良かった。落ち着いてくれた。
✡✡✡
問題は、無数にある。まず、箒で空を飛ぶ原理について。それが分かれば、制御できるかもしれない。
飛ぶのはひとまず置いておいて、飛行中について。時速1600kmもの加速による空気抵抗により、私達は死ぬ。途中木や鳥にぶつかっても死ぬ。箒は細い。バランスを崩しやすく、崩すと死ぬ。落ちたら死ぬ。目的地に着いても降りられない。落下すると死ぬ。
つまり箒で飛ぶと人は死ぬ。
「ただ、結果として飛べるし、死なない。あのデタラメ魔女だけじゃないのも判明してる。つまりどうにかすれば、安全に飛行でき、かつ高速で移動可能なのよ。それを暴く」
「そうね……いやまあ、家に戻ってお茶して過ごしても良いけど」
「それじゃカンナが可哀想じゃない。それに、魔女の期待に答えられなかったら首輪爆発よ」
「あー……」
ユインはちょんちょんと、自分の首を差した。
私達の首と、腕に付けられた不名誉な鎖。これがあるかぎり、プラータには逆らえない。
何故なら、それが私達を『再度』殺すものと容易に想像でき、私達は『もう2度と』死にたくないからだ。
プラータは意外と優しく、私達を気にしているけど、この鎖がある事実は変わらない。私達のふたつめの命は、彼女に握られている。でなければあのフランが素直に命令に従う筈は無い。
4人も『銀の眼』が居るのだ。ふとした失敗なんかで、ひとりやふたりくらい簡単に殺そうとしても不思議じゃない。
「私は家にある箒についての資料を漁るわ。ギンナは……色々試しといて」
「私の役割危険過ぎでしょ……」
「……ちっ。どうせ、街の箒屋かなにかに行けば余裕で判明する、魔女の常識だろうな。学校で初めに習うような。……なんでこんな……ぶつぶつ」
ユインはぶつぶつと文句を言いながら、家に戻っていった。
✡✡✡
それから……実に7時間だ。
「あはっ……あははっ! 見えた! 見えたわっ! ねぇギンナ!」
ユインは楽しそうに……愉快そうに、私には壊れたままのように見えたけど……とにかく笑って。
それを指差した。
ついに、ここまで来たのだ。
見えたのだ。
海が。
ドーバー海峡が。
「…………っ」
「あはっ。泣いてんじゃないわよギンナっ。私達の目的地はこの先、海を渡って、フランスを越えて、オーストリアを通過して、陸を横断したイタリア半島の入り口なんだからっ」
陽が傾き始めた、水平線。なるほど今私達は、西から東へ進んでいる。巨大な太陽を背に、月の出始めた海の彼方を見る。
ここまで来た努力。試行錯誤。それを思えば、自然と涙は出てきた。
だけど、まだ。
まだまだ先なのだ。
日本人は、中々ヨーロッパ諸国の距離感を把握できない。皆近場ですぐ行けるとなんとなく思ってないだろうか。
イングランド近くの森……『銀の魔女の家』からイタリアの『ベネチア』まで。凡そ1000マイル……1600km。
日本で例えてみよう。
だいたいで言うと「青森県から山口県」くらいの距離だ。その距離を、私達は。
「……箒に、乗って……」
「え? なんて?」
涙ぐみながら呟く。先頭に座って箒を操作するユインの耳には聞こえない。
「あははっ! さあギンナ! 海を渡るわよ? もう引き返せない。陸から出るわっ」
高らかにユインの……悲鳴にも似た笑いが響く。もう、ここまで来れたのが奇跡だ。でもまだ、半分も進んでいない。
「もう陽が暮れるけど……」
「コンパスがあるじゃない! 暗くて見えないけど! さあ、加速するわよ!」
ダメだ。完全にユインが壊れた。
✡✡✡
ふたりが壊れてまで、必死で目指した……ベネチア。
その3時間前。
「今度のお前の飼い主は、魔女じゃあない」
水の都に到着したプラータとカンナは、人通りの少ない路地裏へ歩を進めていた。
「……どうしたんだい?」
不安そうに顔を俯かせたカンナに、プラータが問う。
「あのふたりは……」
カンナはギンナとユインを心配していた。
「さあね。できると思っちゃいない。もし事前情報も知識も何も無しに、いきなり箒にふたり乗りできたら、それはもう天才とかのレベルじゃない。度を越えた阿呆だね。ま、精々金貨使って車か船か、列車で来るだろう。明日か明後日になるさ」
「……え」
「あの4人は修行中なんだよ。何が訓練になるかアタシにも分からない。指導なんてしたことないからね。だから色々無茶やらすのさ。さて」
辿り着いたのは、石造りの普通の建物だ。少し入り組んだ所にある、街に埋もれた一件の家屋。
辺りに人の気配は無い。既にどこからか、裏世界へ入っていたようだ。
「ヴィヴィ? 居るんだろう。早く出てきな」
プラータが虚空へ話し掛けた。すると四方八方……あちこちから路地や壁を通り、風が吹く。それらはこの場所へ集まるように、その中心へ吹き荒れる。
「……ルーナ? 珍しいわね」
その中心……いつのまにか。ほんの少し、風のせいで眼を伏せた間に。
その女性は、ふたりの目の前に立っていた。
黒髪に混じり、所々金色に染まった部分のある、不思議な髪。瞳もだ。右目は黒色だが、左目は金色である。
プラータに負けず劣らず……白く美しい肌。厚手の黒いコートを着込み、しかし下はミニスカート。
見た目10代後半だろうか、その女性……いや少女は。
「ほら欲しがってたろう。『金の芽』だ。金貨2万枚、寄越しな」
「…………はあ?」
プラータの言動に、状況を理解できずに首を傾げた。
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