2-2 魂買いの道具屋~半金、銀、金

 母の葬儀には、父や親族は誰も来なかった。母の勤め先の同僚や昔の友人が数人来ただけで、特に何もなくすぐに終わった。

 それから、私は父とか言う男に引き取られた。『そこ』は地獄で、何もかも最悪な世界だった。

 朝、痛みと異臭で目が覚める。男がクローゼットを開けた合図だ。あの異常者は仕舞い込んだ『ハニー』とやらに行ってきますのキスをして出掛ける。私はそれまでじっと布団の中で待ち、奴が居なくなるとまずシャワーを浴びる。奴は使わない、家で最も清潔で綺麗な場所だ。身体に付着した奴の体液を念入りに擦って落とす。奴は起きている私には興味が無いらしい。これでバレていないつもりのようだ。

 朝食など存在しない。元より食欲も無いし、時間も無い。いつも遅刻ぎりぎりだ。


「おい変態女、お前母親はどうしたんだ?」


 教室に着くと、まずドアから黒板消しが降ってくる。今日は真っ赤なペンキに浸してからドアに仕掛けたらしい。因みに避けるともっと酷い目に遭う。

 私が実父に何をされているかは、学校中に知れ渡っている。馬鹿な教師に相談したものだと今でも後悔している。

 給食。『何が入れられてようと』これの為に私は学校へ通っている。食べられないものは避けて食べたら良いだけだ。動くものは殺せば良いだけだ。


 家に帰る。まずシャワーを浴びる。綺麗にして、消毒しなければ怪我の手当てができない。

 着れる制服はもう1着しか残っていない。タオル1枚に包まり、コインランドリーで洗濯する。その間、誰も通らないように祈る。因みに、町中の自販機下にコインが1枚も落ちてなければその日は洗濯できない。

 終わると、町の図書館へ行く。公園はクラスメイト達が使っているため、ここしか綺麗な水の飲める場所がない。

 お腹が膨れるか吐くまで飲んでから、閉館時間まで椅子に座る。『ハリー・ポッター』はここで読んだ。馬鹿なクラスメイトに見付からないよう祈りながら。

 夜。しぶしぶ家に帰ると奴が女を連れ込んでいる。うるさい。ありったけの罵声を浴びせ、とにかく暴力を振るうのが奴の好みだ。終わると女はよろよろと家を後にする。若しくは気絶して私の寝る場所を奪われる。若しくは……何故か私がボコボコに殴られる。

 私が寝たのを確認すると、奴がやってきて『日課』をする。私は悪臭と気持ち悪さを必死に耐えながら寝てる振りをする。そしていつの間にか、疲労と空腹から気絶するように眠り込む。






✡✡✡






「……図書館へ来ていた根暗な女が馬鹿どもに教えて、私の最後の安息の地が無くなった。丁度ハリー・ポッターも読み終わったし、だから自殺したのよ」

「……!!」


 何も言葉にできなかった。……フランの、死ぬまでの話。

 彼女は私の想像を超えた、凄惨な日常を送っていた。その小さな身体に、いったいどれほどの苦痛を受けてきたのか。


「母が存命の時はお屋敷に住んでいたから、ギャップに耐えられなかったのよ」


 その短い人生に、どれだけ濃密な経験が詰められていたのか。


「お屋敷?」

「ええ。母はそこの使用人だった。扱いは悪かったけどね。快楽殺人鬼なんかの子供を産んだから。……それでもあの男に見付かるまでは、なんとか置いて貰ってた。母の能力自体は高かったから」

「……っ」

「それで、死んでからも色々ありすぎて……ちょっと参ってたわ。……って、別にあんた泣く必要ないわよ。今は違うんだから」


 私はいつの間にか涙を流していた。膝に乗るフランの顔にいくつか溢してしまったようだ。


「私の金髪ブロンドね、よく褒めてもらったものなの。……母に。だから、それが無くなった今の私は、私じゃないんじゃないかとか考えてたわ」

「……」

百合リリーはね、そのお屋敷に咲いていた花。……あの夜に全部燃えて、それから嫌い」

「……?」

「花に罪は無いけどね。見る度思い出すのよ。……あの異常者の、歪んだ笑みを。焼ける臭いを。悲鳴を。腕を強く掴まれる感触を」


 無意識に、彼女の顔を撫でていた。手を重ねられてそれに気付いた。


「よく、母にこうして貰ったわ。視線の先には、今みたいにリリーが咲いてて。……どことなく、仕草が似ているのよね、あんた」

「……そう」

「今は時期が違うけど……あの店のにも『Winter冬の』とか書いてあったし。裏世界には秋に咲くリリーがあるのね」


 フランは深く眼を瞑って、それからぱちっと開けた。私の膝から飛び上がり、ぐぐっと伸びをした。


「戻りましょうか。ありがとうギンナ。話を聴いてくれて。お屋敷に居た時よりは不自由だけど、あの地獄に比べたらここの生活は天国だわ。だってあんたが居るもの」

「……もう大丈夫?」

「ええ。何十人でも殺してやるわ。『銀の魔女』には興味無いけど、あんたたちの為に」


 未だ泣き止まない私を尻目に、フランはとても良い笑顔だった。年齢相応の、無邪気な少女の花のような笑顔。






✡✡✡






「あ」

「ん」


 花屋さんに戻ると、エプロン姿のシルクに見付かった。


「どこ行ってたんですかふたりとも。もう準備できてますよ」

「そう。どんな丸焼き料理?」

「ちがっ! ……違いますよ。カンナちゃんとユイン、私の『和洋中』全てを合わせた、かつてない料理です」

「何でも良いわ。お腹空いたし。兎の丸焼きよりは美味しいでしょうね」

「失礼なっ! あれだって私が……。……フラン? どうしました? 何か嬉しそうですね」


 問答の最中に、シルクが変化に気付いたようだ。


「……何でもないわよ」


 そう答えて奥へ上がっていったフラン。確かに足取りが楽しそうだ。


「……何かありましたね。ありがとうございますギンナ」

「えっ。……ま、まあ」

「予想は付きますよ。この10日、ずっと一緒に居ましたからね。フランが何か悩んでいることは分かってました」

「……うん。もう大丈夫みたい。私に話してすっきりしただけだけど」

「それで良いのです」


 シルクは深くは訊かなかった。ただにっと笑っていた。彼女は純粋にフランを心配していたようだ。






✡✡✡






「カンナも死んだの?」

「はい。死神に捕まり、競売場に売られました」

「えっ?」


 昼食。花屋さんの奥は普通に民家になっていて、7人という大人数でテーブルを囲む。プラータとジョナサンは友人で、ただ私達を紹介したかっただけのようだ。……あのプラータにそんな所があるとは。


「なんでも珍しい色をしているとかで。それでジョナサンに落とされました」


 そして今、とても食事中にする話じゃない話をしている。


「おいおいジョナサンあんた、そっちには興味無かったじゃないか」

「これは正義感からさ。『金色』なんてものが競売されると、どんな悪い奴に渡るか」

「金色? その割りには磨いて無いじゃないか」

「僕は彼女を魔女や巫女にする気は無い」

「それこそ宝の持ち腐れだよ」


 プラータとジョナサンの言い合いが始まる。このカンナちゃんと言う子は私達と同じ死者で、死神によって競売に掛けられたとか。酷い話だ。死神は嫌いだ。


「その、『金色』って?」

「この馬鹿の言う事が本当なら、あんたたちよりも稀少ってことになるね」

「えっ」


 金貨1万枚より上ってこと? それ、ジョナサンはどうやって買ったのだろう。


「とにかく、あんたなんかに任せて置けないね。使わないならアタシに寄越しな」

「それはできない相談だ。彼女は悲痛な死を経験している。君達に巻き込ませたくない」

「ハッ! 妻に先立たれたジジイが。性処理人形ドールにでもする気かい」

「ルーナ! 僕は良い。妻を、彼女を侮辱するな」


 なんだか激しくなってきた。


「あんた自殺?」

「!」


 そこへ、フランが突っ込んだ。悲痛な死と聞いて気になったのだろう。


「……はい。父を挑発しました」

「へっ。何それ。死ぬ勇気も無くて、殺して貰ったの? 弱虫じゃない」

「……」

「おい君。カンナは……」

「黙っていなさい変態。私だって虐待からの自殺よ。あんたの理屈だと、私も魔女になっちゃいけないの? 既に魔法で100人は殺してるわ」

「な……!」


 止めようとするジョナサンに、フランはきつく当たった。

 そしてまたカンナちゃんへ向く。


「良い? あんたはもう死んだの。生前どう生きて、どう死んだとか関係無いの。男なんかに飼われたらまた生前と同じで地獄だって、そのくらい分かるでしょうが。今にいきり立たせて襲ってくるわよ」

「……ジョナサンが?」

「ええそうよ。男なんて」

「なっ! 君!」


 ジョナサンが声を荒げる。


「あら、『僕はいくら侮辱しても構わない』じゃなかったの?」

「……ぐ」


 しかしフランの一言で黙った。フラン強い。


「…………」


 カンナちゃんはジョナサンを見る。……流石にフランの言い過ぎだと思うけれど。


「……魔女とはなんですか? 巫女とは?」


 その質問には、プラータがふふんと鼻をならして答えた。


「少なくとも、男に束縛されるよりは自由なものさ。……魔法を使って好きに生きるのが魔女。神に仕えて使命を全うしようとするのが巫女だ」


 巫女については今初めて訊いた。魔女の他にも、死者には選択肢があるってことなのかな。


「……はぁ。分かったよ。そりゃ僕は、君が君らしく自由に生きれるなら、そっちの方が良い。自分で選べば良い。止めないよ」


 ジョナサンの言葉に、プラータはにやりと笑った。


「……ジョナサン」

「なんだい」


 しばらく考えていたカンナが口を開いた。


「今までありがとうございました。買って頂いて、ありがとうございました」

「決まりだね。カンナ。来な。ジョナサンより良い『師匠』を紹介してやる」


 ジョナサンの返答を待たず、プラータが締めた。






✡✡✡






「できたよ。急遽6人分だ」

「助かるよジョナサン。代金は金貨1万5千枚で良いかい?」


 その日の夜。

 私達はカンナちゃんと話していて、ジョナサンは何か作業をしていた。プラータが初めに頼んでいたものかな。

 ……プラータが、全財産を渡す声が聞こえた。大丈夫だろうか……。


「……助かるよレディ:シルバー」

「なに、お互い様さ。悪かったね、ウチの弟子が」


 フランは滅茶苦茶言っていたけど、ジョナサンは本心からカンナちゃんを気遣っていたようだ。


「君が預からないのかい?」

「嫌だね、『金色』なんてアタシでも無理だ。浄化だけやって、『奴』に売り付けるさ。金貨2万枚でね」

「……はは……」






✡✡✡






「さあ付けな。魔女の必需品だ」

「?」


 帰り道、私達はプラータから受け取った。それは花がデザインされたブローチだった。


「これは?」

「小型魔力貯蔵庫。……マナプールさ。ジョナサンのは質が良く、デザインも良い。あれで裏では最高級の職人だ。魔女相手の道具屋なのさ」

「……へぇー……プール?」

「説明は面倒くさいから、後でユインに訊きな」


 それぞれ、デザインが違っていた。私はふと、フランのブローチが気になった。


「……」

「……フラン、それ……」

「……最高級の職人、ね。まあセンスは認めるわ」


 彼女の銀の髪に似合う、純白のリリー……百合の花だった。

 フランは少し考えてから、ふんと息を吐いてそれを胸に付けた。

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