4

 その日、私は授業支援業務のため、いつものように先生が講義をする教室に入り……呆然とする。


 そこには誰もいなかった。


「……嘘」


 良く見ると、黒板に何か書いてある。


 "304室に教室変更"


 ……聞いてないよ!


 私は慌てて304室に向かった。


---


「……ごめん! 本当にごめん!」


 院生室。講義終了後、先生は私に向かって頭を下げっぱなしだった。


「本当に、他意はなかった。ただ単に、君に伝えるのを忘れていただけなんだ。だから……本当にごめん……」


「……ねえ、先生」


 これはいい機会だ、と私は思った。今までこんなことは一度もなかった。やはりどう考えても先生はどこかおかしい。この際、私の心の中でもやもやしていることを、一気にぶつけてしまおう。


「先生、最近おかしいですよ」


 私がそう言うと、


「!」


 先生は明らかにギクリとしたようだった。構わず私は続ける。


「だって……ここんとこ、私と話する機会、随分減りましたよね? なんか私……避けられてるような気がするんですが……たぶん今回の行き違いも、それが原因じゃないんですか? 先生……私、何かしましたか? 何か問題があるのなら……遠慮なく、言ってください」


「……」


 黙り込んだまま、先生は辛そうな顔でうつむいている。それでも私は先生の言葉を待った。


 やがて。


「……君も、そう思うのか」


 ポツリと呟くように、先生は言った。


「え?」


「やはり、僕は……おかしいよな。そうなんだよ。君には何の問題もない。おかしいのは……僕なんだ」


「え、ええ? どういうことですか?」


 私がそう言うと、先生はまた黙り込んでしまう。


 でも、しばらくしてから先生は、心を決めたように顔を上げた。


「君にだけはね……言いたくなかったんだ。だけど……実際に弊害が出てきてしまった。しょうがない。白状するよ」


 そう言って、先生は私を真っ直ぐ見つめる。


「ここ最近、夜中に一人で研究室にいると君の気配を感じるんだ。まず、君の付けている香水の匂い……君がいないのに、ずっとその匂いがしているんだよ。移り香、残り香にしてはかなり長時間だし……君だって移り香がするほど大量に香水付けてるわけじゃないよね?」


 確かに私はいつもフローラルな香りのフレグランスを付けている。でもそれは、オードトワレだ。せいぜい3時間ほどしか匂わない。それに、研究で実験をする日は、異物混入コンタミになるからその手のものは付けないようにしている。


 私がうなずいたのを見て、先生は話を続ける。

 

「しかも……それだけじゃないんだ。どうもね、君の声も小さく聞こえてくるんだよ。なんて言ってるのかは良く分からないんだけど、とても小さな声で……でも、どうしても君の声に聞こえる。そこには誰もいないのに」


「……」


 思わず鳥肌が立った。それって、心霊現象?


「それでね、僕も自分がおかしくなってしまったんじゃないか、と思って、精神科に行ったんだよ。それで診てもらったんだけど……特に異常はない、ってことだった。だったらこの症状は一体何なんだ、って精神科の先生に聞いたら……とてもショックなことを言われてしまってね……」


「な、何を言われたんですか?」


 私はツバをゴクリと飲み込む。


 先生は言いづらそうにしばらくうつむいていたが、やがて、観念したかのように、言った。


「……それ、恋の病じゃないですか、ってね、言われたんだ……」


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