すれ違い
コンコン。
明かりが消え静かな部屋の中に扉を叩くノック音が響く。
訪ねてきた者の正体は決まっている。
いつも通りに二つ返事で入室を許可するのは気が引けてしまう。
なぜと問われると、答えるのも少し抵抗がある。起こったことを人に話すだけで語弊が生まれ、自分の信頼度をグッと下げてしまうからだ。
漫画やアニメでは当然のイベントであろう風呂場での女の子との遭遇だが、その後普段通りに接している登場人物の心境を僕は今知りたい。
実際に体験してしまうとかなり気まずい雰囲気になる。夕飯の時もまともに目も合わせず、会話も特になく、黙々と食事していたのだ。
ではなぜ、そんな気まずい間柄になってしまった彼女が、今僕の部屋の扉をノックしたのか。
僕の鶏脳じゃ結論まで至ることはできなかった。
「.......入るよ。」
ドアノブを下げ、扉を引く鈍い音が鳴る。
「よ、よぉ...」
「....ん。」
口数は少ない。が、行動はいつも通り。
枕を持ってベッドの横に腰掛けた。
「「あのっ!」」
「・・・紘くんからどうぞ。」
「じゃぁ..その、さっきはごめん。確認もせずに勝手に扉開けちゃって。」
「私も、人の家のお風呂使わせてもらってたのに、家主を追い出すようなことしちゃって。」
「いや、それは......。そういえばそうだ。」
「....ぷっ。ふふっ。」
「確かにそうだよ!ここ僕ん家じゃん!」
「でも、不可抗力だけど、見ちゃったから、さ。」
「......え?」
「う、うん?」
「...さっきは見てないって言ってなかった?」
美穂のさっきまでの笑顔が一瞬にして消え、急に怒り顔へと変貌した。墓穴を掘った。らしい。
「見たんだ....。」
「あっ、いや、違う違う!見てない!見てないけど!正確には二の腕が見えちゃっただけ!そう!二の腕!」
「もぅ....いいや。見てないんだね?」
「うん!」
「本当に、見てないんだね?」
「う、うん!」
「分かった。じゃぁそうしとく。」
「ふぅ....。」
な、なんとか勢いで乗り切れたぞ。あそこで二の腕だけを見たって言える僕の頭の回転力。鶏脳にしてはなかなか良い起点をきかせたんじゃないか?
「なら、明日買い物ついてきてね。」
「え?い、意味がわからないんだけど?」
結論として見てないになったんじゃないの?
「ぼ、僕見てな...」
「二の腕、見たんでしょ?その分だよ。」
「ちょ...分かったよ。それ何時から?」
危ない。もう少しであのイケメンアイドルの鉄板セリフを言うところだった。
埒があかないことはもう察しがついている。ならここは引き下がるしか手がない。
ていうか、二の腕なんか夏場ならいつでも見せてるじゃないか。
そう言いかけた僕だけど、ちょうど喉まででかかっていたその言葉を唾と一緒に飲み込むことができた。折れた理由は決して嘘をついた後ろめたさがあったからじゃない。決して違う。
「うーん。10時くらいにでよっか。」
「分かったよ。じゃぁ、そろそろ寝なきゃ。もうこんな時間だし。」
「うん。そうするね。おやすみ。」
じゃぁ。と言い残し、ゆっくりと扉を閉めて出ていった。
なんだ。簡単じゃないか。
お風呂場で女の子の裸を見たって、気まずい雰囲気になったって、こうやってちょっと話せばいつも通りに戻れる。もちろん、それはお互いがお互いのことをよく知っているからであって、信じているからであって。
僕は美穂との関係性を今日この時、再確認することができたんだ。
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扉をゆっくり閉め、向かう先は未来の部屋のはずだが、美穂の足は紘の部屋の扉の前から動かずにいた。
『見てないけど!正確には二の腕が見えちゃっただけ!そう!二の腕!』
「..............................へたれ。」
ぎゅっと、
自分の二の腕を握りしめる。
消えいるようなか細い声は静寂な闇の中へと消えていく。
この言葉を誰に言ったのか。美穂自身も今はまだわからない。
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