第21話 淡い恋と悲しい過去と、それでも許されない暴走

『かわいい』と言われて育った子供や子猫は、自分の名前を『かわいい』だと思う。


 それと同じく。

 物心つく前のローティは、自分の名前を『王子』だと思っていた。

 女子に生まれたが第一子はすべて王子にするという慣例の下、王子として育てられた。


 剣術の師範は、自分のことを王子と呼んだ。

 王宮のメイドも、自分のことを王子と呼んだ。

 実の父も、ローティというより名前以上に、王子と呼ぶことが多かったように思う。


 物心ついたころ。

 彼女は、自分には『ローティ』という名前があることを知った。

 しかし『ローティ』という名前にも、意味がないことを知った。


『ローティ』は、初代レイブレイド国王の名だ。

 王家を継ぐ予定の人間はみな、『ローティ』である。

 父も、祖父も、女王となった曽祖母も、幼いころは『王子』にして『ローティ』


 王子。

 

 その肩書きがあれば、中身は誰だっていい。

 ローティには、そのように感じられた。

 彼女の心の真ん中には、いつしか虚無が芽生えていた。


 彼女は歴代王子の中でも、感受性が強かった。

 吟遊詩人に生まれていたなら、一角の人物になれたかもしれない。

 しかし彼女は、王族に生まれた。


 心の真ん中の虚無は、日に日に大きくなっていった。

 胸にあるのが心か虚無か。それすらわからないほどになっていった。


 ローティは、それでも『王子』をやっていた。

 自分のあらゆる行動は、『王子』の二文字に集約される。

 自分である意味はない。『王子』であればそれでいい。

 それはとても虚しいことだ。

 それはとても悲しいことだ。

 その一方で、『王子』がゆえの恩恵もある。


 毎日のご馳走。

 安全が確保された日々。

 温かな視線を――自分ではなく背後の国を見ているとはいえ――向けてくれる人々。

 

 それらすべても、『王子』だからもらえた物だ。

 それがゆえにローティは、『王子』を受け入れていた。

 どこかにいたはずの自分を殺し、『王子』の二文字で塗り替えた。


 彼女は育った。

 成人に近くなった。

 旅をすることになった。


 巡礼紀という、やはり『王子』として旅をする任務だ。

 初代レイブレイドが組んでいたとされる、王子、騎士、貴族、平民に加えて、王家からの推薦人がひとり。


 どこかで見たような騎士。

 どこかで見たような貴族の魔法使い。

 よくわからない平民の武道家。

 人間かどうかも怪しい、王家からの推薦人。


 ひとり存在のおかしい彼の名前は、スライといった。


 スライは王子を、王子と思わない人間だった。

 よくも悪くも王子のことを、ただの人間としてあつかった。

 プリン大好きルドルフおじさんなる怪しい名乗りと姿を掲げる怪しい屋台のプリンを買って、差し出してきたこともあった。


 騎士と魔法使いは、『王子にそんな怪しいものを!!』なんて怒った。

 しかしローティは、そんな心がうれしかった。

 プリンを受け取って食べた。

 心からの笑みが、自然とこぼれた。


 からっぽだった虚無の心に、淡い心が芽生え始めた。

 それが恋だと自覚するのに、長い時間はかからなかった。

 スライの一挙手一投足が、自分の心をざわつかせた。

 それが彼女の、愚かなところでもあった。


 王子は王子。

 王の子である。

 王の子である以上、自らの行動はすべて、『それが国のためになるのかどうか。民のためになるのかどうか』で考える必要がある。

 恋慕の情すら、例外ではない。


 しかし彼女は、恋をした。

 スライの一挙手一投足に、自分の心をざわつかせてしまった。


 とある日、彼女はひとつ決意した。

 高い宿屋の一室で、スライの部屋に入って尋ねる。


「この旅が……。

 巡礼紀が終わったあとに、したいこと…………ある?」


 真っ赤な顔でうつむいて、指をもじもじといじる。


(もしもなかったら、ボクと…………)


 しかしスライは、あっさり言った。


「世界を旅したいかな」


 それはまばゆい笑顔であった。


「知っているスライムは見に行きたい。

 誰も知らないスライムを、探し歩くのも楽しそうだ」


 まばゆい笑顔で地図を広げた。

 スライは見てみたいスライムや、探してみたい遺跡の話をした。

 語るスライの横顔は、とても素敵な笑顔であった。

 自分がスライに、心の底から恋していることが実感できた。


(やっぱりボクは、この人のこと……)


 好きだなぁ、と思うのだ。


『王子』でいるのが息苦しい。

『王子』の自分がとても嫌い。

 なのに『王子』を、捨てることもできない。

 だから自由なスライがまぶしい。

 自分を曲げない強さを持った、スライに憧れ、恋してしまった。


 あまりに自分を曲げなさ過ぎて、どうかと思うこともあった。

 しかし感情ですら、(その分ボクが弱いから、ちょうどいいんじゃ…?)なんて風に思ってしまった。

 そんな夢想をしてしまうほど、彼女はスライに恋をしていた。


 ぼんやり夢想していた彼女に、スライは尋ねた。


「つまらなかったか?」

「そそそそ、そんなことないよ?! 夜遅いから眠いだけ!!」


 誤魔化すように、あははと笑う。


「もっと早い時間に来ればよかったね!!」


 慌てたように部屋を去る。

 自室に戻りドアを閉め、天井を見上げ思った。


「ボクはスライが大好きだけど、旅にはついていけないんだよな……」


 なぜなら自分は、『王子』であるから。

『王子』が自らの国を捨て、好きな人についていっていいはずがない。


 王子でいるのが苦しかった。

 王子の自分が大嫌いだった。

 だからスライに憧れた。

 だからスライに恋をした。

 しかし王子でなかったら、スライに出会うこともできなかった。

 彼女は矛盾を無視できるほど、強い心を持ってなかった。


 目尻に涙が、じわりとにじむ。

 ベッドの上に、ぽふりと倒れる。

 

 この時の彼女は、知らなかった。

 スライは確かに、夢を語った。

 世界中を旅してみたい。そんな夢を笑顔で語った。

 しかし彼には、もうひとつやってみたいことがあった。

 

 スライムの育成だ。

 王宮の近くで牧場でも借りて、のんびりとスライムを育てる。

 それも旅と同じくらいに、やってみたいことであった。

 そちらに進む道であったら、『王子ローティ』とも、日常的に会うことができる。


 あと3分。

 ほんの3分、話を長く聞いていたなら。

 彼女はそちらに進むよう、彼に打診することができた。

 好きな人といられる未来を、確定させることができた。


 しかし彼女は、話を打ち切ってしまった。

 落ち度と呼ぶにはあまりに軽微な、純粋すぎる悲しみによって。


  ◆


 彼女は、宿屋のベッドに倒れ泣いていた

 うつ伏せになって、小さな嗚咽を漏らしてる。

 ドアからノックの音がした。


「王子様ー、起きてますー?」


 リスティだった。

 王子は慌てて涙をふくと、入室の許可を出す。

 入ってきたリスティは、両手にミルクを持っていた。


「最近ちょっと、様子がおかしかったので」


 からからとした、明るい笑みを浮かべてウインク。


「平民代表の年上おねーさんとして、なんでもお話聞きますよ?」


 彼女はのちに、五曜星の一角・水曜星のアクーアとして正体を現す。

 だからこそ、信用を得るための献身は欠かさなかった。


 そんな彼女の献身に、王子は涙を流してしまった。

 ぼろぼろと泣きじゃくり、色々なことを話した。 


 リスティはそっと優しく、ローティを抱いた。

 ローティは穏やかなぬくもりと柔らかな触感に、心からの安らぎを覚えた。


 しかし彼女は、知らなかった。

 この時のリスティが、邪悪極まる顔をしていたことを。

 運ばれてきたミルクの中に、負の感情を増幅させる薬剤が入っていたことを。

 薬剤と話術によって、やむを得ない悲しみが、理不尽な憎悪に塗り替えられていったことを。


 好きと嫌いは表裏一体。

 恋と憎悪も表裏一体。

 くるくる回るコインのように、どちらを向くかわからない。


 それでも表に向かおうとした淡い想いを、リスティは止めた。

 倒れゆくコインを指で止め、パタンと裏を向かせてしまった。

 恋に生じる悲しみを、スライへの憎しみに変えた。


 五曜星のウッドは当代のローティを指して、『世紀の暗愚』と表現した。

 それは彼女が、ヒトであろうとしたからだ。


 王は王。

 ヒトではいけない。

 誰かを好きになってもよい。誰かを憎んでもよい。

 しかしそれらは、国の利益になるようにしなければいけない。

 その判断は、国の利益になるのかどうか。

 それをしっかり考えてから、動かなければいけない。

 彼女は、それができなかった。


 一般の庶民では許されない贅沢も、王や王子は許される。

 しかし一般の庶民なら許される恋も、恋による暴走も、王や王子は許されない。


 彼女は、恋のほうに憧れた。

 宮廷に出てくる一流の料理より、大好きな人が買ってくれた屋台のプリンを美味しいと感じた。


 ヒトとしては正しいが、王族としては致命的に誤った感情。

 それがひとりの少女から、人間としての尊厳も奪った。

 その尊厳は、ひとりの英雄の手によって取り戻された。

 王族として。

 人間として。

 裁判を受けることを許された。


 そして三日後。

 王城に向かえば、人々は見ることができる。


 斬首に処され、晒し首にされた『王子』を。

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