第106話 リディの思い

 その晩、リディは眠ることができず、月明かりだけを頼りに中庭に出て、ベンチに座っていた。キエロの言っていた通り、月はぼんやりと翳っている。星をぼうっと眺めながら、リディはこれからのことを考えていた。


 エルフたちの準備が整い次第、セルヴェ家の呪いを解きに行くらしい。セルヴェ家へ行けば、当然、本物の両親に会うことになるのだろう。リディはため息をついた。


「眠れないのか?」


 リディは振り返らなかった。ギルバートがいることくらい、気配だけで分かっていたからだ。


「はい」


 ギルバートはなんの断りもなく、リディの隣に腰掛けた。


「ライネとヨニに会ってきた」

「そうですか」

「何も問題はないそうだ」

「それは良かった」

「ありがとう、リディ」


 リディはギルバートの方を見た。ギルバートはリディの目を見つめている。リディはなんとなく目を逸らした。


「別に、礼を言われるほどのことじゃありません」

「お前はそう思っていても、俺は本当に感謝している」

「そうですか」


 リディはなんとなく気恥ずかしく、空を見上げた。曇った宝石のように輝く星は美しいとは言えない。この世界の状況を表しているというのなら、良くない気がする。


 しばらく、ギルバートも口を開かなかった。いつもなら、用が無いのなら帰れとかそういうことを言ってしまうリディだが、このときばかりはそんなことを考える余裕もなかった。


「今後のことで悩んでいるのか?」


 リディはなんとも言えない気分になった。無意識にこの言葉を待っていたのかもしれない。一人で抱えるには、重すぎた。誰でもいい、普段は意識的に避けているギルバートでもいいから、抱え込んでいるものを全てぶちまけたい気分だった。


「悩むと言うか……そうですね。家も無くなったし、セルヴェ家へ戻れない理由も無くなる」

「セルヴェ伯は、エマだけでなく、お前の帰りも望んでいる」


 リディはどきりとした。そんな話、聞きたくなかった。でも、どこかで安堵する自分もいた。


「お前にとって、見たこともない赤の他人だろうが、お前の親は、お前のことを娘だと思っているんだ」


 リディだって、それくらい分かっていた。エマを育てた人間が、エマの価値観を作り上げた人間が、冷酷なろくでなしなわけがない。分かってはいるが、感情が追いついてこない。リディはため息をついた。


「私は心のどこかで、セルヴェ伯爵夫妻を憎んでいたのかもしれません。エマと私を引き離したことや、私を家から追い出したことを、恨んでいたのかも」


 リディは地面を見つめた。いくらぼんやりとした星でも、リディには眩しすぎた。真っ暗な足元は、移動魔法を使った時のように渦巻いて見えた。自分がどこにいるのか、分からなくなりそうだった。


「興味がないふりをして、考えたくなかっただけなんでしょうね」


 ギルバートの手がリディの手に重ねられた。いつもなら払い除けるが、この時ばかりはそんな考えにも至らなかった。ギルバートはリディの手を優しく握った。その瞬間、渦巻いて見えていた足元がぴたりと止まった気がした。


「私には多分、貴族の暮らしなんて合わないです」

「そうだろうな」

「だから、上手いこと言って、エマだけセルヴェ家へ戻して、私はマイユールに住み続けようと思ってた。そこそこ愛着があったんです」


 住み慣れた快適な家があったし、シルヴィアと過ごした十数年の全てがマイユールにある。マイユールに住み続けることが叶うのならば、それが一番だった。


「でも、その家も無くなった。その上、もうあの地へは戻るなと言われた」


 ギルバートはリディを見ていたが、リディは頑なにギルバートの方を見ないようにしていた。エルフはともかく、ギルバートに憐れみの表情を向けられるのなんて、絶対に嫌だった。


「もう、これはどうしようもないです」


 リディはいろんな感情を誤魔化して、ギルバートに笑顔を見せた。ギルバートの表情は、想像とは違い、憐れみなど感じられなかった。いつもの無表情だ。その無表情にリディは救われた気がした。


「お前がそう決めたのなら、俺はできる限りのことをする。何も心配しなくていい」


 リディは何故だか分からないが、視界が滲んだ。生暖かいものが頬を伝う。ギルバートの手は、リディの手を優しく握ったままだった。

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