第103話 マイユールの戦い
リクハルドは大きな水盆の前にいた。水面には、見覚えのある風景が写っている。
「突然すまない。マイユールの君の家に攻撃があっている。リューディア一派の犯行と見ている。何人か派遣する。今のところ、村人は無事だ」
リクハルドの言葉よりも先に、水面に映る映像でリディは状況を把握していた。自分の家から魔法の光が飛び交い、家がどんどん崩れているのだから。まだ昼過ぎだ。家には誰もいないはず。そう考えたのも束の間、リディは血の気の引く感覚を覚えた。ここのところ、ただぼんやり過ごしていたため、日付感覚とか、そういうものがなくなってしまっている。だから、確信はないが、リディの嫌な予感は大体当たる。
「今日は休日ですか?」
「ああ。そうだ」
「エマは?」
「エマ?ああ、双子の。彼女は一緒に住んでいたのか?」
「数年前から」
「なるほど。なぜ強固な護りに固められているマイユールが見つかったのか不思議に思っていたが、君自身の魂を辿って、エマに辿り着いたのか」
リクハルドは呑気に言う。今はそんなことを言っている場合ではない。休日の昼過ぎ、エマはきっと家にいる。温室の方にいるかもしれないが、昼食をとった後、しばらくは家にいることの方が多い。
「エマは無事ですか?」
「無事だろう」
リクハルドはなんでもないように言う。その様子が逆に信用ならなかった。何を根拠に言っているのだろうか。
「マイユールへ行きます」
「そんなことをしたら向こうの思うツボだ。君はここにいなさい」
「あなたに命令される筋合いはありません」
「君と問答をしている暇はない。エマは大丈夫だ」
リディはリクハルドの言葉など無視して移動魔法を使った。魂が解放されてからは、エルフの国から他国へ移動する魔法くらい、簡単に使える。リディはすぐにエマの隣に到着した。エマはやはり家の中にいたようで、少し前まで家を構成していた木片が散らばる中にいた。見る限り、怪我をしている様子はない。
「エマ!」
「リディ!聞いて!バシリアおばさんって--」
エマは突然現れたリディに驚いた顔をしつつも、興奮した様子で言った。しかし、リディはエマの話を遮った。
「お前、無事なのか」
「ええ、私は何ともないわよ。バシリアおばさんが!」
魔法が飛んできて、リディはエマを守りながら結界を張る。魔法は弾かれ、近くにあった木片に当たる。木片は一瞬にして跡形もなく焼き消えた。こんな状況の中、なぜエマが無傷でいられたのか、不思議で仕方がなかった。
その時、エルフの気配が近づいてきた。リディはエマを守る姿勢のまま、エルフの気配がある方を睨む。すぐそこにある気配は一つだけ。エマを守るくらいはできそうだ。
「エマ!だい……なんでリディがいるのよ!」
かろうじて残っていた家の正面の壁の向こうから、若いエルフの女が顔を覗かせながら叫んだ。よく分からないが、敵ではないらしい。
「あ?誰だお前」
「だから--」
エマが何かを言おうとしたが、それを遮り、女はまた叫んだ。
「邪魔よ!エマを連れてエルフの王宮へ戻りなさい!」
「は?」
「いいから早く!」
リディは状況が分からないまま、エマを連れてエルフの王宮へ戻った。到着するとすぐにリクハルドがリディに駆け寄る。その後ろにはギルバートもいた。リディがマイユールに行っている間に、ギルバートもリクハルドの元へ来ていたらしい。
「リディ、良かった。エマも連れて来れたんだな。とにかくここで大人しくしているんだ。ギルバートもだ。分かったな。私は行くが、絶対にここから動くな。セラフィーナ、私の部屋まで来てくれ。ギルバートたちを頼む。ユリア、現地へ--」
リクハルドはいろいろと指示をしながら、忙しげに部屋を出ていった。それと入れ替わるかのように、セラフィーナが三人の元へやってきた。
「エマ、無事で良かった」
ギルバートは、機嫌が治っているようだ。ギルバートにしては愛想良く言った。
「ギルバート様!お久しぶりですね。テオドア様が心配されてますよ」
「そんなことより、何言おうとしてたんだ?」
リディはエマに尋ねる。エマは大切なことを思い出したように、顔を輝かせた。
「そう!バシリアおばさんが、エルフだったのよ!」
「あの婆さんが!?」
バシリアというのは、マイユールに住んでいる老婆のことだ。リディが幼い頃から、いつ死んでもおかしくないくらい歳をとっていて、誰も彼女の年齢を知らなかった。
「さっきのエルフの女の人、バシリアおばさんよ」
「あの婆さんが……?」
リディの知るバシリアはよぼよぼの老婆だ。骨と皺くちゃの皮だけになり、いつもよろよろと杖をつきながら歩いている老婆だ。その老婆が、あの若いエルフだったとは、とても信じられない。
「あ、私たちの住む村に、ずっと住んでいるお婆さんがいるのですが、そのお婆さんが、実はエルフだったんです。それで、私を守ってくれました」
エマはギルバートに説明する。バシリア婆さんも、先程の若い女のエルフも知らないギルバートには、リディやエマが受けている衝撃を理解できないだろう。
「そうか。それで無傷だったんだな」
「ええ」
「あの婆さんがあのエルフか」
「ね!若くてびっくりしちゃった」
「バシリアは変わり者でね、シルヴィアよりも前からマイユールに住んでいたの。シルヴィアはバシリアの紹介で人間の男性と出会い、結婚したわ。リディをどこかに匿うことになったとき、真っ先に候補に上がったのがマイユールだった。バシリアとシルヴィアがいれば護りは完璧だから」
セラフィーナは説明した。リディは自分の住む場所さえ、エルフに決められていたのだと知り、なんだか複雑な気分になっていた。
「でも、もうだめね」
セラフィーナは物憂げに水盆に映るマイユールを眺めた。リディの家だけではなく、エマの温室も、周りの樹々もぐちゃぐちゃになっていた。リディの家の周りには結界が張られているらしく、ある場所を境に何事もない平穏な風景が広がっている。他の家には何の被害もない。マイユールの村人たちは、こんなにも大きな騒動に気付いていないらしい。エルフの幻術で、飛び交う魔法の光も惨状も見えず、家が崩落し、樹々が薙ぎ倒される轟音も聞こえていないのだろう。
「今まで、マイユールは厳重に護られていた。バシリアの手によって。でも、その護りも崩れたわ。リディ、そしてエマも、あの地に住み続けることはできない。一度見つかってしまえば、もうダメなの」
「まあ、仕方ないな。引っ越そう」
リディが言うと、エマは頷いた。
「しばらくは王宮に部屋を用意する」
「助かります」
ギルバートに言われ、エマは微笑んで答えた。しかし、リディは王宮に住むなど、堅苦しくて嫌だった。使用人が暮らす棟なら良いが、どうせ客間だ。特別扱いはごめん被りたい。
「研究所の宿舎でいいです」
リディが言うと、ギルバートはじろりとリディを見る。何が気に食わないのか知らないが、明らかにエマに対する態度とリディに対する態度に差がある。
「王宮の方が安全だ」
それはそうだろうが、宿舎なら期限なく住み続けられるのに。そんなことを思いながらも、リディは面倒くさくなったので、何も言わなかった。セラフィーナとエマはなぜか楽しそうに微笑んでいた。
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