第102話 翳り

 オーラの呪いを解いた数日後、リディはギルバートとともに第四王女キエロに呼ばれ、庭にいた。樹々が自然のまま、最低限の手入れだけされた庭だった。その一角に設置されたテーブルを囲み、三人はお茶を飲んでいた。そのお茶は一般的なお茶とは少し違った。エルフの国で作られたお茶らしい。飲んだことのない味だったが、リディは気に入った。


「この季節、ウィデリアンド王国は寒いのでしょうね」

「ええ、北方地域に比べれば大したことはありませんが、ここよりは寒いです」


 ギルバートは答えた。エルフの国は、ウィデリアンド王国の北東に位置しているはずなのに、ウィデリアンドの北方地域はおろか、はるかに南にある王都よりも温暖な気候だった。


「ここは、一年を通して気候に変化がないのよ。この地にとって、気候は世界の異変を知らせるサインなの。ここのところ、ずっと、月に翳りがあるわ。リューディア殿に関係しているのでしょうね」


 キエロは物憂げに言う。


「私の能力は、占術に関係するものよ。私には、あなたたちの未来が見えるの。といっても、未来は無数に広がっているわ。あなたたちの選択で、変わっていく。道が一本に定まっていくのよ」


 キエロは空になったリディのカップにお茶を注いだ。カップからはゆらゆらと湯気が立ち上る。ポットの中のお茶はいつまでも冷めないらしい。


「今回、リディになら、オーラの呪いが解けると言ったのは私なの。大変な思いをさせてしまって、ごめんなさい」

「いえ、自分で決めたことなので」

「さて、リディの体調が整えば、あなたたちはウィデリアンドへ帰ることになるわ。今後もあなたたち二人は、リューディア殿の一味に狙われ続ける。だから、王都とセルヴェ領はエルフの保護下に置きます」


 キエロはギルバートの方を見た。


「ギル、あなたにはこれまで通り、ノアとオーラが護るわ」

「オーラの具合は?」

「とてもいいわ。あなたたちがウィデリアンドへ戻る頃には、オーラも復帰できるはずよ」

「そうですか」


 ギルバートはお茶を飲んだ。オーラのことはさして興味がないらしい。キエロはリディの方を見る。


「リディは、今やエルフと同等の魔力がある。リューディア殿の魂の記憶によって、知識も、技もある。多少のことはあなた一人で対処できると思うわ」

「はい」

「でもね、リューディア殿の一味は、強いの。だから、我々の監視下に置きます」

「はあ?」


 リディは思わず立ち上がった。四六時中見張られるなんてまっぴらだ。キエロはリディの反応が見えていたらしく、驚くこともなく、リディを見つめていた。


「嫌なのは分かるわ。でも、あなたを守るためでもあるの。もちろん、あなたに接触してくるであろうリューディア殿一味を、根絶やしにするためでもあるけれど」

「だからって--」

「監視と言っても、ギルのようにエルフが張り付くわけではないわ。自由に行動できるし、今までと何一つ変わらない。身に危険が及べば、我々の手の者が駆けつけるだけよ」

「……分かりました」


 リディは諦めて椅子に座った。監視をつけるなら黙ってこっそりつけて欲しかった。まあ、それはそれで気づいた時怒ると思うが。


「さあ、私からの話は以上よ。これから、あなたたちには数多くの試練が待っているわ。避けられない試練がね」


 キエロは立ち上がり、ゆっくりとリディの隣までやってきた。キエロは地面に膝をつき、リディの手を両手で握ると、リディを見上げた。


「この世界の平和は、あなたにかかっているわ。幸運を祈ります」


 正直、世界の平和とか言われても規模が大きすぎてリディにはピンと来なかった。しかし、自分が生き続けるためには、リューディアに負けるわけにはいかない。リディは軽く頷いた。




 エルフの国では、何もすることがなく、リディは常に暇だった。リディと同じくギルバートも暇を持て余しているようで、ギルバートは何をするでもなく、リディの部屋に居座ることが多かった。初めのうちは鬱陶しかったが、だんだん慣れてきて、どうでも良くなりつつある。慣れというものは怖い。王子が同じ空間にいても空気くらいにしか思わないのだから。


 リディの部屋がノックされた時、いつも通り、リディの部屋でギルバートは本を読み、リディはリューディアの魂の記憶から会得したエルフの魔法をいくつか試していた。リディには、扉の向こうにいるのが誰だか分かっていた。そのため、どうぞとだけ言った。扉が開き、部屋に入ってきたのはスロだった。ギルバートは読んでいた本を閉じると、鋭い目つきでスロを睨んだ。ギルバートに気づいたスロは立ち止まり、ギルバートの方を向いた。


「ギルバート様もいらっしゃいましたか。お邪魔して申し訳ありません」


 スロは深々と頭を下げた。ギルバートは相変わらずスロを睨みながら、スロの前まで行き、腕を組んで行手を阻むように立ち塞がった。


「リディに何の用だ」

「そんなに警戒なさらないでください」


 スロの後ろからオーラが現れて言った。体調がまだ回復しきっていないのだろう。気配が弱々しく、扉越しには気づけなかった。


「オーラ!大丈夫か?」


 リディはオーラの方へ歩いていった。ギルバートはスロを睨み続けているし、スロは困った顔でギルバートを見ていたが、リディには関係ない。


「ええ、おかげさまで。本当にありがとうございました」


 オーラはリディの前で片膝をつき、リディの手を取ろうとした。しかし、ギルバートがオーラの手を払い、リディの前に入り込んだ。


「元気そうで何よりだ。ノアも心配している。無理はするな」

「はい、ありがとうございます」


 スロはオーラの方へ来ると、オーラに手を差し出した。オーラはその手を取って、立ち上がる。少しふらつき、スロが心配そうにしていたが、オーラは大丈夫だと言って微笑んだ。オーラは再びリディの方を見た。リディはオーラがよく見えなかったので、ギルバートの横に立とうとしたが、ギルバートはリディを自分の後ろに追いやる。


「なんなんですか」

「何が?」

「オーラと話したいのですが」

「話くらいこのままでもできるだろう」

「あなたがそこにいない方が話しやすいです」


 リディとギルバートの小競り合いをオーラは少し笑いながら見ていた。


「そのままで良いです。ギルバート様は私たちのこと信用できないようなので」


 リディは仕方なく、ギルバートを押しのけようとする手を引いた。ギルバートは勝ち誇ったような顔でオーラとスロを見ていた。本当に何を考えているのか分からない奴だ。


「リディ、スロが無礼な真似をしたようで、本当に申し訳ございませんでした」


 オーラの横でスロは深々と頭を下げた。


「別にいいよ。気にしてない」

「スロは私の幼馴染でして、兄弟のように育ってきたのです」

「だから仕方なかったと言うのか」


 ギルバートが噛み付くように言う。


「いえ、決して許されることではありません。人の心を操る魔法など、どんな理由があろうとも使用してはいけない」

「別にいいって。結局何もなかったんだから」


 頭を下げていたスロは、申し訳なさそうな顔でリディを見た後、ギルバートの方を見た。


「二度と、リディに近づかぬようにいたします」

「そうしろ」

「そこまでしなくても……」


 リディが言いかけると、ギルバートに睨まれたので、慌てて口を閉じた。ギルバートがなぜこんなにも憤っているのかリディには全く理解ができなかった。


「オーラ、俺はお前のことも信用ならない」

「ええ、そうでしょう。結局私は、リディもシリルも守れませんでした。護衛は他の者に代わってもらいましょうか?」

「いや、いい。兄弟以上に息の合った仕事をできる者はいないだろう」

「兄弟?」


 リディは思わず口を挟んだ。


「ノアは私の兄です」


 オーラは静かに言った。リディはノアのことを思い浮かべた。言われてみれば、二人はどことなく似ている。顔ではなく、雰囲気が似ている。


「知らなかった」

「聞かれませんでしたので」

「じゃあなんで王子は知ってるんだ」

「兄弟かと尋ねられましたので」

「そんなことはどうでもいい」


 ギルバートはさらに不機嫌そうな声でリディとオーラの会話に割って入った。不機嫌なギルバートなど見慣れているが、今まで見た中でも最悪の部類に入るくらい機嫌が悪そうだ。


「用は済んだだろう。さっさと出て行け」


 自分の部屋でもないのにギルバートは偉そうに言い放った。リディはギルバートに危うく「お前も出て行けよ」と言いそうになったが、どうにか堪えた。オーラとスロが出ていくと、ギルバートは我が物顔でソファに座り、本の続きを読み始めた。自分の部屋に帰る気はないようだ。もしかすると、ここが自分の部屋だと思っているのかもしれない。


「あの、ここは私の部屋なのですが」


 リディは八つ当たりされないよう、恐る恐る言った。


「知っている」


 ギルバートは本から視線すら上げずに言う。


「出て行けと言っているのか?」

「そういうわけではありませんが」


 リディは本気でギルバートが分からなかった。得体の知れないものと話しているような気分になる。何が気に食わないのかも分からないし、リディの部屋に居座って読書を続ける意味も分からない。誰かに頼まれて、リディを監視しているのだろうか。


「あの、見張ったりしなくても、私は姿をくらましたりはしませんよ」

「分かっている」


 監視をしているわけでもないらしい。リディはますます分からなくなった。ギルバートを放っておくこともできるが、それはそれでなんとなく落ち着かない。不機嫌オーラを全開にしながら、謎に居座られたら誰だってそうだろう。


 しばらくギルバートを見つめたまま、リディは動かなかった。かける言葉も見つからず、突っ立ったままギルバートを見ていた。すると、ギルバートは本をパタンと閉じ、窓の方を見た。バルコニーに続く大きな窓からは、冬の昼下がりの穏やかな陽が差し込んできている。


「リディ、俺は--」

「リディ!」


 ギルバートの言葉は、室内に響き渡るリクハルドの声でかき消された。


「今すぐ私の元へ」


 そう言われた次の瞬間には、リディはもうリクハルドの前に立っていた。

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