第74話 テオドアの怒り

 フリンツァー領は王都から遠く離れているが、気候は同じ。一年を通して気温の変化は緩やかで、過ごしやすい。平地には緑豊かな農村地帯が広がり、国境には鉱山がある。そんなどうでもいい話に耳を傾けながら、リディは馬車に揺られていた。リディの隣にはにこやかに話し続けるドロシア。ドロシアの向こう側にはシリル。そして、向かいにはギルバートとテオドアが座っていた。エルフの二人は馬に乗っているらしい。


「ギルバート様はこちらへいらっしゃるのが初めてですね。美しい土地でしょう」


 ドロシアはにっこりと微笑む。


「そうですね」


 ギルバートは窓の外ばかり眺めていて、話など聞いていないようだった。しばらくすると、フリンツァー邸に到着した。そこでドロシアと別れ、ギルバート一行は東部地域にあるオリオル城へ向かった。




 オリオル城は小高い丘の上に建てられた小さな城で、景色が良かった。一面の緑に、ちょこちょこと町が点在しているのが見える。


「さて、視察の日程ですが」


 テオドアは机の上に地図を広げ、色々と説明を始めた。この中で唯一、失踪事件の調査に来ていることは知らないらしい。まあ、テオドアが知っていれば、こんなことにはなっていないだろうが。


「テオドア、失踪者の情報を調べてくれ。これが、ドロシア殿から聞いた失踪者の名前だ」

「はあ?失踪者?」

「フリンツァー領内で若者の失踪事件が多発している。フリンツァー伯は家出だろうと、大事にするつもりはないらしい。ドロシア殿は酷く心を傷めている。俺はそんなドロシア殿を見ていられなかったので、調査を引き受けた。今回の視察は、堂々と城を出るための言い訳に過ぎん。分かったらさっさと調べてくれ」


 ギルバートが早口に説明すると、テオドアはフラフラとしながら壁に手をついた。


「ご冗談でしょう?」

「冗談なわけあるか。早くしろ」


 俯いたまま、テオドアは何も言わなかった。やがて、ふるふると震え始める。怒っているのだろう。無理はない。


「あなたたちは全員、知っていたのですか?」


 怒りに震える声でテオドアは言う。リディは関わりたくなかったので、口を開かなかった。しかし、皆同じ考えのようで、誰も何も言わない。


「そうですか。私だけ知らされていなかったのですね」


 テオドアの近くにある椅子や机がかたかたと揺れ始めた。普段怒らない奴ほど、怒れば怖いものである。テオドアは普段からストレスを抱えているわけで、積もり積もったストレスはいつ爆発してもおかしくはない。リディはシリルの腕を引っ張り、自分の方へ引き寄せると、周りに結界を張った。魔力量だけで言えば、シリルはテオドアに劣るので、魔力を爆発されれば、シリルは自力では防ぎきれないだろうと思ったのだ。ギルバートとエルフの二人はどう考えても問題ない。次の瞬間、部屋の中にあるものが全て一斉に吹き飛んだ。花瓶やら、ランプやらが割れる音や、机や椅子が無惨に折れる音がしていた。紙類はひらひらと宙を舞う。テオドアは荒ぶる魔力を抑えきれず、いや、抑えようとしていないだけか、とにか

 くはあはあと肩で息をしていた。


「もうたくさんだ。ギル、お前のわがままにいつまでも付き合うと思うなよ。僕はもう君の補佐官を辞める。罰したいなら罰したらいい。王都追放だってなんだってうけてやる。実家から勘当されたら万々歳だ」


 結界によって全員が無傷ではあったが、ギルバートはかなりショックを受けているようだった。いや、何が起こっているか理解できず、呆然としていると言った方が良いか。ギルバートが口を開くより早く、テオドアは移動魔法でどこかへ行こうとした。さすがのリディもそれは引き止める。


「待て、怒るのも当然だと思うが、ちょっと落ち着けよ」


 リディはテオドアの腕を掴んで言った。テオドアはリディをきっと睨みつける。


「落ち着け?よくそんなことが言えるな。リディが僕の立場だったら、毎日城を半壊させてるだろうよ」


 テオドアはいつもの丁寧な口調が崩れている。相当怒っている。リディは緊張し、うまい返しが思い浮かばなかった。


「それは……そうだろうけど」


 うまいフォローなど、思いつかなかった。毎日ギルバートに振り回されるなんて、想像するだけでもぞっとしないのだから。


「僕は長年、耐え続けた。もう限界だ。僕だって、こんな地位欲しくもないんだ。君だけ嫌々やらされていると思うなよ」


 テオドアはまたギルバートの方を睨みながら言う。いつものギルバートなら言い返しそうなものだが、テオドアの剣幕に負けて、言葉も出ないらしい。


「テオドア、待てって。お前が城へ帰ると不都合が」

「城へ?帰るわけないだろう。僕はもう辞めるんだから。もう勝手しろよ。リディ、僕は君の顔も見たくないんだ。本当にそっくりで、君を見るたび……」


 テオドアは言い淀むと、リディの手を振り払ってどこかへ消えてしまった。めちゃくちゃな部屋に残されたのは、驚きのあまり固まっているシリルと、ショックで言葉を失っているギルバートと、困り顔で微笑んでいるエルフの二人だけ。リディはため息をついた。テオドア不在のまま、このメンバーで数日過ごすのかと思うと、頭が痛い。





 テオドアの暴走後、ギルバートは自分の部屋にこもってしまった。リディは魔法で部屋を元どおりにしてから、シリルと共に昼食をとりに食堂へ行った。


「テオドア様があんな風に怒るの初めて見た」

「まあ、いろいろ溜まってたんだろ。忙しそうだったし」


 忙しいとかギルバートに振り回されてストレスが溜まっていたとかいうのも、原因ではあると思うが、あの様子だと、一番大きな理由はエマのことだろう。リディは申し訳なく思っていた。


「エマと何かあったのかなあ」


 シリルは呟いたが、リディは聞こえなかったふりをして、昼食を食べ進めた。昼食を食べ終えると、シリルがギルバートの部屋へ行こうと言うので、リディは嫌々ながらついていった。シリルが部屋の扉をノックすると、ノアが出てきた。


「入ってもいいですか?」


 シリルが言うと、中からギルバートの唸るような声が聞こえてきた。入っていいのか悪いのか分からなかったが、ノアが中へ入るよう促したので、二人は部屋に入った。


 ギルバートは不貞腐れて窓の外でも見ているのかと思っていたが、意外にも机の上に地図を広げて、分厚い本片手に、地図に何かを書き込んでいた。


「来たか。失踪者のことを調べていたんだが--」

「テオドア様のことはどうするんですか?」


 シリルがギルバートの言葉を遮って言うと、ギルバートは目を逸らす。大方、テオドアのことを考えたくなくて、調査に打ち込んでいたのだろう。


「そうやって、逃げてばかりでは何も解決しませんよ」


 シリルが至極真っ当なことを言っている。身に覚えのあるリディの胸にも突き刺さった。協調性のない奴だと思っていた三つも年下の子どもにそんなことを言われると、苦々しい気分になる。ギルバートも同じようで、苦々しい顔をしていた。


「分かっている。だが、少し冷静になる時間も必要だろう」

「いつもいつもテオドア様から戻って来てくれると思ったら大間違いですよ。ギルバート様が謝りに行くべきです」

「分かっている。後で探しに行く」

「後でって、いつですか?」


 シリルは珍しく食い下がる。シリルはギルバートだけではなく、テオドアにもかなり懐いているらしい。


「……今晩にも」

「そうですか。調査の話、続けてください」


 リディはシリルにエマとのケンカの理由を知られないように気をつけようと思った。もし知られれば、リディもシリルから同じような追及を受けることになることが容易に予想できる。それだけは避けたかった。頼りないと思っていた年下から、まともなことを言われると、精神的にかなりくるのだ。


「ああ、失踪者の件だが、気になることがある」


 シリルはいつもの無口モードに戻っていたので、リディが話に付き合うことにした。


「なんですか?」

「双子が二組も失踪している」

「双子?そんなもん、そもそも頭数が少ないだろうに」

「ああ。フリンツァー領内の双子は十組しか届出がない。そのうちの二組だ」

「怪しいですね」

「ああ。そういうわけで、失踪した双子の家を訪ねる。俺は家族に話を聞きに行くから、お前たちは近所に住む者たちに聞き込みを」


 ギルバートは派遣員のマントを羽織った。派遣員のふりをするらしい。ギルバートはノアとオーラにも派遣員のマントを手渡す。二人はマントを羽織ると、フードで長い耳を隠し、魔力の気配を弱めた。これで、エルフであることはバレないだろう。リディとシリルも同じマントを羽織り、五人は調査へ出かけた。

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