第72話 国王の婚約者

 その後三日間、リディはギルバートの執務室で雑務をこなしていた。テオドアには大いに感謝されたし、エマのことを考える余裕もないくらい仕事は大量にあった。


 そして、国王の婚約者が城に到着する日がやってきた。リディは朝から正装をして、ギルバートの執務室へ向かった。執務室ではテオドアとギルバート、それにエルフの護衛であるノアとオーラが待っていた。リディの後からすぐに正装したシリルも到着した。シリルは服が正装なだけで、髪はいつも通り、目にかかりそうになっていて、テオドアが魔法で前髪を上げた。シリルは嫌がっていたが、仕方がない。二人の準備が整うと、オーラが進み出た。


「お二人には、守護の魔法をかけておきます。そうすれば、少々の呪いや毒の類は効かなくなりますので」


 オーラはにっこりと微笑むと、まずリディに近づいた。呪文を唱えながら額、右肩、左肩の順に指先でリディに軽く触れると、リディは何か温かいものに包まれた気がした。リディが終わると、シリルにも同じことをした。


「これで大丈夫です」


 そう言って、オーラはギルバートの後ろに下がった。


「では行こう」


 リディたちは、城の正面玄関へ移動した。玄関には、出迎えのため城中の人間が集まっているように見えた。


「よお、リディ、シリル。久しぶりだな」


 背後から声をかけられ、振り返るとアレクシスが立っていた。


「どうも」

「お久しぶりです。殿下」


 シリルが思いの外しっかりと挨拶したので、リディは少し驚いた。


「二人はドロシア嬢の警護をするんだったな。頑張れよ」

「はあ」

「ギルの警護をするより楽だろうけど、ドロシア嬢は変わった方だからなあ。まあ気楽にな」


 アレクシスは二人の肩をポンと叩くとマティアスとギルバートの方へ向かった。


「兄弟総出で出迎えとは、歓迎されてるなあ」

「そりゃあね。フリンツァー家は伯爵家だけど、かなり力を持ってる。長年、東の国境地域を守り続けてる家系だし」

「お前がそんなこと知ってるなんて驚きだな」

「東部の出身だから」

「へえ」


 そんなことを言っていると、城の門のあたりに見たこともないくらい巨大な鏡が現れた。城の玄関から門まではかなり離れているが、それでもしっかり見えるくらい大きな鏡だった。その鏡の向こうから、馬車やら馬に乗った騎士やらが次々に現れた。一番豪華な馬車が城の玄関前に停車すると、中から美しい女性が現れた。年齢は二十かそこらだろう。マティアスより、リディたちの方が歳が近いように見えた。


(国王の年は三十くらいだったか?十くらい離れた相手なら許容範囲か)


 マティアスの婚約者が、歓迎される様子を眺めながらぼーっと考えていると、シリルに小突かれる。


「なんだよ」


 シリルの方を見ながら言うと、シリルは顎で軽くギルバートの方を示した。ギルバートを見ると、こちらを見ている。来いと言っているのだろう。リディはギルバートの方へ進み出た。


「ドロシア殿、ご滞在中、この二人が警護いたします」


 ギルバートが言うと、ドロシアはゆっくりとリディたちの方を見る。


「あら、頼もしいわ」


 ドロシアは柔らかく微笑んだ。


「派遣員のリディ・イヴ・フォレです」

「同じく、派遣員のシリル・ランブランです」


 ドロシアはまた微笑んだ。花のような芳しい香りがしていた。美しい女性だが、独特の雰囲気がある。おっとりしているだけなのか。


「ドロシア・フリンツァーです。よろしくお願いします」


 ドロシアはおっとりした口調で言った。やはり、おっとりしてるだけの人か……?あの国王の婚約者だから、もっと食えない奴かと思っていたリディは拍子抜けした。


「リディとシリルね。噂は聞いているわ」

「噂?ですか?」

「ええ」


 ドロシアはそれだけ言うと、にっこりと微笑んだ。つかみどころがないと言うか、何を考えているのかよく分からないタイプだ。


 出迎えの後は、式典の打ち合わせやらで、ドロシアたちがあちこち行くのに、シリルと共について行った。警護といっても、城からは出なかったため、リディたちのやることはほとんどない。城内で何かが起こることなどないのだから。


 夕方になり、やっとドロシアは部屋へ戻ることになった。リディとシリルは部屋の前までついて行き、そこで衛兵に引き継ぐはずだった。部屋には強力な結界が張られていて、警護など不要だからだ。


「二人とも、少しお茶に付き合ってくださらない?」


 二人が帰ろうとしていると、ドロシアはゆっくりと言った。断れるはずもなく、二人はドロシアの部屋へ入る。


「さあ、座って」


 ドロシアはソファにゆったりと腰掛けると言った。二人は、ドロシアの向かいのソファに腰掛けた。流石のリディも背筋を伸ばして、姿勢良く座った。侍女たちはテーブルの上にお茶の準備をすると、どこかへ下がってしまった。


「ふふ。あなたたちが、ギルバート様のお気に入りね」


 ドロシアは楽しそうに微笑みながら言う。リディは思わず口を歪めてしまった。


「あら、そんな顔をして。可愛いお顔が台無しですよ」

「別に、お気に入りではないです。こき使われてるだけで」

「ギルバート様は昔から何でも自分でしようとするのよ。実際なんでもおできになるし、人を頼るのは苦手なんでしょうね。そんなギルバート様にこき使われるなんて、すごいわよ」


 リディは苦い顔をしたままシリルの方を盗み見た。シリルは緊張する様子もなく、紅茶を飲んでいる。本当にマイペースな奴だ。


「ギルバート様は、人を見る目が良いから、私はあなたたちのことを信用しているわ」

「そんなに簡単に人を信用しない方が良いのでは?」

「あら、そんなことを言われると、ますます信用してしまうわね。さて、二人にお話があるの」


 ドロシアは微笑む。嫌な予感しかしない。偉い人の「話がある」はリディにとっては呪いの言葉のようなものだった。しかし、聞きたくないとも言えない。ギルバートに対してなら言っていただろうが、いくらなんでも出会ったばかりの、しかも王妃になる人間に対して、言えるわけがない。


「なんでしょう」


 聞きたくなさすぎて、リディの声は震えた。しかし、ドロシアはそんなこと気にも止めず、歌うように話を続ける。


「ここ最近、領内で若者が消えています」

「若者が消える?」

「ええ。十代の若者たちよ。つい数日前に、一件、その次の日もその次の日も一件ずつ。今のところ、全部で五件の報告があります。報告が来ていないだけでもっとあるかもしれません」

「なぜ、そんな話を私たちに?」

「本来ならば領主である父から、陛下にご報告すべきでしょう。しかし、父は報告するまでもない事案だとお考えです。家出だろうと」


 リディも家出の可能性が高いと思った。十代の若者は何が気に食わないのか、反抗ばかりするものだ。家を出たくなるのも大体その年齢。それより幼い子どもは何かの事件に巻き込まれてるのかも知れないが。


「私は家出ではないと考えています」

「なぜですか?」


 ドロシアはリディを見つめた後、微笑んだ。


「なんとなく」

「なんとなく……?」


 リディはドロシアの言葉を繰り返封す。どうにか笑顔を保とうとしたが、難しく、口の端がひくひくと痙攣していた。


「ええ。でも、私の勘はよく当たるのよ。良いものも悪いものも」


 ドロシアの言葉には、なぜだか分からないが、重みがあった。


「あなたたちに、調査をお願いしたいの」


 面倒くさい。かなり面倒くさい。もし家出だったらそれで終わりだが、本当に何か厄介なことに巻き込まれていたら……考えるだけでも嫌だ。見ず知らずの人間のためにそこまで献身的に働きたくない。しかし、これは上司からの命令でもないし、上司の命令なしに動くことはできない。


「私たちは、勝手に動くわけにはいきません」


 ドロシアは悲しそうに眉を下げる。良心が傷んだ。悪いことなどしていないのに、してしまった気分になる。リディはドロシアから目を逸らした。やがて、ドロシアは諦めたようで、小さくため息をついた。


「分かったわ。ギルバート様に相談しましょう。彼なら陛下に反抗するのが好きだから、こそこそしてくれるでしょう」


 リディは耳を疑った。目の前にいる美女は、大人しそうな顔をして、何を言っているのか。


「いや、え?」


 シリルは無言で菓子を食べ続けている。全身から、関わりたくないという主張がひしひしと伝わってくる。リディだって関わりたくない。


「さて、こういうことは早くした方がいいわね」


 ドロシアは胸元からペンダントを取り出した。エマが持っている連絡用のペンダントと同じものだった。


「ギルバート様」


 ドロシアがペンダントに呼びかけると、すぐに返事があった。


「少し、お時間よろしいですか?陛下には内緒で。もちろん、アレクシス様にも」


 すぐに扉がノックされた。ドロシアが扉を開きに行くと、ギルバートが入ってきた。


「何か御用ですか?」

「ええ。今、リディとシリルにお話ししていたのですが」

「リディとシリル?」


 ギルバートはやっと二人がいることに気づいた。ドロシアはギルバートを一人掛けのソファに座らせると、先程リディたちにした話をギルバートにも聞かせた。


「分かりました。私が調査に行きましょう」

「はあ!?」


 リディは思わず立ち上がる。シリルも元から大きな目を、さらに大きく見開いていた。さすがのドロシアも驚いたらしく、常にこやかに細められている目を、僅かに見開いた。


「無理に決まってんだろ」

「兄上たちの目を盗んで行けばいい話だ」

「何かあったらどうするんです?」

「エルフの護衛がついてくるんだ。何もない」

「私たちは何も聞かなかったことにしていいですか?」

「いいえ、あなたたちは確かにこの会話を聞いていますよ」


 ドロシアは穏やかに微笑んだまま言う。リディはドロシアを危険人物として認定した。

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