第45話 エルフの耳飾り

 数日間、リディはぐったりと寝て過ごす日々が続いたが、その後は突然楽になり、順調に回復していった。ダリオの怪我も大したことはなかったようで、もう退院したらしい。


「あら、もう起きてたのね」

「寝過ぎてもう寝れねえよ」

「調子も戻ってきたみたいで良かったわ」


 エマはそう言いながら、窓際に置いてある花瓶の花を入れ替えた。調子が戻ってきたということは、そろそろエマ以外の面会謝絶も解かれるのだろう。ここ数日は、ギルバートの顔を見ずに済んだため、平穏な日々だった。あの不機嫌男は面会謝絶が解かれた途端に、また怒りをぶつけに来るのだろう。何にそんなに怒っているのかは知らないが、迷惑な話である。


 エマが窓を開けると、心地よい風が吹き込んできた。病室内のあちこちに花を飾るエマを見ながら、リディはふと疑問に思った。


「そういえば、私がいない間どうやって家に帰ってたんだ?」


 家・研究所間の移動を魔法陣で自動化していると言っても、魔力がないエマだけでは移動できない。視察でリディがいない間は、温室に魔法をかけて、世話をしなくても良いようにしていたため、エマは研究所の寮で寝泊まりしていた。しかし、温室にかけた魔法の効力はとっくに切れているはずだ。エマが温室の世話を放って王都での滞在を続けるとも思えない。


「テオドア様に送迎してもらってたのよ」

「あ、そう」


 なんとなく腑に落ちない気がしたが、何が腑に落ちないのかリディは気づかなかった。そのことについて考える間も無く、病室の扉が開いた。看護師が朝食と薬を持って、朝の見回りにやってきたのだ。


「熱が下がって良かったわね。傷口もかなりいい状態だし、もう問題なさそうね」


 肩の傷はとっくに包帯も取れて、瘡蓋になっている。あの軽い調子で話す医者は、頼りなさそうに見えて、治療魔法の腕はかなりのものだし、腕の良い調合師が作る薬は効きがいい。リディは王立研究所のレベルの高さを改めて実感していた。


「退院?」

「それはまだよ。まだ少しだけ毒が体内に残ってるもの」

「確かにまだだるい」

「あと一週間くらいかかるかしらね」

「面会は?」

「もう少しお待ちなさい。ギルバート様に会いたいのでしょうけど」

「いや、逆だ。会いたくない」

「あら、そうなの。それなら面会謝絶にしておくけど、いつまで嘘が通用するかしらね」


 看護師は食後の薬を机に置くと、病室を出ていった。朝食を食べながらエマの話を聞き、食事が終わるとエマは研究室へ行くと言って病室を出ていった。リディが高熱で苦しんでいた時は、エマも甲斐甲斐しく付き添ってくれていたが、熱が下がってからは朝昼夕と訪ねてきて、なんだかんだと話をして出て行くようになった。エマも仕事があるので、仕方ないとは分かってるが、リディは毎日暇で仕方がなかった。病室から出ることは禁止されているし、傷の調子はいいとはいえ、毒の影響でまだ少しふらつくし、だるいし、疲れやすい。自ら動く気にはとてもなれない。


 リディは暇を持て余し、窓の外を眺めるだけの午前を過ごしていた。窓の外にある池は、太陽の光を反射してキラキラしていた。天気も良く、心地よい日だ。このまま、何事も起きなければ、それなりに良い一日だと思っていると、すぐにそれは崩される。


「入るぞ」


 一方的に宣言すると、ギルバートは病室へ入ってきた。リディは肩を落とす。面会謝絶を続けることはできなかったらしい。リディは、扉の方に背を向けていたのをいいことに、目を瞑り、寝たふりをした。いくら暇でも、ギルバートに怒られるのは嫌だ。


「起きているだろう」


 バレているようだが、ここで認めてしまえばリディの負けである。リディはそのまま寝たふりを続けた。


「まあいい、そのまま聞け」


 ベッド脇に置いてある椅子が軋んだ。ギルバートが座ったのだろう。目を開くべきか迷ったが、そのまま寝たふりを続けた。


「結論だけ言うと、あの矢はエルフのものだった。魔法で飛ばされていた。あれだけ堂々と王太子一行が襲撃され、重傷者が出たわけだ。陛下からエルフの王へ正式な抗議文を」


 そこまで寝たふりをしながら聞いていたリディだったが、聞き捨てならない話に勢いよく起き上がった。


「待て。末端の人間が一人怪我をしたくらいで、エルフ相手に戦争でも仕掛ける気か?」

「やはり起きていたか」


 ギルバートの表情を見て、リディは騙されたらしいことに気づいた。本当に嫌な奴だ。


「エルフ相手に戦争になどなるわけがないだろう。連中は、自分たちを最も神に近い存在、この世の頂点だと思っている。だから他種族は奴らにとって、保護の対象だ。同族が他種族を攻撃するなど、恥ずべき重罪。どんなに些細なことでも処刑の対象となる。今回の件も、こちらからの通報の前に、エルフ側は全てを把握していた。数日前に陛下へ謝罪文と見舞いの品が届いている」


 ギルバートは、懐から美しく装飾された小さな箱を取り出し、机の上に置いた。


「なんですか?」

「見舞いの品だ。この他に、魔法薬も届いた。治療に使った途端、容体が安定したと聞いている」


 突然楽になったのはエルフの魔法薬のおかげだったようだ。それについては感謝しかない。


「で、その箱はなんですか?」

「開けてみろ」


 リディは箱を手に取った。箱だけでかなりの価値がありそうだ。銀細工の縁取りに、乳白色で、光の加減によって様々な色に輝くガラスのような素材でできている。雑に扱うとすぐに壊れてしまいそうだ。リディはゆっくりと箱を開く。中には、小さな石がついた耳飾りが一組入っていた。石は白いオパールだろうか。箱と同様に、様々な色に輝いている。


「守護のまじないがかけられた耳飾りだそうだ。災いを代わりに受けてくれる。常に身につけておけ」


 エルフ製のこの手の品は希少価値が高い。人間界にはほとんど出回らない。普通はエルフの王から一国の王へ友好の印に贈られるようなものだ。そして、普通は国宝になる。


「私なんかにこれを使えと?国宝級の品だぞ。平民の私がそんなもの」

「お前宛に届いている。お前が使え。これは命令だ」


 早くつけろとギルバートに促され、リディは渋々耳飾りをつけた。装飾品をつけるのが嫌いなリディでも気にならないくらい、耳飾りは肌に馴染んだ。


「それで、体調はどうだ?」


 ギルバートはいつものように腕を組み、偉そうに尋ねた。前回のように怒っている様子はない。


「随分ましにはなりましたが、まだだるいですね」

「まだ毒が抜けきっていないのだろうな。しばらくは大人しくしておけ。病室をぬけだしたりしないように」

「はあ、言われなくとも彷徨いたりしませんよ。動きたくないくらいにはだるいですから」

「そうか」


 ギルバートはリディを見つめたまま何も言わなくなった。用が済んだのなら帰ればいいのに。そう思いながらもリディは黙ってギルバートの言葉を待った。しかし、ギルバートは一向に口を開く気配がない。痺れを切らしたリディは沈黙を破った。


「他にも何か?」


 ギルバートは言うべきか迷っているようだったが、口を開いた。


「お前は、元の暮らしに戻りたいか?」


 思いがけない質問に、リディは何と答えて良いか分からなかった。確かに、初めは辞めたかった。あの頃に尋ねられていたら、即答していただろう。しかし、今もそうかと言われれば、違う気がする。あれこれ指示されるのは嫌だが、他人と仕事をするのも悪くないように思えてきたし、給金にも満足している。ギルバートに振り回されるのは嫌だが、元の仕事も、依頼主に振り回されることが多かったため、大して変わらないような気がしてきた。それに、ギルバートにはいくら文句を言っても、何の反応も示さないため楽と言えば楽だ。


 答えないリディを見て、ギルバートは小さくため息をついた。


「振り回して悪かったな。完治したら、家に帰れ。これまでの働きに免じて、魔法不正使用については、不問とする」


 ギルバートは立ち上がろうとした。


「まだ何も言ってないだろ」

「戻りたくないのか?二度とこんなこと聞かんぞ」

「まあ、エマも楽しそうだし、そんなに悪い仕事でもない気がしてきたし、いいですよ。続けます」

「何があっても後悔するなよ」

「これ以上悪いことなんて、そうそう起こらんでしょう」


 リディは笑った。


「そう願いたいものだがな」


 ギルバートも安心したように少し笑った。

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