第37話 最も美しい城
久しぶりに王宮の外へ出ることができて、ギルバートはそこそこ機嫌が良かった。しかし、父親の居城で滞在させられるとは考えてもいなかった。父親は、兄や家臣に比べればうるさくない。しかし、この城がかなり厄介だ。国内で最も美しいとされる湖畔の城、コカ城周辺には、魔力のない父親のため、何重にも結界が張られており、移動魔法は全てかき消されてしまう。その他の魔法も、効力が弱まる。森は広く、移動には馬が必要で、誰にも見つからずに森を抜け出すのは不可能に近い。
リディが出て行ってから、しばらくの間部屋の中で待った。廊下に誰もいないのを確認してから、部屋を出る。
「どこへ行くおつもりですか?」
誰もいなかったはずの廊下に、ダリオが立っていた。ギルバートは小さく舌打ちする。
「どこにも行かん。部屋へ戻るだけだ」
「そうですか。城を出る手伝いでもしようかと参ったのですが」
ダリオはマントを差し出す。
「シリルのを拝借して参りました。姿を変えればバレんでしょう」
「……」
ギルバートはマントを受け取り、それを羽織ると、シリルそっくりに姿を変えた。
「さすがギルバート様。どこからどう見てもシリルですね」
「父上から受け継いだ、記憶力のおかげだな」
「そうですね。さて、急ぎましょう」
ギルバートはダリオと共に城を出ると、馬を借りた。衛兵に止められることもなく、誰もがギルバートのことをシリルだと思っているようだった。シリルはあまり喋らないため、なりすますのも楽だ。ダリオにはどこへ行くと言わなかったが、ギルバートがどこへ行こうとしているのか分かっているようだった。
少し馬を走らせると、湖を見下ろせる丘の上に到着した。ギルバートは馬を降りて、地面に座った。空には星が美しく輝き、湖面に映っている。
「本当にここが好きですね」
ギルバートは幼い頃から、コカ城へ来ると、必ずこの丘へ来ていた。
「最初に連れてきてくれたのは、お前だったな」
「そうですね。たまたま見つけただけだったんですが」
「お前の目には、俺が可哀想な王子に見えたのだろう」
ダリオは曖昧に笑った。ギルバートはそれを肯定ととった。
「自由を奪われた子どもほど可哀想なものはありません」
「そうか」
ギルバートは美しい景色を眺める。父親はギルバートがコカ城を気に入っていることを知っていて、退位後の居城に選んだようだ。父親の居城であれば、ギルバートが訪ねるのも容易だと考えたのだろう。父親はそういう人間だ。未子であるギルバートに甘い。それでも、自由にはさせてくれなかった。
ギルバートはゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐いた。星空を映した湖に浮かぶように見える城は、本当に美しい。
「今頃、テオドアが慌てているのだろうな」
ギルバートが消えると怒られるのは、テオドアだ。テオドアにはいつも悪いと思っているが、こうでもしないと息抜きもできない。
ギルバートは城の中が嫌いだった。自由に動き回る兄のアレクシスと、庭へ出るにも監視がつく自分は何が違うのかと、幼い頃から疑問に思っていた。挙げ句の果てに、アレクシスは王位継承権を放棄し、行方不明。王太子の座を押し付けられたギルバートが、常に機嫌が悪そうだと言われるようになったのも、当然と言えば当然である。
ダリオは何も言わず、ギルバートから少し離れたところに座っていた。このダリオという男は、見かけによらず気遣い慣れている男だ。
「お前はいつになったら上級の試験を受けるんだ」
「受けませんよ面倒くさい」
「お前が上級になれば、兄様も文句はないはずだ」
「リディがいれば文句などないでしょう」
「あいつは俺のことを嫌っているだろう」
「そんなことないですよ。正直なだけです。腹の内で何を考えてるか分からないような人間より、あれくらい分かりやすい方がいいじゃないですか」
確かに、あからさまにご機嫌伺いをされたり、腫れ物ののように扱われるよりは、文句をたらたら言われる方がマシだ。
「あと、自分の意思に反することを命じられれば、誰でも反発しますよ。ギルバート様もよく分かっているはずです」
「……リディに何か聞いたのか?」
「いえ、テオドア様に、リディは望んで派遣員になったのではないとだけ聞きました」
ギルバートが王太子になりたくなかったのと同様に、リディも研究所に所属したかったわけではない。ギルバートが王宮内のうるさい奴らに反抗するように、リディがギルバートに反抗するのも当然だろう。
「確かに、その件は俺が悪かったな」
ダリオは微笑んだ。
「さて、そろそろ帰りましょう。テオドア殿が心労でぶっ倒れているかもしれません」
ダリオに促され、ギルバートは素直に馬に乗った。少しは気分転換になったし、明日からはまた大人しくしていようと思った。
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