第36話 変身魔法
部屋の扉をノックされたのは、十分ほど後のことだった。嫌な予感しかしなかったので、居留守を使おうとしたが、ノックの音は段々と苛立たしげにになる。
「リディ!いるのでしょう!居留守を使っても無駄ですよ!早く出てきてください!」
テオドアの呼びかけに、リディはうんざりしながら扉を開けた。
「なんだよ」
「ギルバート様が行方不明です」
テオドアは小さな声で言う。こそこそしている様子を見ると、まだ他にはバレていないのだろう。
「知らねえよ」
「話をした後、どこへ行きましたか?」
「知らないって。私が先に部屋を出た」
テオドアは卒倒しそうな表情でため息をつく。
「なぜ、目を離したのですか!?」
「はあ?目くらい離すだろ。赤ん坊じゃあるまいし」
「とにかく、ギルバート様を探しに」
「リディ」
目の前でテオドアは喚き続けていたが、頭の中にダリオの声が響き、リディは返事をした。
「ギルバート様は俺といる。森は出ないから、テオドア殿には心配しないよう伝えてくれ」
「了解」
「なんですか?」
ダリオへの返事が声に出ていたらしく、テオドアが言った。
「ダリオから連絡があった。王子といるらしい。森は出ないから心配するなと」
テオドアはふらりと壁に手をついた。この男は心労でそのうち死ぬんじゃないだろうか。
「ユリウス様にバレないようにしなければ」
「頑張れよ」
リディは扉を閉めようとしたが、テオドアは扉から手を離そうとしない。
「なんだよ」
「手伝っていただきます」
時間外労働も甚だしい。しかし、今にも倒れそうなテオドアを放って置けるほど、リディは冷酷ではなかった。
テオドアはリディを連れて、シリルの部屋へ行き、扉をノックした。シリルはすぐに扉を開けた。
「なんですか?」
「なんですかじゃありませんよ。あなたはダリオと出かけたと聞きましたが、なぜここにいるのですか」
「あ」
シリルは何かを思い出したような顔をした。大方、ダリオに協力したのを忘れていたのだろう。
「なるほどな。シリルに化けて出てったのか」
「多分」
緊張感のないリディとシリルにテオドアはため息をついた。
「出て行ってしまったものは仕方がないので、誰にも気づかれないようにする方向でいきましょう」
「どうやって?」
「念のため、ギルバート様が帰られるまで、シリルはギルバート様の代わりをしてください」
シリルは嫌そうな顔をしたが、テオドアの圧に負け、渋々頷いた。
「リディ、シリルをギルバート様の姿に変えてください」
「無理だ」
リディは即答した。技術的にはやろうと思えばできる。しかし、人間を他の実在する人間に化かすには、他の問題が生じる。
「なぜです?あなたくらいの実力があれば、高度な変身魔法も使えるでしょう」
「王子の顔なんかよく覚えてねえよ。そこらの人間を騙す程度の変身なら出来るかもしれんが、前国王を騙すなんて無理だ」
テオドアはリディの肩を掴む。
「リディ、何事もやる前から諦めてはいけません」
テオドアは微笑んでいたが、眼が据わっていて怖かった。
「とりあえず、やってみましょう。シリル、部屋へ入れてください」
なんだか怖いテオドアに逆らうべきではないだろう。シリルを見ると、シリルもそう判断したらしく、大人しく二人を部屋に入れた。
テオドアは部屋の扉を閉め、無言で変身魔法を促す。リディはできる限り詳細にギルバートの顔を思い浮かべた。髪は金髪……だったはず。どのような色味だったか分からない。テオドアよりは薄い色だった気がする。髪型は……前髪が真ん中で分けられていたか?長さは……短め?いや、後ろで束ねていた?いや、短かったよなあ?目は、水色?青?シリルよりは確実に薄い色だった。テオドアよりは……テオドアを見ると、テオドアの瞳は青系ではなく、薄い茶色であることに気づいた。
「お前の瞳の色はそんな色だったか?」
「なんですか急に」
「いや、なんでもない。やっぱり無理だ。王子の顔なんかよく覚えてない」
「とりあえずでいいです。今思い浮かべている姿に変えてみてください」
リディは仕方なく、シリルをぼんやり覚えているギルバートの姿に変えた。シリルの背が少し伸び、白銀の髪が色素の薄い金髪に変わる。テオドアは数秒間、シリルを見つめ、片手で顔を覆うと、大きくため息をついた。
「リディ、あなたは他人に興味がないのですか」
「ないな」
シリルは姿見の前まで行き、自分の姿を見る。
「誰?」
「王子だ」
「なんか、雰囲気そっくりさんって感じ」
「だから無理だって言っただろ」
「ギルバート様は、もう少し背が高いよ」
「そうか?」
「いつもテオドア様といるから低く見えてるんじゃないかな」
「なるほどな」
「あと、髪の毛はもう少し明るい色だよ。瞳のも、青じゃなくて、少しグレーがかった水色」
リディはシリルに言われた通りに、記憶の中のギルバートを修正した。
「髪型はまあこれでいいでしょう。目はこんなに鋭くありません。なぜこんなにつり上がっているのですか。シリルも、目は三分の二いや、半分開く程度を意識してください。そんなに目を見開いているギルバート様なんて見たことがありません。あと、なぜこんなにやつれた顔をしているのでしょうか。輪郭はもう少し健康的です」
言葉を失っていたテオドアも、加わり、リディの脳内のギルバートはかなり容姿を変えた。何度かの挑戦の末、かなりギルバートに近い姿へシリルを変身させることに成功した。
「全く。こんなに時間がかかるとは思いませんでした」
テオドアは苛立たし気に言いながら、シリルの前で手を横に払った。シリルの服装が、ギルバートのものになる。テオドアはシリルの部屋を出ようとし、二人もそれに続こうとしたが、テオドアが扉に手をかけたまま止まる。
「ギルバート様はご自分で扉を開けるでしょうね。さあ、シリル、先に出てください。そして、私たちのことなど気にせず、さっさと歩いてギルバート様の部屋へ」
シリルは頷くと、ギルバートのどことなく偉そうな歩き方を完璧に再現して歩き出した。有能な役者である。テオドアはいつものように、ギルバートとなったシリルの少し後ろを歩き、リディはそれに続いた。リディの仕事はもう済んだようだが、帰っていいと言われるまでは行動を共にした方が賢明だろうと思った。
そこからは、何事もなくギルバートの部屋へ着いた。兵士や侍女たちは、ギルバートの顔をジロジロ見たりしないため、バレる心配もないのだが、問題はここからである。
「いいですか。そろそろ夕食の時間です。ユリウス様が同席されます」
「正気か?」
「お席はかなり遠いですし、ギルバート様は食事中、ユリウス様の方を見たりしません。ひたすら料理を見つめ、食べ続けます。ユリウス様のお話に、たまに相槌を打つ程度です」
「いや、無理だろ。ただでさえ記憶力がいい前国王が、偽物の息子の顔に違和感を覚えないわけがない」
「大丈夫です。ユリウス様は視力が悪くなっておられます。離れていては、よく見えないでしょう」
その時、扉がノックされ、三人はびくりと振り返る。
「ギル、入るぞ」
前国王はこちらの返事も聞かずに扉を開いた。宣言さえすれば、返事など聞く必要はないと思っているのだろう。
「ああ、テオとリディもいたのか」
ギルバートに化けたシリルは、窓の方を見ている。
「ユリウス様、どうされました?」
「夕食に呼びに来たんだ」
「ああ、もうそんな時間でしたか。失礼いたしました」
「気にするな。ギル、どうした?窓の外ばかり見て」
前国王の視力がどれくらい悪いのかリディは知らなかったが、この距離で顔を見られればさすがに気づかれてしまいそうなものだ。リディは、どうするつもりなのかと、テオドアを見たが、テオドアはただいつものように胡散臭い笑みを貼り付けているだけだった。おそらく、固まっているのだろう。いざというときに使えない奴だ。
「珍しい鳥が飛んでいたもので」
シリルは落ち着き払って答えた。声も話し方も、ギルバートにそっくりだ。
「鳥か。この辺りには珍しい種が棲息しているらしいな」
前国王は、窓に近づく。どんなに視力が悪くとも、あの至近距離では絶対にバレる。リディは周りを見た。何か使えそうなものはないか。そう思っていると、花瓶が目に入る。ちょうどシリルの近くにある。リディはシリルに魔法をかけた。シリルはふらつき、花瓶の置いてある台に手をついた。その反動で花瓶が落ちればよかったのだが、そうはならなかったので、リディは魔法で花瓶を落とした。花瓶の割れる音が響き、ギルバートに化けたシリルの服は、花瓶に入っていた水で濡れた。
「ギルバート様!」
固まっていたテオドアは、シリルに駆け寄り、自然と前国王とシリルの間に入った。
「お怪我はありませんか?」
「ああ、少し濡れただけだ」
「ギル、大丈夫かい?」
「ええ、少し疲れが出たようで」
シリルは手で顔を覆いながら言う。
「少し休もうと思います」
「ああ、そうしなさい。夕食は後でこちらに運ばせよう」
「ありがとうございます」
前国王は意外にもあっさりと部屋を去っていった。嵐が去った心地がしていた。リディは一息つくと、テオドアを睨んだ。
「お前なあ、もう少しどうにかしろよ」
「しょうがないでしょう。いつもと違う風に振る舞って、怪しまれでもしたら、それこそアウトですよ」
「お前はよくやった。王子そのものだった」
シリルは親指を立ててみせた。
「そうですね。窓の方を見るというのはかなりギルバート様らしいです。あの人はいつも外を見てますので」
テオドアにも褒められ、シリルは胸を張った。なんだかんだあったが、もう大丈夫だろう。リディは花瓶を魔法で元に戻し、シリルの服も乾かしてやった。
「じゃあ、私は部屋に戻る」
「何言ってるんですか。ギルバート様が戻られるまではここにいてもらいますよ」
「なんでだよ」
「また何かあったらどうするのです。人手は多いに越したことはありせん」
「王子はこれから休むことになってるんだ。私がいるとおかしいだろうが」
「いいえ。護衛ですから、おかしくはありません」
リディは長いため息をついて、ソファに座った。無駄に座り心地が良く、腹立たしかった。
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