第33話 視察

 晴れた穏やかな日だったが、リディの心は晴れなかった。


 魔法生物の脱走事件以降、特に問題もなく、ギルバートも城の中で大人しくしていたので、リディの出番はほとんどなかった。ギルバートの外出したい病はテオドアがなんとか抑えているようだったし、たまに外に出るにしても、せいぜい庭や研究所くらい。そのため、リディは以前と変わらず、エマの研究室に入り浸る日々が続いていた。


 しかし、その平和も今日で破られる。ついに正式にギルバートの視察という名の外出が認められたのだ。五日間も。五日間もギルバートに振り回されると思うと、リディは軽く眩暈がした。




 定刻に集合場所へ行くと、テオドアとダリオと見知らぬ青年がいた。


「リディ、こちらシリルです。今回の護衛は、ダリオとシリルにも加わってもらいます」


 リディはダリオの隣にいる青年を見る。ダリオの横にいるから余計にそう見えるだけかもしれないが、青年は細く頼りなさそうな体つきだった。背はどちらかと言うと、低め。真っ白な肌は、少し不健康そうにも見える。深い藍色の瞳からは、何を考えているのか分からない不気味さが感じられた。


「若いな。学生か?」


 シリルは頷く。


「悪いな。こいつ無口なんだ」


 ダリオはシリルの背中をバシッと叩きながら言った。シリルは反動で少しよろめいた。ダリオが叩くと、骨が折れそうで怖いからやめてほしい。


「いや、気にしない」


 リディとしては、ダリオのようにうるさいよりは、静かな方がいい。シリルはぱっちりとした目でリディを見つめていた。


「屋外ではダリオは前、リディと私は左右、シリルは後ろについてください。他に兵士も何名か同行します」

「了解」


 ダリオが言い、シリルはリディを見つめたまま頷く。


「そろそろ出発ですが、いらっしゃいませんね。少し様子を見てきますので、皆さんは準備を整えて、水盆の間へ」


 テオドアはそう言い残して消えた。残された三人はマントを羽織り、水盆の間へ移動した。その間も、シリルはリディのことを見つめていた。リディもさすがに我慢ができなくなった。


「人の顔ジロジロ見やがって、何なんだよ」


 シリルはなんの反応も示さず、リディの顔を見つめ続けていた。少しの間を置いて、シリルは口を開いた。


「魔力、あったの?」

「はあ?」

「今まで全く無かったのに」


 リディはシリルが何を言いたいのか理解した。


「お前が言ってるのは、エマだろう。私の双子の姉だ」

「よく植物園で見る」

「エマだな」

「そっくりだね。魔力の違いがなかったら見分けがつかない」

「よく言われる」

「でも、中身は全然違うぞ」

「話したことないから」


 扉が開き、ギルバートがやってきた。後ろにはテオドアの他、兵士を数名連れている。


「待たせた。行くぞ」


 ギルバートは短く言うと、最初に水盆に触れようとした。しかし、テオドアはそれを阻止する。


「ダリオ、リディ、先に行ってください」

「ギルバート様、お先です」


 ダリオは元気よく言うと、水盆の水に触れて消えた。リディも後に続く。着いた先は、森の中にある湖だった。森はしんと静まりかえっていて、動物の気配すらない。あたりを見渡すと、湖の向こう側には城が見えた。あの城を拠点に、周辺地域の視察をするらしい。城からは兵士たちがギルバートの迎えにやってきていた。


「魔法で移動したらいいのに」

「この森の中で移動魔法は使えない」


 ギルバートが馬車に乗り込むのを見ながら、ダリオが答えた。


「なるほど」


 確かにこの辺りは、王宮以上に強い結界が張られているようだ。ただの城に、ここまでの結界を張るなんて、国が考えていることはよく分からない。結界が強い分、人手を削減しているのか、あるいは、何か重要な拠点となっているのか。


「それに、ギルバート様は基本的に、移動魔法の使用を禁じられてる」


 あれこれ考えていたリディはダリオを見上げた。


「なんで?」

「逃げられたら困るだろう」

「でも、よく使ってるのを見るぞ」

「王宮内では、黙認されてるだけで、本当はだめ」


 リディは納得がいかず、首を捻る。


「移動魔法を完全に封じたら、勝手な行動しなくなるんじゃないのか?あの面倒くさがりが、わざわざ歩いてどっかに行くとは思わねえけど」


 ダリオは苦笑いをした。


「そう思うだろ。昔そうしたら、大変なことになって」

「大変なこと?」

「魔力を暴走させて、危うく城を崩壊させるところだった」

「……」


 先日、ギルバートが魔力封じの魔法を無理矢理破らなかったのは、成長したということなのだろう。


「リディ」


 テオドアに呼ばれ、リディは馬車へ近づいた。


「馬には乗れませんよね」


 決めつけたように言われ、少し腹が立ったが、実際馬になど乗れないため頷いた。


「では、馬車に乗ってください」


 ギルバートと同乗するなど、ごめん被りたい。リディが渋い顔をしたのを見て、テオドアは笑った。


「大丈夫ですよ。今日のギルバート様は機嫌が良いです」


 リディは馬車の中にいるギルバートをチラリと見た。特に機嫌が良さそうには見えない。


「さあ、早く」


 テオドアはリディを馬車に押し込んだ。ギルバートはリディの方など見もせずに窓の外を眺めていた。テオドアも乗り込んできて馬車は出発した。


「城まではすぐですから」


 テオドアはリディに言い聞かせるように耳打ちした。そこまで不服そうに見えるのかとリディは少し反省する。


「さて、リディは初めての視察ですが、何か質問はありますか」

「ない」

「少しは興味を持っていただきたいものです」

「護衛なんて、どこでもやることは一緒だろ」

「そうですね」


 テオドアとどうでもいい話をしていると城に着いた。城に着くまで、ギルバートは一言も発しなかった。


 馬車が止まると、テオドアがまず降り、ギルバートが降りた。リディが降りようとすると、テオドアが手を差し出してきたので、仕方なく手を取った。


「ああ、そうだ。リディには言っていなかった気がするのですが」

「ギル!ギルバート!」


 城から初老の男が出てきた。ギルバートのことを人前で堂々と呼び捨てにできる人間は限られている。


「ご無沙汰しております。父上」


 そういえば、早々に退位した前国王は湖畔の城で隠居生活を送っていると聞いたことがある。この手厚い結界は前国王のためか。そう考えても、腑に落ちなかった。隠居した前国王のためだけに、国の中枢である王宮以上の結界を張るとは考えにくい。


 前国王は両手を広げてギルバートを歓迎しているようだ。


「元気そうで安心したよ。テオ、君も。仮死状態になっていたと聞いたが、元気そうでよかった」

「ユリウス様もお元気そうで」


 テオドアは恭しく頭を下げた。テオドアがリディに伝えていなかったこととは、前国王のことらしい。まあ、前国王がいようがいまいが、特に問題はない。前国王の視線はテオドアの横にいるリディに移った。


「そちらのお嬢さんは?」

「ギルバート様の新しい護衛です。上級五つ星の実力者ですよ」

「……ほう」


 前国王は目を細めてリディを見た。品定めをされているようで気分が悪い。


「では、我々は視察へ向かいますので」


 ギルバートはそっけなく言うと、馬車に戻った。


「馬車で行くのか?」

「いえ、森を抜ければ移動魔法が使えますので、馬車で森を抜け、その後魔法で移動します。さあ、馬車に乗ってください」


 リディはまたテオドアに馬車に押し込まれた。リディは隣に座るテオドアを軽く睨んだ。しかし、テオドアはそんなこと気にもしていないようで、ギルバートの方を見ていた。


「どうされたのですか?」


 テオドアがギルバートに尋ねた。リディがギルバートを見ると、ギルバートはリディを見ながら何か考え込んでいるようだった。


「父上は、エマに会ったことがあるのか」

「知らねえよ」

「そうだろうな」


 ギルバートの視線はテオドアに移った。


「さすがにないと思いますが」

「そうか」


 それだけ言うと、ギルバートはまた窓の外を眺めはじめた。

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