第31話 透明になる生物

「あ、リディ!」


 リディが現れるなり、エマは言った。エマは研究室の扉のところで、訪問者と話していたようだ。


「なんだよ」

「よし!リディ捕まえました!ラッキー!」


 エマの研究室の前に立つ、全身泥だらけの男が、ペンダントに向かって叫んだ。どうやらリディを探していたらしい。


「おー、リディが捕まったか。それなら、大丈夫そうだ」


 ペンダントの向こうからはダリオの声が聞こえた。


「で、なんなんだよ」

「申し遅れました。私、飼育員のオットーです。飼育場でトラブルがあり、とりあえず空いていたダリオに来てもらっているのですが、エマの研究室にリディがいるはずだから連れてこいと」


 腕が鈍ると思った矢先にこれだ。オットーはまだ状況を理解しきれていないリディの腕を掴み、移動魔法を使った。到着した場所は沼地だった。足元の土もぬかるんでいる。


「飼育場か?」

「いえ、第四薬草園です」

「薬草園?」


 薬草園にはとても見えなかった。見渡す限り、どこにも薬草など生えていない。どろどろとした沼しかない場所だ。しかし、リディが知っている他の薬草園と同様に、空に浮かんでいる。


「リディ!助けてくれ!」


 沼の方から何かが近づいてきたと思えば、泥まみれのダリオだった。


「何してんだよ」

「ガーディーが逃げて、ここの薬草をめちゃくちゃにしてしまったんです」


 今にも泣きそうな顔でオットーが言う。元々は薬草が生えていたらしい。よく見れば、足元の泥の中にぐちゃぐちゃになった薬草が混ざっている。この規模の薬草園をだめにしたとなるとかなりの損害だろうし、なにより手塩にかけて薬草を育ててきた管理員たちは怒り狂っていることだろう。


「ガーディーって何?」

「魔法生物だよ。透明になれる」


 ダリオは顔についた泥を拭いながら答えた。


「なんだそれ。最悪だな」

「どうにかしてこのカゴに捕まえてくれ。俺はちょっと休憩」

「はあ?捕まえるってどうやって」

「魔力の気配で見つけられるだろ」

「見つけられても、捕まえられねえよ。どんな生物かも知らなねえのに」

「魔力は強いので、見つけるのは簡単かと。素早いので、動きを止めるくらいしか捕まえる方法はないですね。あと、悪戯好きで」


 オットーの説明の途中で後頭部に軽い衝撃を受け、リディは頭を押さえる。頭には泥がべっとり付いている。


「はあ!?なんだこれ!」

「ガーディーの仕業です。遊んでるつもりなんでしょうね。まだ子どもの個体なので」


 オットーがそう言っている間にも、リディの身体は泥をぶつけられ、どんどん泥まみれになっていく。顔面に泥をぶつけられたところで、リディの中で何かがプツンと切れた。


 リディは手で顔の泥を拭うと、周りを見渡した。何かが動いている気配はある。しかし、オットーが言っていたとおり、動きが早くて、手で捕まえるのは難しそうだ。動きを止めるにしても、魔法を当てるのが難しい。


 リディは自分に向かって飛んできた泥に魔法を当てた。泥はぱんっと破裂するように飛び散った。


「ああ、ガーディーには手荒なことしないでくださいよ!」

「うるせえな。分かってるよ」


 リディは姿の見えない魔力の気配に狙いを定めて、停止魔法を放ったが、ガーディーが素早すぎて当たらない。何度か挑戦している間にも、ガーディーから泥を投げつけられ、全身泥まみれになっていた。リディの苛立ちは頂点に達した。


「もういい」


 リディは小さく呟くと、手を大きく宙を切るように動かした。沼の泥がぼこりと大きく膨らみ、次の瞬間には爆発を起こしたかのように広範囲に飛び散った。リディは自分の周りに結界を張っていたので泥をかぶることはなかったが、豪快に泥をかぶったダリオとオットーが何かを言っているのは聞こえた。しかし、そんなことはどうでもいい。リディは素早く周囲を見渡し、泥の塊が動いているのを見つけると、停止魔法でそれの動きを止めた。


「おお、さすがだな」


 顔の泥を拭ったダリオは泥の塊が止まっているのを見て言った。リディはダリオから渡されたカゴにガーディーを入れた。


「ガーディーに泥を纏わせ、魔法を当てやすくしたんですね!沼を攻撃した時はご乱心かと思いましたよ」


 リディはガーディーの魔法を解いて、オットーにガーディーを入れたカゴを渡す。ガーディーはカゴの中でぶるぶると体を震わせ、泥を落としていた。透明になるのはやめたようで、茶色いけむくじゃらの動物が姿を現していた。ガーディーは大きな真っ黒の目でリディを見つめている。


「ったく。もう逃すなよ」

「ええ、本当にありがとうございました。こんなことは今まで一度もなかったのですが……」

「おや、もう片付いたのですね」


 振り返るとテオドアが立っていた。


「お疲れ様でした。リディ、薬草園の復元は可能ですか?」


 リディが宙に魔法陣を描くと、薬草園が少し片付いた。飛び散った泥は沼の中へ消えていき、濁った沼の水は、泥が沈澱し、上澄はある程度透明な水になる。沼の周りや沼の中には、多様な植物が生えた。


「まあ、半分くらいはダメになったようですが、想定よりかなり軽い被害で済んだようです。リディ、ありがとうございます。さて、オットー。ガーディーが逃げ出した状況等について詳しくお話を伺いたいのですが」

「はい、シャワーを浴びてきます」

「ええ、終わったら呼んでください。飼育場まで参ります」

 オットーは姿を消した。ダリオも、シャワーを浴びに行くと言って消えた。


「リディ、身なりを整えてからでいいので、エマを連れてきてくれませんか?傷んだ植物の手当てをお願いしたいので」

「分かった」


 リディはシャワー室の場所も知らないため、とりあえずエマの研究室へ戻った。

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