第28話 見舞い
心地の良い昼下がり、エマの研究室でうたた寝をしていた。窓から入る風、森の木々が葉を揺らす音、エマが研究室内で育てた花の香り、全てが心地良い。微睡の中、エマが立てる物音を聞いていると、突然頭の中にギルバートの声が響いた。
「リディ」
リディは舌打ちをした。どうせ向こうには聞こえないのだから問題ない。
「なんですか」
頭の中で投げやりに返事をする。
「来い」
「私は現在、あなたの護衛ではありませんので」
「いいから来い」
ギルバートはかなり機嫌が悪そうだった。リディは行きたくなかったが、無視したら後で面倒くさそうだと思い、立ち上がった。
「いってらっしゃい」
エマは顕微鏡を覗きながら、片手間に手を振った。
しばらく見ない間にギルバートはやつれていた。監視付きで部屋に閉じ込められているのだから、無理はない。リディなら発狂してしまうだろう。リディは少しだけギルバートに同情した。
「本当は来てはいけないのですが。何の用ですか」
「出掛ける」
「どこへ?」
「遠く」
「は?」
「もう限界だ。降りる」
「何から?」
「王太子」
「はあ?」
「冗談だ。とにかくこの部屋から出たい」
「私を巻き込むな」
こんなにどうでもいい用件で呼ばれたのかと思うと腹が立った。
「大丈夫だ。ちゃんと戻る」
「それはどうでもいいが、一人で行け」
ギルバートの護衛から外されている今、リディがギルバートの外出に付き合う義理などない。一緒に出かけようものなら、リディまでマティアスに目をつけられてしまう。無駄に国王の怒りを買うような行いは避けたい。
「移動魔法が使えない」
「はあ?なんでだよ」
ギルバートは左腕をリディに向かって突き出した。左腕には、何かの魔法陣が浮かび上がっていた。リディは見たことがないものだった。
「なんだ、それ」
「魔力を抑える魔法だ。兄の命令で上級魔法使いにやられた。解き方が分からん。大した魔法が使えん」
「無理矢理破ればいいだろ。力任せに」
「そんなことをして、城が崩壊したらどうする」
「それで私に外へ連れ出せと?嫌に決まってんだろ。私までそんな魔法かけられたらどうしてくれるんだよ」
リディは魔法が使えなくなったら確実に生きていけない。数日さえ生き延びる自信はなかった。
「毎日、執務室と自室の往復だ。頭がおかしくなる」
「文句は兄貴に言えよ」
「何度も言ってーー」
ギルバートの言葉を遮るように、執務室の扉がノックされた。ギルバートが返事をする前に扉は開けられた。扉の向こうに立っていたのはタラスだった。
「おや、リディ殿。こちらへの訪問は禁じられているはずですが、いかがなされました?」
タラスはわざとらしく言う。どうせ、なんらかの方法でリディがギルバートの執務室にいることを知り、警告でもしに来たのだろう。
「ギルバート様が来いとうるさいもので」
リディが正直に答えると、ギルバートは小さく舌打ちをした。
「ギルバート様、自由に動けず、窮屈な思いをされているのは十分に理解しておりますが、まずは陛下からのお言いつけをお守りください。そうしたらば、陛下も話し合いに応じてくださることでしょう」
リディは、ギルバートがいつも通り、不機嫌そうに言い返すものだと思っていた。しかし、ギルバートは小さくため息をついた。
「そうだな。兄上の言いつけを守らない私が悪い」
ギルバートは意外にもしおらしく言った。リディは何事かとギルバートの方を見たが、ギルバートはしおらしく続けた。
「しかし、テオドアの様子も見に行けんのだ。あれとは幼い頃から毎日のように顔を合わせてきた。それが、ここ何週間も顔を見れていない。私は部屋から出れぬので、リディに様子を聞くために呼んだ」
ギルバートは物憂げに目を伏せた。タラスはギルバートの様子に、面食らっているようだった。勿論、リディも驚いた。ギルバートにテオドアの様子を知らせる役割を担うはずのリディが、テオドアの様子など全く知らないのだから。
「そうですね……」
タラスは言葉を詰まらせた。その目は潤んでいるようにも見える。リディは静観に徹した。何も言うまい。笑うまい。タラスの方を見ると、笑ってしまいそうだったので、リディは口元を押さえて俯いた。リディのその仕草がタラスにはどう見えたのか、さらに同情を誘ったらしい。
「少しの時間、病棟へ行くくらいでしたら、問題ないでしょう。陛下には、私からお伝えいたします。リディ殿はギルバート様のお供を。あと、ご面倒かとは存じますが、魔法は使わぬよう」
「すまないな、タラス。礼を言う」
ギルバートは早口でそう言うと、足早に執務室を出た。リディはついていきたくなどなかったが、お供として任命されたわけで、執務室へ帰るまでにギルバートの身に何かあれば、リディの責任になってしまう。仕方がなく、リディはギルバートの後を追った。
「タラスはああ見えて、意外と情に厚いところがある。仮死状態の人間など見舞ってなんの意味があるというのか」
廊下をゆったりと歩きながら、ギルバートはバカにしたように吐き捨てる。大した役者だ。ぼうっとギルバートの後をついていっていたリディは、早速気を抜いていてはいけないことを思い知る。ギルバートはどう見ても病棟とは反対方向へ行こうとしているのだ。
「どこへ行く気ですか?病棟はあっちですよ」
「こっちからでも行ける」
「どれだけ遠回りする気ですか」
「それくらい良いだろう」
「良くねえよ。なんかあったら私のせいになるだろうが」
「王宮の敷地内で何かあっても、衛兵のせいだ。問題ない」
まあ確かにそうだが。リディは面倒になって、ギルバートが敷地から出ないようにだけ見張っておくことにした。魔法が使えないギルバートが敷地から出ることなんてできないだろうし、楽な仕事かもしれない。
ギルバートはしばらく、庭やら池の周りやらを急ぐ様子もなく、ぶらぶらと歩き回り、最短距離で行けば二十分ほどで着く距離を、二時間以上かけてやっと病棟へ辿り着いた。兄に対するささやかな反抗といったところだろう。
「あら、ギルバート様。タラス様からご連絡いただいてから、いつまで経ってもお見えにならないし、今日はもういらっしゃらないのかと思いましたわ」
看護師は忙しそうに手を動かしながら言う。
「そんなに経っていたか。遠回りをしすぎたようだな。テオドアの病室はどこだ」
「ああ、テオドア様の病室でしたら、今、他の方がいらしてるので、少しお待ちいただければと」
「他の者?誰だ?」
「いえ、あの……エマなんですが」
リディはまたかと思った。エマはテオドアのことをまだ気にしているようで、毎日のように見舞いに来ていた。仮死状態の人間は、誰が見舞いに来ようが、何も分かりはしないのに。
「ああ、そうか。では、少しここで待たせてもらう」
「エマだろ?別に待たなくても」
看護師もギルバートもリディを見る。まるで、リディがおかしなことを言ったかのようだ。看護師が何かを言おうとしたが、ギルバートはそれを制した。
「急いでいるわけでもない。エマもすぐに仕事へ戻るだろう」
そう言って、ギルバートはどこからか出現した椅子に腰掛けた。出所不明の椅子はもう一脚あったため、リディもそれに座った。
少し待つと、エマが帰ったらしく、看護師がテオドアの病室まで案内してくれた。テオドアは数週間前と何も変わらず、ベッドに横たわっている。ギルバートはテオドアのことなど見もせずに、まっすぐ窓の方へ行くと、窓を開けた。そして、窓枠に腰掛ける。リディは一瞬、飛び降りる気かと思い、ギルバートの方へ駆け寄りかけた。しかし、大した魔法が使えない人間が、五階から飛び降りるような馬鹿な真似はしないだろうと考え直すと、ベッドの脇に置いてあった椅子に座った。椅子はまだ暖かい。先ほどまでエマが座っていたのだろう。ここに座り、毎日テオドアを見て、何の意味があるのかと思っていると、リディはテオドアの枕元に小さな皿にがあるのに気づいた。小さな皿には少量の水が張られ、黄色い小さな花と茶色い木の実のようなものがその中に浸けられている。
「なんだこれ」
ギルバートは窓枠から降り、ゆっくりとリディの方に近付くと、リディの視線の先にある小皿を見た。
「この辺りで昔から伝わる回復祈願のまじないようなものだ。病気の人間の枕元にこれを置いておくと、病が早く治ると言われている。まあ、ただの迷信だがな」
「へえ。知らなかった」
「この辺りでは珍しいものではない。子どもの頃、体調を崩すと必ず乳母がやっていた。毎日花と木の実を変える必要があるとかで、かなり面倒なはずだ」
「エマは相変わらずマメだな」
「本当に、お前と双子とは信じられん」
「当たり前でしょう。育った環境が全く違う」
ギルバートはリディから目を逸らした。
「……お前は、実の両親に会いたいとは思わんのか」
「興味ない。私の親はシルヴィアだけです」
「そうか。そろそろ戻る」
ギルバートが病室を出ていき、リディもそれに続いた。帰りも道草食って帰るのだろうと思っていたが、そんなことはなく、最短距離でギルバートは執務室へ戻った。
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