第26話 精霊の怒り

 欠伸をしながら伸びをした。今日も天気がいい。毎年この季節は、水不足で農家からの依頼が殺到していたことを思い出す。


「今年はみんなどうすんのかな」


 リディはもう一度欠伸をしながら頭を掻いた。


「まあ、水を撒く魔法くらい、誰でも使えるか」


 リディは服を着替えて一階へ降りた。いつもなら、エマがキッチンで朝食を作っているが、今日はいない。昨日からトイノスへ調査に行っていて、数日帰ってこないらしい。温室の植物の世話は、リディが魔法をかけておいたので問題ない。リディは洗面所で身支度を済ませると、家を出た。



 研究所の食堂は、朝から賑わっていた。宿舎に住んでいる人は、大体ここで食べているらしい。リディは空いてる席を見つけ、座った。


「あら、リディ。おはよう」


 口に運びかけたスプーンを止め、顔をあげる。ミーナがこちらに近づいてきていた。


「おはよう」

「珍しいわね。一人?」

「エマは調査で出てる」

「そうなの。ご一緒しても?」

「ああ」


 ミーナはリディの向かいに座った。


「そういえば、ギルバート様の護衛、外されてんですって?」

「ああ」

「今は暇なのね?」

「暇すぎて読書くらいしかやることねえ」

「じゃあ、手伝ってもらおうかしら」

「何を?」

「仕事よ」


 そう言うと、ミーナは自分が担当する任務について説明を始めた。


「任務地は王都南西の小さな村。村人たちが、次々に同じような症状で床に伏せてしまったそうなの。医者が言うには、病気ではないみたい。それで派遣要請が来てるんだけど」

「どんな症状?」

「正気を失ったとかなんとか」

「正気を失った?」

「ええ。ずっとぶつぶつ何か言っているらしいわ。恐ろしいとかなんとか」


 原因を思いつき、リディは目を細めた。


「それってさ……」


 ミーナは器用に片方の口角だけ上げた。ミーナもリディと同じものが原因だと考えているようだ。


「大丈夫よ。専門家がメインで私たちは護衛ってことになるから」

「それならいいけど」


 嫌な予感しかしなかった。リディにとって、関わりたくないものナンバーワンの存在が元凶なのだから。



 朝食を食べ終え、ミーナの言う専門家と合流した。専門家の方は三人。おじさんとおじさんと若いのだ。護衛はミーナとリディの二人かと思いきや、最後にもう一人来た。


「お、リディじゃねえか」

「ダリオ。お前も行くのか」

「ああ。村人が次々にとなると、なかなか逆鱗に触れてるみたいだからな」

「さて、行くわよ。少し遠いから、お二人はリディが連れていってくれる?」


 ミーナは研究員のおじさん二人を指して言った。若いのは自分で行けるのだろう。


「別にいいけど」


 遠距離を三人一気に移動するとなると、省略魔法では難しそうだ。リディは床に魔法陣を描き、研究員のおじさんたちを魔法陣の上に立たせた。魔法陣を作動させると、リディたちは、田舎の村に移動した。おじさんたちは、すぐにその場に崩れ落ちるように膝をついた。何事かと思ったが、単なる移動酔いらしい。地面に手をつき、顔色を悪くしていた。研究員たちにリディが声をかけるよりも早く、ミーナとダリオと若いのも到着した。


「おいおい、大丈夫かよ」


 ダリオはしゃがみ、今にも吐きそうにしている研究員たちに言う。研究員たちは、話すこともままならないようで、力なく首を横に振るばかりだった。


「仕方ない。俺はここで介抱してるから、村長のとこ行ってきてくれ」

「分かったわ」


 リディも村長の話になど興味がないため、ダリオたちと残ろうとしたが、ミーナに連れて行かれた。


 村長の家へ行く道すがら、リディは村を見渡した。南には畑が広がっている。他の方角には木々が生い茂っており、森につながっているようだった。


 村長の家は、村の一番奥にあった。他の家に比べると大きい家の前で、村長らしい老人と、村人が数人、派遣員の到着を待ち構えていた。


「王立研究所派遣員ミーナ・エリソンドと申します」

「ようこそお越しくださいました。村長のグリンです」


 ミーナと村長は握手をした。


「まずは、お話を伺いたいのですが」

「ええ、なんなりと」

「では、単刀直入にお尋ねします。自然を壊すようなこと、されていませんか?」

「自然を壊す……?」

「ええ。木を大量に切っただとか、燃やしただとか、川や池の水を汚染しただとか」


 村長は目を泳がす。やはりそうだ。この村の住人たちは、何かをやらかして、精霊を怒らせたのだ。


 魔法使いがほとんどいない地域に住む者は、精霊に関する知識がほとんどない。そのため、精霊に関する知識がある者なら絶対にしないようなことを平気でしてしまう。


「その、北の森の一部の木を伐採し、そこにため池を作ろうと……」


(そりゃ怒るわ)


 リディは口を歪める。怒った精霊を鎮めることほど面倒なことはない。精霊たちは、人間に利をもたらしてくれることもあるが、扱いには注意しなければならない。リディはそんな面倒くさい存在とは、なるべく関わらないように生きてきた。だから、派遣棟の知識の木のことも、あまり良く思っていなかったのだ。


「届出は出しましたか?まあ、出してたら先に研究所の人間が精霊との交渉に来ているはずなので、こんなことにはなっていないはずですね」

「申し訳ありません……」

「まあ、怒らせてしまったものは仕方がないので、これから怒りを鎮めに行きます。誰も、森へは近づかなようにしてください」

「場所の案内は」

「入れば分かると思いますので、不要です」



 ミーナとリディは村長の家を出て、村の入り口へ戻った。調査員のおじさんたちは一人で立てるまでに回復していた。


「短時間でよく治ったな」


 リディは驚いて言った。移動酔いはそんなに簡単に治るものでもない。


「薬で誤魔化してるだけだ。一時間くらいで効き目が切れるから、急ごう」


 そう言って、研究員のおじさんは歩き出した。精霊がどこにいるか分かっているようだ。研究員にリディ、ミーナ、ダリオもついていく。



 森に入ってすぐのところに、ぽっかりと開いた場所があった。そこへ踏み入れた途端、ものすごい勢いで風が巻き上がった。リディは咄嗟に結界を張り、飛ばされないようにした。


「さすが。すごいな」


 ダリオはリディの結界に触りながら言う。呑気なことを言っている暇があれば、手伝うくらいしろと思ったが、六人を囲うくらいであれば、リディにとって大したことではなかった。


「話をできる状態ではないな」


 研究員のおじさんの一人が言う。


「ルッツ任せてもいいか?」


 もう一人のおじさんが、若い男に尋ねた。若い男は待ってましたとばかりの満面の笑みで、ポケットから小さな瓶を取り出した。リディは目を疑った。


「まさか、それ……」

「精霊だよ」


 ルッツと呼ばれた男は、さらっとリディに返事をすると、瓶の蓋を開けた。その瞬間、結界内の空気が変わった。実態は見えないが、確実に何かがいる。


 ルッツは宙に向かってよく分からない言語で、何か言った。そこに精霊がいるのだろう。すると、結界から精霊が出ていったようで、また空気が変わった。


 リディは目を細めてルッツを見た。どこにでもいそうな平凡な若者だ。しかし、精霊を瓶詰めにして持ち歩く人間など見たことがない。


「研究所の木に精霊宿したのって」

「ああ、僕だよ」


 狂人だ。狂人がいる。リディは穢らわしいものを見るような目でルッツを見た。精霊研究者というだけでも近づきたくないのに、精霊研究者の中で最も常軌を逸した人間となれば、同じ空間に存在することすら遠慮したい。


 しばらくすると、激しい風は治った。念のため、リディは結界を保ったままにしておいたが、研究員たちは結界から出ていった。


 研究員たち三人はよく分からない言語で何かを話し続けていた。何を言っているのか、リディには理解できない。古代語だろうか。しばらくすると、話がついたらしく、研究員三人は契約の儀式を始めた。


 地面に大きく、魔法陣を描く。魔法陣の文字は古代文字っぽいものだった。魔法陣が光ると、おじさんの一人が瓶を持って魔法陣の中央に立った。そして、瓶を高く掲げ、ひっくり返す。中から、さらさらと水が流れ出た。魔力を帯びた美しい水だった。聖水だろう。


 水はおじさんの足元に広がり、光り輝いた。魔法陣の外で片膝をついて、両手を魔法陣の淵に置いていたおじさんは、呪文を唱え始めた。これも古代語だろう。辺りを光が包み込み、弾けるように消えた。


「よし、これで大丈夫」


 ルッツは瓶の中に精霊を戻していた。関わりたくないから何も言わなかったが、ルッツの方から話しかけてきた。


「精霊嫌いなの?」

「ああ」

「なんで?」

「得体が知れないから」

「ふーん。そこがおもしろいのに。精霊は契約さえ守れば害はない。人間なんかよりよっぽど信頼できるよ」


 確かに人間は嘘をつく。しかし、それだけだ。精霊との契約は、守ろうと思っていても、守れないこともある。ベースとなる考え方が精霊と人間とでは違うのだから。結果、精霊の怒りを買い、大変なことになるのだ。


「お前とは分かり合えない」

「そうみたいだね。別にいいけど」



 村へ戻ると、正気を失っていた村人たちも回復していた。研究員のおじさん二人は、精霊との契約内容を村長に伝えた。その後、村人たちの宴会に招待されたが、移動酔いを薬で誤魔化している研究員たちを一刻も早く病棟へ連れて行くため、リディたちは研究所へ戻った。

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