第25話 萎れた花
テオドアが石化してから一週間経った。ギルバートが老人から貰ってきたポッタガの葉のおかげで、解毒剤作りは順調らしい。
ギルバートの方もマティアスの言いつけを守っているようで、連絡はなかった。派遣員の司令系統がどうなっているのかは知らないが、他の仕事が来ることもなく、リディは暇な日々を送っている。そのため、リディはずっとエマの研究室に入り浸っていた。
「リディ、心を込めて、歌うように唱えるのよ」
小さな鉢を前に、エマからのダメ出しをくらう。それも、一度や二度ではない。もう数え切れないほどやり直させられている。
「心を込めてってなんなんだよ」
「ちゃんと、この子を愛でて」
「この子って、ただの草じゃねえか」
「そんなこと思ってるからダメなのよ!とっても可愛い子じゃない」
リディはもううんざりだった。リディにはエマのように植物に対する愛などない。植物はただの植物だ。しかも、目の前の鉢に植えられているのは、花なのかも怪しいくらい見窄らしい花を咲かせた植物だった。
「もう無理だ。他の奴に頼め」
「他の人にも頼んだんだけど、魔力が足りないのか、ダメだったの。かなり重症だから」
何が重症なのかよく分からないが、この植物は本来、美しい花を咲かせ、芳しい香りを撒き散らす植物らしい。エマの説明では、気が滅入っていて、枯れかけているそうだ。だから、回復呪文を唱えながら薬液を回しかけるという治療をしなければならないそうだが、それが上手くいかない。
「もうダメなんじゃないのか」
リディは投げやりに言う。
「そんなことないわ。まだ枯れてないもの」
「とにかく、私には無理だ」
「そんな。リディに無理なら、誰ができるって言うのよ」
「魔力というより、エマの言う通り、植物への愛が足りないんだよ。みんな。だから、植物を愛してる奴を探せ」
「だから、みんなちゃんと心を込めて呪文を唱えてくれたのよ」
「だから、それがこの草からしてみれば、足りなかったんだろ。そもそもこいつはなんの植物なんだよ」
「通称、花の精。聞いたことない?」
「さあな」
「この花を近くに植えると、他の植物の発育が良くなるのよ。害虫も食べてくれるし。ただ、この花を咲かせるのがなかなか難しくって。愛情を注ぎ続けなければ枯れてしまうの」
「愛情を注ぐのを怠ったのは誰だ」
「それが分からないのよ。みんな、いつも通り育てていて、とっても順調に成長していたのに、五日くらい前に突然元気がなくなり始めて、あっという間にこんな状態になっちゃったの」
「正しい治療をして治らないなら、こうなった原因を探れ。そうすれば、治療の糸口が見つかるかもしれない」
「うーん、そうねえ……」
「なんだよ」
「手伝ってくれる?この子を育ててた人たちには、もういろいろ尋ねたんだけど、リディも一緒に聞いてみれば何か気づくかもしれないわ」
リディは望んで行きたいわけでもなかったが、ギルバートの護衛をするよりよっぽどマシだし、何より暇なのだ。
「まあ、いいけど」
返事をすると、エマは早速研究室を出た。
エマが向かった先は、研究所の裏に広がる植物園の中の温室だった。植物園では、薬効のない魔法植物を中心に栽培されている。
温室に入ると、むわっと生暖かく、さまざまな花の香りを含んだ空気に身を包まれた。エマはきょろきょろと温室内を見渡すと、誰かを見つけたようで、そちらに向かって歩き出した。エマは、花壇の中でしゃがみ込み、何かの作業をしている少女の近くまで来ると立ち止まった。
「モニカ」
エマが呼ぶと、少女は手を止めてこちらを見上げた。
「エマ、どうしたの?」
「今朝預かったポポロアマリスのこと、ちょっと聞いてもいいかしら」
「ええ、いいわよ」
「五日くらい前から様子がおかしいって聞いたんだけど、何か普段と違ってたことない?」
「思いつかないわ。他の子たちはみんな元気なのよ」
ここにも植物を子と呼ぶ人間がいるとは。リディは軽く目眩がした。このような人種に育てられ、あの草は何が不満だったと言うのだろう。
(愛情過多じゃねえの?)
リディは呆れ顔でモニカの方を見た。
「他のと一緒に育ててたのか?」
「あら、あなたがリディね。レネーから聞いてるわ。私、モニカ。よろしくね」
モニカは話しかけられて初めてリディの存在に気づいたようだった。手についた土を払いながら、花壇から出てくる。
「よろしく。で、どこで育ててたんだ?」
「こっちよ」
リディとエマは、モニカの案内で、花の精の花壇までやってきた。モニカの言う通り、他の苗は元気そうだ。というより、エマの研究室にある草と同じ植物とは思えない。水分を多分に含んだ透明感のある美しい茎に、美しい花が堂々と咲いている。花の萼の部分に顔もあり、妖精のようにも見える。自分の意思で葉や花弁を動かしているようだ。
「話すことはできないけど、こちらの言うことは理解してるわ。この口のような部分は害獣が嫌う音を出したり、葉で捕まえた害虫を食べたりするのよ」
エマは説明した。この植物であれば、子と呼んでしまうのも分からなくはない。食虫植物であることを無視すれば、可愛らしい植物だ。
「動物に近い植物ってわけだな。で、本当に何も変わってないのか?作業員の誰かが抜けたとか」
「誰も抜けてないわ」
「じゃあ何か他に変わったことは?どんなに些細なことでもいい」
「何も変わってないわ。……あ」
「そう言えば、よくテオドア様がいらしてたわ。この花の香りが好きだと仰って」
「じゃあテオドアが来ないから落ち込んでんじゃねえの?」
「まさか、そんな」
「この草に感情があるって言ったのはお前だろ
そうだけど……まあ、とにかくあの子に説明してみましょうか」
リディはエマと共にエマの研究室へ戻った。研究室の机の上では、小さな鉢の中で草が相変わらず萎れている。エマは鉢の前まで行くと、萎れた草を優しく撫でた。
「テオドア様は今、病棟で治療を受けているの。だからあなたに会いに行けなかったのよ」
今まで何をしようと、びくともしなかった萎れた草が、テオドアの名前を聞いた途端、ぴくりと茎を起こした。
「治療が終わって、元気になられたら、またあなたに会いに行けるわよ。だから、いつまでもしょげてないで、美しい姿を見せてちょうだい」
草はエマの言葉に応えるように葉を広げた。
「リディ、回復呪文を唱えて」
リディは草を手で覆い、エマに教えられた回復呪文を普通に唱えた。すると、指の隙間から光が溢れる。手を離すと、先ほどまで汚らしい草にしか見えなかったものが、頭に大きな花を咲かせた美しい妖精のような姿になった。
「まあ!元気になったのね!良かった!」
エマが言うと、花は口元を隠してくすくすと笑った。
機嫌の良さそうな花とは対照的に、リディは口をへの字に曲げて椅子に座った。外はもう日が傾き始めている。何時間も歌うように呪文を唱えさせられたが、それも無駄だったようだ。なんとも言えない気分で、リディはため息をついた。
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