第23話 魔法薬研究者

 到着した場所は、小さな町の高台だった。眼下に斜面には、建物が控えめに立ち並んでおり、その向こうには海が広がっていた。


「こんなところに何の用ですか?」


 ギルバートはリディの質問を無視して歩き出した。リディはギルバートをぶん殴ってやりたかったが、聞こえないように舌打ちだけした。ギルバートは町の外れの方へ進んでいき、ついに建物が見えなくなったところで、洞窟にたどり着いた。ギルバートがその洞窟へ入っていくので、リディもついていく。洞窟は短く、向こう側が見えていた。洞窟を抜けると、すぐに崖になっていた。


「何もねえじゃねえか」


 そう言って、リディは周りを見た。すると、崖の斜め下あたりに、別の崖があり、その上に小さな家が立っていた。飛び移るには距離があり、魔法でしか辿り着けなさそうだ。ギルバートは家の建っている崖の方を向いて、片膝をつくと、両手をついて呪文を唱えた。すると下り坂が現れ、地面が繋がった。ギルバートは立ち上がると、その下り坂を下っていった。


 崖の上からは見えなかったが、坂を下ると、家のそばで、若い娘が鶏に餌をやっていた。突然現れた訪問者に驚いているようだ。


「うちに何かご用ですか?」


 娘が言うと、ギルバートはフードを脱いだ。


「まあ、ギルバート様。どうしてこんなところへ」

「アドルフ殿は」

「中におります。どうぞ中へ」


 娘はギルバートとリディを家の中へ招き入た。家の中は、空間魔法によって拡張されているようで、十分な広さがあった。娘は、ギルバートにソファで座って待つように言うと、家の奥へ消えていった。しばらくすると、こつこつと床を何かで突いているような音が聞こえて来た。


「おお……ギルバート様。お久しゅうございます。隠居した老ぼれに何用でございましょう」


 今にも息絶えそうな、なんとか絞り出されたような声に、リディは振り返った。杖をつきながら、白髪の老人がこちらへ向かってきている。骨に皮を貼り付けたような皺々の手は震えているし、よろよろと、頼りない足取りだった。


「訳あってピーキーズの解毒剤が必要なのだが」

「ポッタガの葉でございましょうね」

「そうだ」

「先日の満月の夜に、作ったものがございます。お持ちしますので、しばしお待ちを」


 そう言うと、老人は杖をつきながら、よろよろと客間を出ていく。入れ替わりに、先程の娘が、お茶の用意を持って客間へ入ってきた。ギルバートの前に紅茶の入ったカップを置き、リディの前にはコーヒーの入ったカップを置いた。


「あら、テオドア様じゃないのですね」


 カップを置きながらリディを見て、驚いた顔で女は言った。リディとしては、自分がテオドアと間違えられたことに驚きを隠せなかった。


「ごめんなさいね。目が悪いもので。紅茶とコーヒーどちらになさいます?」


 本当に目が悪いにしても、リディとテオドアを間違えるとは思えない。よく見ていなかったと言う方が正しいのだろう。いきなり王太子がやって来たら、王太子しか目に入らなくても不思議ではない。


「どっちでもいい。お構いなく」

「テオドア様はどうなさったの?」

「あー、今、仮死状態だ」

「まあ」


 ギルバートは何も言わず、紅茶を飲んでいた。やはり、相手を気遣って話をするタイプではないのだろう。ギルバートは常に気遣われる側の人間なのだ。リディの方も、無理に話をするタイプではない。誰だか分からない人間と話すことなど特にないため、リディもコーヒーを飲んだ。その沈黙に耐えられなかったのが、若い娘だった。


「今日は他にお連れの方はいらっしゃらないのですね」

「ああ。すぐに帰らねばならん」

「そうですか」


 もっと話を広げてやれよとリディは思ったが、ギルバートは娘の感じている気まずさになど、全く気づかないようだった。リディは普段はこんなことをしないが、あまりにも若い娘が不憫に思えたため、口を開く。


「あの爺さんは薬草商人なのか?」

「いいえ、元々は国立研究所で研究をしていたの。魔法薬研究者よ。今は退職して、ここで暮らしているわ。薬草集めが趣味なの」

「なるほどな。で、あんたは?」

「私はひ孫よ。向こうの町で暮らしているけど、毎日、畑や鶏の世話をしにくるの」

「へえ。大変だな。ここ、移動魔法では来れないだろ」

「ええ。でも、大した距離じゃないからそんなに大変じゃないわ。それより、学校に通う方が大変よ」

「学生なのか」

「ええ。王都の学校へ通っているわ。まあ大変と言っても、ドルデンの街へ魔法で移動してしまえば、鏡をくぐるだけなんだけど」

「鏡?」

「王都へ行くための鏡よ」


 娘は当たり前のように答えるが、リディには何の話をしているのかが分からない。その時、タイミングよく老人が戻ってきた。


「こちらでよろしいですかな?数枚余分に用意しております」

「ああ、助かる。大した額ではないが」


 そう言って、ギルバートは老人に皮袋を差し出した。しかし、老人は皮袋を受け取ろうとしない。


「いいえ、これくらいのことで報酬などいただけません」


 リディはギルバートの手から皮袋を引ったくると、老人に押し付けた。ただでさえ、老人に待たされたのだ。さっさと帰らなければ、また面倒なことになる。


「金はいくらあっても困らんでしょう。それに、王家の人間が民間人に貸しを作るわけにはいかないのだと思いますよ」


 リディが言うと、老人は渋々袋を受け取った。


「お嬢さん、見ない顔だね」

「新入りだ。腕の立つ魔女でな。護衛を頼んでいる」

「ギルバート様がそのようなことを仰るとは、珍しいですな」

「邪魔したな」


 それだけ言うと、ギルバートは老人の家を出た。リディもそれに続く。娘は二人を見送るため、家の外まで出てきた。行きと同じ手順で出現させた坂を登り、洞窟を抜けたところでギルバートは口を開いた。


「お前は鏡も知らないのか」


 一瞬、なんの話か分からなかったが、娘の話を思い出した。


「だったらなんだよ」

「教養が無さすぎる。四代前の国王が行った大規模政策だぞ」


 ギルバートは呆れたように言った。リディは、学校に通ったことがないし、王都へ行こうと思ったこともなかったため、知らなくても仕方ないだろうと思った。


「知らねえよ。で、鏡ってなんだ」

「地方都市と王都を結ぶ移動手段だ。各地方の主要都市と王都の鏡の広場を水盆に似た魔法で結んでいる」

「なるほどな」


 話しているうちに、老人の家の結界を抜けたらしく、ギルバートはリディの腕を掴んだ。予告なく移動魔法を使われ、リディは少し吐きそうになった。執務室で吐いてやろうかと思ったが、さすがに堪えた。


「これを薬剤部へ持っていけ」


 ギルバートは老人から貰ったポッタガの葉をリディに渡すと、自分は定位置へ戻り、仕事を再開した。リディはあれこれ指示されることを嫌うが、いちいち文句を言うことすら面倒になっていた。腹を立てたところで、どうすることもできないのだから。


 リディは何も言わずに薬剤部は向かうと、適当な人間に葉を渡した。これでしばらくは問題なく、平穏に過ごせるだろう。


 そう思ったのも束の間。


 明らかにリディを目指して歩いてきている男が二人。知り合いかと思ったが、どちらも見たことすらない男だった。


「リディ殿、陛下がお呼びです」

「は?」


 男たちはリディの両脇を固めると、連行するように、歩き出した。リディはうんざりを通り越して、もうどうにでもなれと思い始めた。

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