第21話 王立研究所

 翌朝、ギルバートについて文句を言いながらリディは支度をした。エマは初めこそ、リディを注意していたが、途中で諦めたようだった。


 家を出る頃、リディは散々文句を言い尽くして、一日が終了したような気分になっていた。それでも、定刻に間に合うよう、エマと共にリディが研究所へ飛んだ。研究所の前庭に足をつけたとき、数日前と同じようにミーナが待ち構えているのに気づいた。


「やっと案内させてもらえるのかしら」


 そういえば、一昨日ミーナに研究所内を案内してもらう手筈になっていたのだった。これだけ予定を狂わされたら、ミーナだって文句も言いたくなるだろう。


「ああ、悪いな」

「いいのよ」


 それだけ言うと、ミーナは歩き出した。エマとは研究所の玄関ホールで分かれた。


「あなた上級なんでしょ?若いのにすごいわよね」

「ああ、まあ、どうだろ」


 ミーナの突然の問いかけに、リディはドギマギしながら答えた。正直なところ、上級魔法使いがどのくらいすごいのか、リディはよく分かっていなかった。ぼんやりと、テオドアくらいなら上級だろうと考えていた程度だ。


「しかもギルバート様の推薦なんでしょう?なかなかないわよ」

「へえ」


 リディはあまりこの話を長引かせたくなかった。ギルバートが自分のことをどのように説明しているのか知らないからだ。下手に話して、ギルバートの説明と食い違うと怪しまれる。怪しまれたところで、ギルバートはどうでもいいだろう。しかし、人間というものは、自分よりいい思いをしているように思える人間を妬む習性がある。リディはそれの対象になどなりたくない。


「あなたも学院の出身なの?」

「学院?」


 ミーナは驚いた顔でリディを振り返った。


「え、本気で言ってる?」


 何かまずいことを言ったようだ。しかし、田舎育ちのリディに、都市部での常識が通用するわけもない。リディは迷った末に頷いた。


「学院って言ったら普通、王都第一学院のことでしょう?国内最高峰の高等教育機関」

「へえ。田舎育ちなもんで」

「それでも、姉の出身校くらい普通知ってるでしょう」


 今度はリディが驚く番だった。エマがそんなご大層な学校へ通っていたなんて初耳である。確かに優秀だし、なんでも知っているとは思っていたが、まさかそこまでとは。


「エマが通ってたくらい知ってるけど、学院って呼ばれてるとは知らなかった」

「あら、そう。ここが食堂よ。何時に来ても大体なんでも出るけど、夕方以降はお勧めしないわね」

「なんで?」

「材料がなくなってくると、薬草部の奴らが、畑で採れた魔法薬草を、野菜の代わりに勝手に補充するのよ」

「は?野菜の代用?」

「見た目は悪くないけど、大体まずいわね。まずくなくても、食べると顔が真っ青になったりするし。ひどい時にはまずい上に、耳から煙が出たりするわ」

「なんの嫌がらせだよ」

「魔法薬の材料にならない不出来な薬草の使い道を模索してるそうよ」


 肩をすくめて言いながら、ミーナは食堂を出て次の場所へ向かった。


「あなたはエマと同じ学校へは行かなかったのね」


 もう終わった話題だと思っていたが、ミーナの中ではまだ終わってなかったらしい。


「ああ。都会には興味なかったからな。田舎の魔術学校で十分だ」


 リディは苦し紛れの嘘をついた。魔術学校について話を広げられる前に、リディは次の話題を考える必要があった。


「テオドア、様の解毒剤はどうなってる?」

「ああ、薬剤部がバタバタしてたわね。よく知らないわ」

「部署があるのか」

「当たり前じゃない。組織なんだから」

「ミーナは何部なんだ?」

「私は研究員じゃなくて、派遣員なの。国内各地の問題を解決しに行くのが仕事よ。あなたもね」

「そうなのか」

「あなた、本当になんにも聞いてないのね」


 ミーナは呆れた様子で言った。


「詳しい話を聞く前にテオドアがあんなことになったからな」

「そういうこと。向こう、突き当たりの扉が図書室よ」


 ミーナは図書室を見に行くつもりは無いようで、そのまま奥へ進んでいった。そして、回廊へ出ると、中庭が見えた。


「ここが研究棟。研究員は大体ここにいる。で、あっちが派遣棟」


 ミーナは中庭の向こうにある建物を指差しながら言った。


「一階が共有スペースで、ニ階から上は個人オフィス。中級以上は個人オフィスがもらえるわ」

「へえ」


 ミーナは研究棟には用が無いだろうと、派遣棟へ向かった。中庭を抜け、派遣棟に入る。派遣棟は、石造の古い建物だった。窓が少なく、暗いのだろうと思っていたが、中は明るい。魔法による光のおかげだろう。ミーナは玄関ホールを抜け、大きな扉を押し開けた。


「ここが共有スペース。大部屋と呼ばれているわ」


 大部屋の内部は大衆食堂のような雰囲気で、人が何人かいた。


「派遣隊員は案件を抱えていない時は、勉強したり、研究員の手伝いをしたりする人が多いわね。好きに過ごせばいいわ。まあ、上級なんて次々に仕事が来るから休む暇なんてないでしょうけど」

「初耳だな。辞めたい」


 リディは唸るように言った。王都へ来てからというもの、うんざりすることしかなかったのだから無理もない。


「まあ、初任務が来るまで束の間の休息を楽しみなさい」

「王子の護衛って、初任務じゃねえの?」

「あら、ギルバート様の?人気の任務よ。やっと上級をつける気になったのね」

「?どう言う意味だ?」

「あのお方は、本来上級魔法使いに護衛させるところを、テオドア様に補佐官と護衛とを掛け持ちさせていたのよ。だから、テオドア様が別件でついていられない時や、追加で護衛をつける時は、テオドア様と同級の魔法使いをつけるって言い張って、いつも中級のやる気のないのをつけてるの」

「テオドアって中級なのか?」

「ええ。中級って言っても、五つ星よ」

「なに?五つ星?」

「上中下それぞれ一つから五つの星でランク付けされてるの。中級の五つ星は上級の一つ星の一つ下の等級よ」

「へえ」


 テオドアで中級ならば、確かに上級魔法使いになるのは、なかなか凄いことのようだ。


「で、なんでやる気ない奴に護衛させるんだ?」

「そりゃ、出しゃばられたり、いろいろうるさいこと言われると鬱陶しいからでしょ。真面目なのが着くと、護衛を撒いて失踪されるのよ。困った人よね」


 護衛を撒くなんて聞いたことがない。そもそも、守る対象より、護衛の方が弱いなんて意味が分からない。


「あの王子に護衛なんかいらないだろ」

「さすがに王太子様に護衛無しは、ねえ。まあ、そんな感じだから、やる気無いのは喜んで行くわよ。ギルバート様の後についていくだけでいいんだから」

「じゃあ、喜んで行く奴が今回もつけばいいじゃねえか」

「昨日、陛下がお怒りだったし、上級をつけるよう言われたんじゃない?何にせよ、ギルバート様に指名されたなら諦めた方がいいわ」

「くっそ」

「ギルバート様の護衛ほど良い仕事はないぞー」


 悪態をつくリディに、男が近づきながら言った。快活そうではあるが、見るからにゆるそうな男だ。魔法使いにしては珍しく、ガタイが良い。そこらへんの兵士よりよっぽど屈強に見える。


「あら、ダリオ」

「お前だろ。エマの妹って」

「ああ」

「ホントそっくりだな。雰囲気は全然違うけど」

「彼は中級の三つ星よ。実力だけで言うと、五つ星くらいあるとは思うけど、やる気がなくて何年も昇級試験受けてないのよ。ギルバート様の護衛任務は大体彼とシリルって子がしていたわ」

「ダリオだ。よろしく。えっと」


 ダリオは手を出しながら言う。リディは握手などしたくはなかったが、断ると面倒くさそうな男だったので、手を出した。


「リディ」

「よろしく、リディ。しかし、ギルバート様の護衛取られたとなると、今後のことが思いやられるな」


 ダリオは握手した手を上下にぶんぶんと振りながら、残念そうに言った。ダリオが手を離すとすぐにリディは手を引っ込める。


「何がそんなにいいんだよ。あの王子面倒事に巻き込みやがって」

「それだけ腕を買われてるってことだ」


 こんな事になるなら、本気など出さず、使えない奴だと思わせておいた方がよかった。しかし、後の祭りだ。どうにもならない。


「あなたの部屋へ案内するわ」


 ダリオとは別れ、ミーナは奥へ向かった。建物の奥は、吹き抜けになっていて、大きな木が植えられていた。木の左右と後ろには、それぞれ廊下が伸びている。リディは大きな木をよく見て、顔を顰めた。木には顔があったのだ。正確に言うと、限りなく顔に近い皺がある。


「こんにちは。東の五階までお願い」


 ミーナは当然のように木に話しかけた。木は、目のように見える皺を僅かに動かした。


「東の五階だね」


 木は嗄れた声で言うと、木の枝を下へ垂らした。ミーナはその枝に足をかけ、片腕を枝に回した。


「早く」


 ミーナは動こうとしないリディにそう言って、手招きした。リディは仕方なく、ミーナに倣って木の枝にしがみついた。


「変わった移動方法だな」

「ええ。最近まで、浮遊石を使っていたんだけど、壊れちゃって」

「浮遊石を直せばいい話だろ」

「色々あったのよ。とりあえず、今のところは彼が運んでくれるわ」


 リディは大きな木の幹を見た。皺のような顔は、次にやってきた者と話している。意思疎通ができる植物など見たことがない。エマなら何か知っているだろうか。そんなことを考えていると、すぐに五階に着き、ミーナは廊下に飛び移った。リディもそれに倣う。


「こっちよ」


 ミーナは廊下を進む。壁には、同じ扉が等間隔に並んでいた。どの扉にも、四つの星が並んでいた。しばらく進むと、扉の星が一つ増え、扉と扉の間隔が少し広くなった。ミーナはある扉の前で止まった。その扉には、他の扉と同じように五つの星が並んでいた。


「ここがあなたの部屋。案内は終わりだけど何か聞きたいことある?」

「ない」

「何かあったら、大部屋に行くといいわ。誰かしらいると思うし。私も今のところ、仕事が入っていないから西の四階の自分の部屋か大部屋にいるわ」

「分かった。ありがとう」


 ミーナは来た道を引き返して行った。リディは自分の部屋へ入る。部屋は本棚に囲まれていた。部屋の奥の窓に向かって机が備え付けられている。床は濃紺の絨毯敷きになっていて、高級感があるし、狭いわけでもないが、本棚に圧迫され、独房のようだとリディは思った。本棚にはさまざまな本が並んでいたが、リディの興味がそそられるものはない。


「呪文の本ばっかりだな。魔法薬の本はないのか」


 本棚の前でリディが呟くと、目の前の何冊かの本が違う本に変わった。背表紙に書かれたタイトルを見る限り、全て魔法薬の本だった。本棚には魔法がかけられているらしい。


「ピーキーズの毒の解毒剤について書かれてる本」


 リディが本棚に向かって言うと、目の前の本がまた変わった。リディはその中から、魔法生物の毒に対する解毒剤と言う本を手に取った。目次を開くと、ちゃんとピーキーズの項目がある。


 リディはそのページを開き、机に腰掛けて解毒剤の作り方を読み始めた。

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