第19話 国王の怒り

 リディがギルバートを連れ、水盆の間に到着すると、エマもテオドアもいなくなっていた。代わりにいたのは、なんとなく見たことのあるような男が一人。腕を組んで仁王立ちしている。


「おかえり、ギル」


 男は微笑んでいたが、凄まじい怒気を纏っていた。リディは思わずたじろぐ。ギルバートは興味がなさそうに男に視線を向けると、恭しく頭を下げた。


「このような場所で何をされているのでしょう?陛下」


 ギルバートはゆっくりと言った。リディは男を見つめる。陛下ということは、国王、つまり、ギルバートの兄だ。


「お前を待っていた。外出の許可など与えた覚えはないが」

「なんと。たった数時間の外出に、陛下の許可が必要でしたか」


 ギルバートはわざとらしく言う。国王の顔から笑みが消えた。兄弟喧嘩はよそでやってくれと思いながら、リディは気配を消す。


「来なさい」

「急ぎの仕事がありますゆえ、失礼いたします」


 ギルバートはそう言いながら、国王の傍を通って水盆の間を出ようとした。


「ギルバート」


 とても静かに、しかし恐ろしい声で国王は言った。ギルバートはさすがに無視できなかったようで、ドアノブに手をかけたまま立ち止まった。


「少し話を」


 国王はゆっくりと振り返りながら言う。ギルバートは僅かに口を歪め、小さく頷いた。


「テオドアは」


 扉に近づく国王にギルバートは尋ねた。さすがに心配してはいるようだ。血も涙もない冷酷野郎というわけではないらしい。


「研究所の病棟へ運ばせた。そちらのお嬢さんにそっくりなお嬢さんは彼に付き添っているよ。君は病棟へ」


 国王は最後にリディの方を見ながら言うと、ギルバートを連れて水盆の間を出ていった。一人残されたリディはため息をつくと、近くの壁にもたれた。疲れた。異常に疲れた。なぜこんなに振り回されなければならないのか。そんな考えが脳内を巡っていたが、もう一度大きくため息をつくと、部屋を出た。


 目下一番の問題は、研究所の病棟がどこにあるか分からないということである。他の面倒ごとに比べれば大した問題ではない。誰かに聞けばいいだけなのだから。そう思い、リディは人を探して歩き始めた。しかし、長い長い廊下には、誰もいない。


「もう魔法使ってもいいよな。さっき使ったしな」


 リディは独り言を言うと、エマのいる場所へ移動した。


「きゃ」


 突然隣に現れたリディにエマは小さく声を上げた。目の前のベッドにはテオドアが横たわっている。周りには誰もいないようだ。


「で、なんて?」


 リディの言った通りだったわ。解毒剤を作るって


「そうか」


 解毒剤さえできてしまえば安心だが、問題は解毒剤の調合だ。この研究所の薬草園はかなりの種類の魔法薬草を栽培しているようだった。材料の入手に時間がかからないことを踏まえても、時間はかかるだろう。


「一、二ヶ月ってとこか?」

「何が?」

「解毒剤ができるまで」

「え!?」


 エマがあまりにも大きな声を出したため、看護師が様子を見にきた。看護師は同じ顔が二人に増えていることに驚いていたが、なんでもないと言うとすぐに戻って行った。


「なんでそんなにかかるの?」

「複雑な薬はそれなりに時間がかかる」

「それにしても一、二ヶ月もかかるなんて!」

「あのネズミの毒による仮死状態はかなり複雑な状態なんだよ。時が止まるんだ。どれだけ経過しても、鮮度は落ちない、老化もしない、もちろん死なない。だから解毒剤も複雑になる」

「そうなの……」


 エマは俯いてテオドアを見ていた。エマのことだ。どうせ、自分のせいだとか、噛まれたのが自分だったらとか、馬鹿げたことを考えているのだろう。


「こいつは働きすぎだ。いい休みになったんじゃねえの?ついでにあの王子も噛まれてたら良かったのに」

「リディ!」


 エマの小言を聞くのは嫌だったため、リディは黙った。




 + + +



 目の前のカップに紅茶が注がれ、湯気がたった。ギルバートはその湯気をじっと見つめ、目の前にいるマティアスの方を見ないようにした。


 今まで、ギルバートが無断で外出したことは幾度となくあった。その度にテオドアに止められていたが、制止を振り切り無理やり外出していた。ギルバートはテオドア以外にも、監視されていた。監視する者たちの姿を見たことはないが、遠くから視線を感じていた。その視線のおかげで、ある程度自由にさせてもらえてたのだ。


 今回も同じだ。テオドアには止められたが、テオドアを無視して出かけた。視線は……ああ、そうか。トイノスの結界のせいで、監視ができなかったのか。だから、水盆の間で激怒したマティアスが待ち構えていたのだろう。ギルバートはやっと理解したが、苛立ちを隠すことはできない。こんなことをしている場合ではない。


 怒りたいのはこちらの方だ。


 この言葉を必死に飲み込む。相手は兄とはいえ、国王だ。


「何をしに行っていた?」

「視察です」

「トイノスの者は研究所の研究員が調査に来たと言っていたが」

「研究員も連れていました。嘘ではないでしょう。研究員がサンプル採取をしているので確認されてはいかがですか」

「ギル、私たちはお前のことを思って」

「自分の身は自分で守れます」


 うんざりするほど聞かされてきた言葉を最後まで聞くつもりはなく、ギルバートはマティアスの言葉を遮って言った。


「いつでもそうとは限らないだろう」


 いつもならこの辺りで面倒になって、適当に話を終わらす方向へもっていく。しかし、ギルバートは苛立ちを鎮めることができずにいた。


「例えばどのような場合ですか?」

「お前は魔力が強いからと、油断しているのだ」

「そうでしょうか?人間相手に、負けることはないと思いますが。それとも、人間以外の者に危害を加えられるとお考えですか?」

「ギルバート」


 マティアスは低い声で言った。マティアスの目は鋭くギルバートの目を見据えていて、その瞳はもう黙れと言っている。もう口を開いてはいけないと理解しつつも、ギルバートは止められなかった。


「兄様たちは、何を恐れているのでしょう?」


 マティアスが口を開きかけたが、ギルバートはそれよりも早く次も言葉を続けた。


「私のためを思うのであれば、本当のことを教えてください」


 マティアスはしばらくギルバートを見つめ、考え込んでいるようだった。ギルバートは何も言わずに待った。何分間かの沈黙の後、マティアスは長く息を吐いた。


「……私は、お前を守らねばならない」


 ギルバートは落胆した。振り出しに戻ったからだ。ギルバートは相手が誰なのかも忘れて、嘲笑した。この王宮内で、ギルバートより強い者などいない。誰が守れると言うのだ。ギルバートは立ち上がる。


「待ちなさい、まだ話は終わっていない」

「もう勝手に城から出ません。そう言えば満足でしょうか」

「ギルバート」


 ギルバートは無視して扉へ歩いた。一刻も早く一人になりたかった。テオドアのことも気にはなるが、どうせ城からは出られない。何を望もうとも、望みなど叶わない。さっさと自室へ戻り、誰にも会ってやらないのが、せめてもの反抗だ。


「自分が何者なのか分からない。そんな不安など、兄様には分からないでしょうね」


 部屋を出る瞬間に、ギルバートは吐き捨てるように言った。扉の外には、マティアスの忠臣が何人か立っていたが、誰もギルバートを止めなかった。

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