第15話 エルフの魔法
リディとエマは数ヵ所の調査を終え、水盆の間に戻った。いや、戻ったはずだった。しかし、目の前にはギルバートがいる。エマは驚いた顔をしていたが、リディは移動魔法の感覚に気付いていた。水盆の間にギルバートの執務室へ移動するよう魔法が仕掛けられていたのだろう。
「お疲れ様でした。本日はこれくらいで報告をお願いします」
魔法を仕掛けたであろうテオドアは、エマの驚く顔を見て満足そうに笑いながら言った。なかなかいい性格をしている。もし、自分がエマの立場ならテオドアを殴り飛ばしているかもしれないとリディは思った。ギルバートは仕事をしている手を止める様子はないが、テオドアは身振りで構わず報告しろと促した。
「件のエトレシニウスは特徴から、北方のものと見て間違い無いかと。あと、犠牲者の数の割に樹が極端に小さく」
「なに?」
ギルバートは手を止め、顔を上げた。朝よりも明らかに疲れた顔をしている。魔法に関することはエマには説明できないだろうと、リディは口を開く。
「養分をどっかに転送してるみたいです。魔法陣の文字が読めないから詳しいことは分かりませんが」
「その魔法陣の写しはあるか?」
リディは魔法陣を転写した紙切れを取り出し、軽く振った。すると、宙に魔法陣が二つ浮かんだ。
「移転魔法と転送魔法ですね。確かに、見たことのない文字ですが」
テオドアは魔法陣を見ながら言う。
「エルフ文字だ」
目を細めて魔法陣を見ていたギルバートは呟くように言うと、立ち上がり、魔法陣に近づいた。ギルバートが転送魔法の魔法陣に手をかざすと、防御魔法の呪文が浮かび上がった。その呪文の文字も、魔法陣の文字と同じようだ。
「この防御魔法を破ったのか」
「はい」
「それならいい。大したものだ」
「まあ、最初は弾かれたけど」
ギルバートは勢いよくリディの方を見た。
「その手か」
「は?」
ギルバートは、リディの手を取ると、手に巻かれていた包帯を解いた。
「ダダリアか。悪くない処置だ」
包帯の下から出てきたダダリアを見てギルバートは感心したように言った。潰れた葉を除けると、リディの赤く腫れた手が露わになった。
「離せ。これくらい平気だ」
「死ぬ気か?」
ギルバートはリディを睨みつけた。思いがけない反応に、リディは黙る。テオドアも少し驚いた顔をしていた。
「あの防御魔法によって形成されるバリアは、侵入に失敗した者を呪う。呪いは反対呪文で消すまで身体に残り続け、最悪死に至る」
「はあ?魔法陣隠すためだけにそんな高等呪文かける奴いるわけねえだろ」
「エルフにとっては高等呪文でもなんでもない」
ギルバートはリディの手に自分の手を重ね、リディが聞いたことのない言語の呪文を唱えた。すると、リディの手は元に戻り、少し感じていた痺れも無くなった。ギルバートはリディの顔を両手で固定し、自分の方を向かせた。そして、リディの目を覗き込む。リディは文句を言おうとしたが、ギルバートの鬼気迫る様子に押し黙った。
「頭痛や眩暈はないか?」
「ない」
「視界は正常か?」
「ああ」
「他に何か不調は?」
「さっきまで少し手が痺れてたが、今ので治った」
ギルバートは安心したように息をつく。リディから離れると、椅子に戻り、だらりと全体重を椅子の背もたれに預け、目頭を押さえた。疲労困憊という言葉を、これ以上ないくらい的確に体現している。
「問題はなさそうだが、念のため、今日は身体の隅々まで調べろ。何か異常があればすぐにテオドアに連絡しろ」
「はいはい」
リディの軽い返事に、ギルバートは顔を顰めた。そして、エマの方を見る。
「エマ、頼むぞ」
「承知いたしました」
「他に報告は?」
「ございません」
「そうか。ご苦労」
ギルバートは仕事に戻り、テオドアは執務室のドアを開けた。二人とともに執務室を出たテオドアは、後ろ手にドアを閉める。
「この任務中に知り得た如何なる情報も、他言無用でお願い致します」
有無を言わさぬ笑みでテオドアは言うと、リディとエマを研究所まで飛ばした。
+ + + +
「やめろ。ふざけんな」
浴室にリディの声が響いた。
「ふざけてないわよ!ちゃんと確認しなきゃ」
「自分でできる」
「どうせちゃんと確認しないでしょう!ほら、服脱いで!」
エマはリディの服を無理矢理脱がせた。大きな鉢を軽々持ち上げるくらいのエマの馬鹿力に、なんでもかんでも魔法に頼るリディが勝てるわけがない。
リディは諦め、無の表情でエマにされるがままになった。エマは真剣にリディの身体の隅々まで目視する。そして、背中にたどり着いたとき、エマは手を止めた。リディの背中には、大きな傷跡がある。どのようにしてできた傷か、エマは知らなかった。ゆっくりと傷跡を撫でる。これを見ると、いつも泣きそうになる。そんなエマに気がついたのか、リディはため息をついた。
「さっさと終わらせてくれ」
「うん、ごめんね」
鼻声にならないように気をつけて言った。リディは、自分のことをあまり話したがらない。エマは、リディが王都を出てから、シルヴィアとどのような暮らしを送っていたのかもよく知らない。
二人で暮らすようになってからだって、リディはいつもふらっと仕事へ出ていっては、何日も帰ってこない。帰ってきても、仕事の話はしない。怪我をして帰ってくることもある。
リディと暮らすようになってからと言うもの、エマは魔法薬草の効能に詳しくなった。リディの怪我を治すためだ。と言っても、魔力のないエマにできることは、普通の薬草を育てたり、魔法薬草を育てるためにリディに育て方を指南したり、使えそうな薬草をリディに渡すことだけ。魔法薬を煎じることもできなければ、怪我の状態を見ることもできない。魔法薬草など、育てることすらできない。常にもどかしさを感じていた。頭でっかちなばかりで、何もできない自分が嫌だった。
「大丈夫そうね」
「だからそう言っただろ」
エマは浴室を出ると、しゃがみ込んだ。
よかった。何もなかった。明日、ギルバートには礼を言わなければならない。エマは安堵の涙をこぼした。
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