第13話 エルフの秘薬

 両手が赤く染まっていた。視界はだんだん狭まる。呼吸は苦しい。身体が冷たくなっていくのを感じた。死ぬのだと思った瞬間、急に怖くなった。


「大丈夫」


 そう言って、血塗れの手を握ってくれたシルヴィアの手は温かく、そのまま眠ってしまった。もう目を開くことはないと思っていた。


 血の気の引く感覚で、リディは飛び起きた。呼吸を整えながら、隣を見た。エマが眠っている。外はまだ薄暗い。動悸がしていた。嫌な夢を見たことは覚えているが、よく思い出せない。しかし、思い出さなければならないと思った。


 リディは自分の手を見た。少し爪が伸びているくらいで、変わったところはない。


「赤く、ない」


 そうか、思い出した。あの日のことを夢で見たのだ。何度見ても恐ろしい。シルヴィアは落ち着いていた。彼女は、リディが死んだりしないことを確信していたからだ。


 ベッドが軋む。リディはエマを見た。リディを心配してリディのベッドで寝ると聞かなかったため、仕方なく狭いベッドで二人並んで寝ていたのだ。ぐっすりと眠っていたエマも、もぞもぞと起き上がり、枕元のランプをつけた。


「リディ?どうしたの?こんな朝早くに」


 エマは目を擦りながら言う。


「エルフの秘薬だ……」


 リディは呟く。


「え?」


 エルフに伝わる薬だ。材料や作り方は一緒でも、調合中の呪文によって効能が変化する薬だよ

 頭痛がしていた。思い出してはいけない記憶だ。エルフの秘薬は、人間に知られてはいけない。しかし、そんなエルフの都合など、知ったことではない。無理やり記憶を引っ張り出す。


「材料は五つの美」


 頭を押さえ、喘ぐように言った。エマは心配そうにリディの背をさすっている。


「美?」

「黄金の欠片、虹色の雫、大地の宝石そして星の実と氷の花」


 頭が割れそうだった。汗で髪が顔や首にへばりついていて気持ち悪い。


「虹色の雫ってまさか」


 エマの言葉にリディは頷く。


「虹色の雫はアラルムの葉に溜まった雨水が、満月の光を浴びることでできる。幻術がかけられていた前日は雨で、その晩は満月だった」

「虹色の雫ができていたはず。幻術は虹色の雫がなくなっていることをカモフラージュするため?」

「確かにごたごたで、気にする奴はいなかっただろうが……虹色の雫は何かに使えるのか?」

「私が知る限りでは鑑賞用にしかならないわ」

「それなら、もともと無くなっいても誰も気にしなかった可能性が高いだろ」

「確かにそうね」

「わざと目立つようなことをして、何が目的なんだ?」


 リディはしばらく考えを巡らせていたが、ベッドに倒れた。考えても分からないものは分からない。しっかり睡眠時間を確保しなければ、魔力回復に支障が出る。リディが目を瞑ると、エマもベッドに横になり、ランプを消した。




「リディ、朝よ」


 寝たと思ったらもう朝だ。明け方に一度目が覚めたせいで、寝た気がしない。エマがカーテンを開けたのだろう。目を瞑っていても分かる眩しさに目を強く閉じた。


「朝ごはんできてるわよ。早く降りてきて」


 エマはそう言うと、部屋を出て行った。リディはしばらくベッドに座ってぼうっとしていたが、一階からエマの急かす声が聞こえたため、ベッドから降りて身支度を整えた。


「もう!急がないと遅刻よ」

「大丈夫だって。すぐ着くんだから」


 リディはゆっくりとエマの作った朝食を食べ始めた。いろいろ考えるべきことはあるが、眠くて頭が回らない。それに考え続けたところで分からないものは分からないのだ。


 朝食を食べ終えると、リディはエマを連れ、テオドアに言われた時刻ぴったりに、魔法陣の上に立ち、研究所の敷地へ到着した。


「おはよう、エマ。はじめまして、リディ」


 完全に到着するよりも早く、背の高い女性は言い始めていた。艶のある黒髪は、短く切りそろえられている。


「おはよう。リディ、彼女はミーナよ」

「リディにいろいろ案内するように言われてる」


 ミーナはにこりともせずに、リディに手を差し出した。この辺りの人間は、握手をするのが好きらしい。


「よろしく」


 リディは気が進まないながらもミーナの手を取って言った。


「じゃあ、私は行くわね」


 そう言って、エマが二人から離れようとした。


「おっと、おはようございます」


 突然目の前に現れた人間にぶつかり、ふらついたエマを、突然現れたテオドアは片手で支えながら言った。いつも通りにこやかに。この男の笑みは、妙に苛立つし、ピエロのようで不気味とも言える。


「ミーナには申し訳ないのですが、リディを少しお借りしてもよろしいでしょうか」

「構わないわ」

「リディ、それからエマも、一緒に来ていただけますか」


 テオドアは、二人が返事をするよりも早く、エマを支えていた手とは反対の手でリディの腕を掴むと移動魔法を使った。




「来たか」


 着いた先は、ギルバートの執務室だった。昨日あったソファとテーブルはなくなっている。仕事をしていたギルバートは立ち上がった。


「ゴルトバの森でエトレニシウスを発見したと聞いている。詳しく話を聞きたい」

「は?」


 聞き慣れない単語に、つい声が出てしまい、エマに肘で小突かれた。


「星降る樹の学名よ」

「ああ。何を知りたいのですか?」

「大きさは?」

「かなりでかかった。何人も食われてて、動物も何体か喰われてました」

「いつ頃からあったかは知っているか?」

「さあ。最近としか聞いてないです」

「移転魔法の痕跡は?」

「何かを消した跡はあった。復元は可能かもしれません」


 ギルバートは、エマを見た。


「人知れず移転させることができるなんて、北方の荒地からくらいだろう?」

「そうですね。あそこは簡単には立ち入れませんし、エトレニシウスの原始林もあります」


 ギルバートは顎に手を当て、軽く頷く。


「二人には、この件について調査を頼みたい。それから、この付近の他の森でも異常がないかも確認してきてくれ」

「……分かりました」

「承知いたしました」


 リディはエルフの秘薬の件を伝えるべきか迷ったが、やめておくことにした。信じてもらえるかも分からないし、本当にそれが関係しているのかも分からない。関係していたとしても、犯人が薬を何のために使うつもりかも分からない。もう少し、調べてからでも遅くはないだろう。


「本当はあと何人か中級以上の魔法使いがいたほうがいいのだろうが、あまり大事にしたくない。悪いが二人だけで」

「これまで一人で仕事してきました。エマはともかく、他の奴と仕事するなんて逆に面倒です」

「そうか。では、頼んだ」


 ギルバートは仕事に戻り、リディとエマはテオドアに連れられ、執務室を後にした。

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