第12話 王子の兄

 向かいに座るマティアスはグラスを揺らしていた。ギルバートは、そのグラスの中で揺れる赤ワインを見つめ、欠伸を噛み殺す。マティアスはいつ見ても余裕綽々といった調子で、暇なのかと疑いたくなるが、ギルバートの倍以上の仕事をこなしているはずだ。


「研究所の薬草園に侵入者があったそうだな」


 マティアスは優雅に赤ワインを飲む。ギルバートは一刻も早く寝たかったが、国王を追い返すわけにもいかず、早く帰ってくれと願いながら座っていた。


「相変わらず耳が早いことで。昨日は幻覚魔法がかけられ、本日は薬草が盗まれたようです。その際に近くの区画の植物にも影響があったとか」

「犯人は?」

「調査中です。研究所内部の人間でしょう。かなり高度な幻覚魔法が使われていて、薬草園の管理者たちは気づかなかったようです」

「そんなに高度な魔法を使える人は限られてるだろう」

「ええ。候補は上がっておりますが……」


 そう、候補は上がっているし、数名に絞られている。だが、どの候補者も長年研究員として働いている信頼の厚い者ばかりなのだ。もちろん、信頼が厚いからと言って、犯人候補から除外する気はないため、テオドアに調べさせてはいる。


「まあ、薬草園だけの被害なら問題はない。ただ、もし外部からの侵入者だとしたら大問題だな」


 マティアスは他人事のように言うと、またワインを一口飲んだ。ギルバートも、研究所の問題など他人事のようにしか思っていないが、一応責任者のため、そんな素振りを見せないように気をつける。


「ええ。早急に解決を」


 話は済んだだろうと、マティアスを盗み見たが、マティアスは部屋を出ようとする気配もなく、グラスを揺らしていた。


「それより、双子のお嬢さん方の件は片付いたのか?」


 涼しい顔で尋ねるマティアスに、ついムッとした顔をしてしまったが、すぐに表情を戻す。


「……ご存知でしたか」


 マティアスは愉快そうに笑う。イラッとしたが、いちいち突っかかるとマティアスの思うツボだ。


「裁判にかけよと言うつもりはないが、あのお嬢さんをどうするつもりだ?」

「かなり優秀なので、研究所の派遣員にしようかと」

「お前がそんなことを言うなど珍しい。そんなに強い魔力を持っているのか?」

「ええ。私と同等かと」


 マティアスはグラスを揺らす手を止めた。少し驚いた顔をしている。


「お前と同等だと?あのお嬢さんは何者だ?魔女として登録されていないようだが」

「田舎にありがちな不正使用者ですよ。同じく不正使用者の育ての親に、魔力の扱い方を教わったようです」

「……それで、彼女に何をさせるつもりだ?」


 ギルバートは、ワインからマティアスに視線を移す。マティアスの表情からは特に何も読み取れない。


「特に考えがあるわけではありません。性格には難があるようですが、優秀な魔女ですから、国民のために働いてもらいたく」


 マティアスはグラスのワインを飲み干し、机に空のグラスを置く。


「お前がそんなに仕事熱心だとは知らなかったな」


 マティアスはそう言いながら立ち上がる。これ以上探りを入れても無駄だと判断したのだろう。


「遅くに悪かったな。おやすみ、ギル」


 自信たっぷりの笑みを携え、マティアスは部屋を出て行った。お前の考えていることくらい、分かっているぞと言わんばかりの表情だった。


 マティアスが出て行ったのと入れ違いに、テオドアが部屋へ入ってくる。調査の報告だろう。


「何か分かったのか?」


 ギルバートは首元を緩めながら、だらしなくソファにもたれかかった。


「ああ。凄いことが分かったよ。犯人候補全員、犯行は不可能だった」

「どういうことだ?」

「全員、他の誰かと研究室に篭っていたり、他の誰かと遠方へ出ていたり。とにかく無理なんだよ」

「そんなもの魔法を使って分身でもすれば」

「薬草園の管理人は騙せても、研究所内に大量にいる魔法研究者を騙すことなんてできないだろう。僕が知ってる限りで、そんなことができるのは、君かリディくらいだ」

「外部犯だと言いたいのか?」

「そうとしか考えられない」


 目頭を抑えた。次から次へと問題が起こる。王太子である限り、それを解決し続けなければならない。ギルバートはいつも考えていた。一般人であればどんなに楽だっただろう。


 幸にして、魔力には恵まれている。適当に魔法使いとして商売をし、裕福ではなくとも、食うに困らない程度の生活ができればどんなに良かったかと。


 もう、面倒事はたくさんだ。ギルバートは目を瞑り、深く息を吸って吐いた。そしてゆっくり目を開く。


「犯人を捕まえればいい話だ」


 捕まえるにはどうしたらいいか。その答えは単純だ。一晩中、自分で見張っていればいい。テオドアはギルバートの狂気に気付いたようで、引き攣った顔をしていた。


「そうだけど、ギルに徹夜なんかさせたら俺が怒られるよ」

「そうか」


 ギルバートは自分のワイングラスを手に取った。一口も飲んでいないワインがグラスの中で揺れる。グラスに手をかざし、呪文を唱えた。ワインの水面には飼育場の様子が映った。殆どの魔法生物は眠りについている。全体を見張る必要はない。ギルバートはある魔法生物を探し、飼育場の一区画だけをワインの水面に映し出した。


 ギルバートには、次に狙われるだろうものが分かっていた。

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